はじめに
3週間ほど前のことになるが、また経済学者が転売行為を擁護して軽く炎上したようだ。
転売そのものの否定って、ほとんど資本主義の否定なのと(流動性が高い=転売しやすい)、最初のプライシングが失敗していて過度に安いから転売される。転売ヤーは「高値を払ってでも欲しい人が入手できるようにする」高付加価値なサービスを提供。https://t.co/xtxZlRv0U2
— 坂井豊貴 (@toyotaka_sakai) 2021年7月26日
経済学者に限った話ではないが、「転売行為は迷惑」という当たり前のことを理解しない人がいるのはなぜだろう。
彼らには根本的に何か変な思い込みがあるような気がする。
思うに「価格は需要と供給で決まるのが最善だ」と彼らが考えている点に問題があるのではないだろうか。
この点は一旦脇に置くことにするが、今回の記事では「転売ビジネスがなぜ悪なのか」を経済学者でも理解できるように説明する。*1
外部不経済(=負の外部性)
経済学者に説明するには、彼らが使う用語を使って説明するのが一番だ。
シンプルにこう言えばいい。
「転売ビジネスは外部不経済をもたらす」
これだけで、こちらの主張したいことは伝わるはずだ。
(もちろん、すぐに納得はしてくれないだろうが)
外部不経済というのは、要するに取引の当事者以外の外部に迷惑がかかるということ。
公害が良い例だ。
先ほどの主張は「転売ビジネスをすると迷惑する人がいる」と言い換えられる。
経済学者はこう質問するだろう。
「転売ビジネスのどこにそんな外部性があるというのか?」
これは「転売ビジネスで誰が迷惑するというのか?」という意味になる。
賢明な読者は既にお分かりだろう。
もちろん、迷惑するのは“転売ヤーが居なければ商品を買えたはずの消費者”だ。*2
この記事で問題とする転売行為
私は“転売は悪だ”と書いたが、もちろん全ての転売ビジネスが悪だと主張しているわけではない。
ここで問題にしている転売ビジネスと、そうでないものとを区別しておこう。
問題にしているのは例えば、チケット、同人誌、PS5、マスクなどの転売だ。
要するに、転売屋が居なくても消費者が商品を手に入れられる状況が出来上がっているにもかかわらず、売り手と買い手の間に割り込んで利益を抜こうとする行為を問題にしている。
これに対し、古本屋で見つけた古本などの商品を仕入れてネットで売る行為、いわゆる“せどり”は問題にしていない。
せどりの場合はその転売屋がネット上のマーケットにその商品を載せない限り、他の地域の人には買うチャンスが無いため、転売屋の行為には意味があるからだ。
また、通常の商店や問屋なども問題にしない。
その商店や問屋があることで流通が完成するからだ。
なぜ外部不経済があると言えるのか
さて、なぜ転売ビジネスが迷惑だと言えるのか。
これは常識人には当たり前のことであり説明不要だが、経済学者には説明が必要だろう。
具体例で説明する。
<ケース1>
ある即売会でS氏が一点もののフィギュアを1万円で売っている。
そのフィギュアを買いに来たB氏が1万円で購入した。
なお、B氏は3万円出してでも買いたいと思っていた。
これは何の問題も無いだろう。
「3万円で売ることも出来たのに」と言いたいかもしれないが、それは大きなお世話だと言うほかない。
「1万円で売りたい」というのがS氏の意思であり、それは実現したのだから。
S氏はなんらかの意図があって1万円という値付けをしたのだ。
もしS氏が「出来るだけ高く売りたい」と思っていたなら、オークションか入札方式で売っただろう。
この場合、転売屋に出番は無い。
<ケース2>
S氏が売っている1万円のフィギュアを、朝から並んでいた転売屋のM氏が購入。
2番目に並んでいたB氏に3万円で買わないかと持ちかけ、しぶしぶB氏が購入した。
このケースでは、M氏が2万円の利益を出している。
そしてケース1と比較すると、B氏が2万円分の損をしていることも分かる。
つまり、M氏はB氏に迷惑を掛けて(2万円分の損をさせて)2万円の利益を得たのだ。
M氏の転売行為で迷惑をするのは、M氏が居なければ1万円でフィギュアを買えたはずのB氏である。
<ケース3>
S氏が売っている1万円のフィギュアを、朝から並んでいた転売屋のM氏が購入。
2番目に並んでいたB氏は買えなくなった。
M氏はこのフィギュアを4万円で売り出し、C氏が購入した。
この場合もB氏が迷惑していることには変わりない。
しかしB氏は取引の当事者ではないため、この迷惑が見えにくくなっている。
ここに外部不経済がある。
ケース2でもケース3でも、M氏の転売行為によってB氏が迷惑をしている。
「誰が買おうが自由」なのか?
経済学者は次のように反論するだろう。
「M氏はB氏と早い者勝ちという公平なルールで戦ったのだから、何も悪いことはしていないではないか」と。
確かに一見そのように思える。
しかし彼らは重要な事実を見落としている。
それは、M氏はフィギュアそれ自体が欲しくて買ったのではないということだ。
金を儲けることがM氏の目的であって、フィギュアを保有して消費する(部屋に飾って日々眺める)ことを目的として買うわけではない。
フィギュアを作って売る人、消費目的で買う人からすれば“全く無関係なアウトサイダー”なのだ。
全く無関係な人が必要ないものを買って利益を抜くのはおかしいではないか?
経済学者はこう言うだろう。
「それが何だと言うのか。売られているものを誰が買おうが自由だ。何も悪くない」と。
果たしてそうだろうか。
もし仮に、M氏より先に一匹の猿が並んでいて、先にフィギュアを買って誰かに転売しようとしていたら、M氏はどう言うだろうか。
おそらく「ふざけんな。お前にはフィギュアを買う資格はねーよ。関係ねー奴がしゃしゃり出てくんな」とでも言うだろう。
それこそ正に、B氏がM氏に対して思っていることだ。
解毒剤の転売ビジネス
ケース2では転売する品目がフィギュアだったが、別の品目で考えてみよう。
ケース4で考えるのは、毒を飲んでしまった時の治療に使う解毒剤の転売だ。
<ケース4>
B氏は誤って毒を飲んでしまい、早急に解毒剤を飲まなければ命が危ない状況にある。
近くに解毒剤を売っているS氏の店があり、適合する解毒剤の在庫が1本だけあることが分かった。
B氏が解毒剤を買おうとしてS氏の店に向かっていたところ、これを見ていたM氏がB氏を追い抜き、先に解毒剤を1万円で購入した。
そしてM氏は解毒剤をB氏に3万円で転売し、2万円の利益を得た(命が危ないなら100万円でも売れるだろうが、比較しやすくするために3万円で売ったものとする)。
このM氏の行為は許されるだろうか。
転売を擁護する経済学者の論理で言えば、「売られているものを誰が買おうが自由だ」「M氏は早い者勝ちという公平なルールで解毒剤を手に入れたのだ。何の問題も無い」ということになる。
もちろん、考えるまでも無くこの行為は許されるべきではない。
この行為を「何の問題も無い。M氏は2万円分の価値を生み出したのだ。これは高付加価値なビジネスだ!」などと言う人がいたら、頭の病院に連れて行った方がいい。
これはB氏の弱みにつけ込んだ脅迫にほかならないではないか。
ケース2と4は何が違う?
ケース4(解毒剤の転売)が悪であることに経済学者も同意したとしよう。
もし、ケース4は悪だがケース2は許されるのだとしたら、2つのケースは何が違うのだろうか。
以下の点は同じだ。
- B氏がある商品を必要としている(消費する目的で欲している)
- S氏がその商品を1万円で販売している
- B氏はその商品が手に入るなら3万円払ってもいいと思っている
- M氏はその商品を必要としていない(消費する目的で欲していない)
- M氏は早い者勝ちでその商品を確保し、B氏に3万円で転売した
- M氏の行為がなければB氏はその商品を1万円で買うことができた
明確に違うのは、商品の品目だけだ。
解毒剤は転売することが許されず、フィギュアなら許されるのか。
フィギュアの転売も、どうしてもそれが欲しい人の弱みにつけ込んだ脅迫ではないのか。
善悪の境界線はどこにある?
「解毒剤の場合は命に関わるからマズいのだ。フィギュアなら仮に手に入らなくても死ぬことはない」と言うかも知れない。
だとしたら、命にさえ関わらなければ何をしても許されるのか。
誰かの浮気の証拠写真を探偵から買い取って本人に高く売りつけるのは真っ当なビジネスなのか?
誘拐されたペットを買い取って飼い主に高額で買い戻させるのは高付加価値ビジネスなのか?
そんなわけないだろう。
ケース4は脅迫だがケース2は問題ないと主張するなら、善と悪の境界線がどこにあるのか明確に示して欲しい。
法律に反するかどうかが境界線だ、というのは答えにならない。
倫理的に悪であるような行為を法律が許容しているなら、それは法律が間違っているのだ。
転売ヤーは迷惑料を払うべき
当然のことながら、ビジネスによって他者に迷惑をかけたら迷惑料を支払うべきだ。
公害を出しながら利益を出している企業があれば、その企業は迷惑を被った被害者に対して迷惑料を支払うべきだし、あるいはそもそも公害を出さないように費用をかけて対策するべきだろう。
一切の補償も対策もせずに公害を垂れ流し、利益を上げ続ける企業に対して「高付加価値なビジネスだ!」と褒め称える人がいたら気違い沙汰だ。
転売ヤーも公害の場合と同様に、迷惑料を支払うようにすることが妥当だろう。
では、迷惑料としていくら払うべきだろうか。
迷惑料の金額
ケース2の場合は分かりやすい。
M氏の転売行為によりB氏は2万円の損をしているのだから、M氏はB氏に2万円分の迷惑をかけていることになる。
つまり、M氏がB氏に迷惑料として2万円支払うのが妥当だ。
M氏は転売で2万円儲けたが迷惑料を2万円支払うことになり、めでたく転売行為の利益はゼロとなる。
ケース3の場合はどうだろう。
やはり迷惑料は2万円になるだろうか。
否、この場合の迷惑料は2万円では足りない。
なぜなら、ケース2ではB氏はフィギュアを手に入れているが、ケース3では手に入れていないからだ。
2万円だけが迷惑料として支払われた場合、B氏はフィギュアを買うために支払うつもりだった1万円と合わせて3万円を手元に持つことになるが、この3万円でフィギュアを手に入れることは出来ない。
M氏は当のフィギュアを4万円でC氏に売ってしまうからだ。
このフィギュアをC氏から買い戻すためには4万円でも足りない。
ということは、支払うべき迷惑料は3万円を超える額になる。
そうすると、M氏は転売行為により3万円の利益を得てもそれ以上の迷惑料を支払うことになる。
転売ビジネスは、正しく外部不経済を補償するなら利益を出すことは不可能なビジネスなのだ。
これは常識人にとっては当然の結論だ。
転売ヤーは何も作り出しておらず、誰かに迷惑をかけることが利益の源泉になっているのだから。
買い占めは悪だが転売は良い?
転売を擁護する経済学者がこんなことを書いていた。
曰く、「商品を買い占めて値をつり上げるのは悪いことだが、単純な転売行為なら問題ない」と。
これもおかしな話だ。
なぜなら、数量が限られた商品をたった1つでも転売目的で購入すれば、それは買い占めだと言えるからだ。
説明しよう。
まず、ケース2~4のように商品が一つしかなければ、それを転売屋が買うことは買い占めだ。
異論は無いだろう。
次に、商品が10個だけあり、先着10名に販売される場合を考える。
列の10番目にM氏が、11番目にB氏が並んでいるとしよう。
そうすると、9番目までの人に商品が販売された時点では、商品は1つしか残っていない。
この1つしか無い商品を(転売目的で)M氏が買って(消費する目的で欲している)B氏に迷惑をかけることは、ケース2~4と同様の買い占めに当たる。
これは、M氏が列の1番目~10番目のどこに並んでいても同じことだ。
どの位置にいようが、転売目的のM氏が商品を手に入れて消費目的のB氏が手に入れられないという結果に変わりが無いからだ。
ゆえに、数量が限定された商品を1つでも転売目的で購入することは買い占めである。*3
そして転売ヤーは商品を1つ確保することで利益が出ることが分かると、それをn倍しようとするのだ。
つまり、商品をn個確保してn倍の利益を得ようとする。
「買い占めは悪だが単純な転売は善」と主張する人は、限定数に対してnがいくつになったら買い占めになるのか、その境界線をどこに引くのだろう。
その根拠は?
上述した通り、限定数のうち1つだけを買おうがn個を買おうが、転売目的で買う限りはそれが本質的に買い占めであることに変わりは無い。
まとめ
まとめよう。
- 売り手と買い手の間に割り込んで利益を抜く転売行為は悪(弱みにつけ込んだ脅迫)
- 転売行為により迷惑する人がいる(外部不経済がある)
- 転売行為の利益の源泉は人に迷惑をかけて補償しないこと(適切に補償すれば利益は出せない)
- 転売目的で1つでも商品を確保すれば買い占めに当たる
転売行為を擁護する経済学者はこの外部不経済に気づいていないのだろうか。
それとも分かった上で黙っているのだろうか?
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