経済学を疑え!

お金とは一体何なのか?学校で教えられる経済学にウソは無いのか?真実をとことん追求するブログです。

資本は価値を作らない

はじめに

「私は、資本は価値を作らないと主張する」

「また唐突ですね。何の話ですか」

「前回の話では、資本すなわち企業の経済は、取引の積み重ねだと言った」

「覚えていますよ」

「そして、取引とは主に商品の売買のことであり、所有権を相互に移転する行為だった」

「そうでしたね」

「そうすると、資本は所有権の移転を繰り返しているだけだということになる。所有権の移転で価値が生まれるはずはないのだから、資本は価値を作らないということだ」

 

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株の売買で価値は生まれるか

「なるほど、先生のご主張は分かりました。たしかに私にも、思い当たることがあります」

「どのようなことかね?」

「証券業界のことです。この業界の人々は、株を買ったり売ったりしてるだけ、あるいは買わせたり売らせたりしているだけですよね。先生が仰るように、取引をしているだけです」

「その通りだね」

「株を安く買い、それを高く売って利益を得た時、果たして価値が生まれたと言えるのかどうか、私は疑問に思っていたのです」

「もっともな疑問だ。そして答えを言うなら、価値が生まれたとは言えない」

「なぜそう言えるのでしょうか。お金が増えたのは確かですよ」

「簡単なことだ。ある株を安く買ったということは、反対側には安く売った人がいる。高く売ったということは、反対側には高く買った人がいる。売買で利益を得たということは、反対側には損失を被った人がいるということだ」

「たしかに」

「要するに、利益として増えたお金は湧いて出たのではない。どこかから移動したのだ」

「それはそうですね。言われてみれば、当たり前のことです」

「このことから分かるのは、利益の発生は価値の創造を意味しないということだ」

 

労働によって生産する場合

「分かりますよ。少なくとも証券業界に関しては、価値を作ってはいないのでしょう。しかし、製造業のように実際に物作りをしている業界の場合、資本が価値を作っていると言えるのではないですか?」

「そう思うかね」

「原材料から製品を作れば、価値が増えますよね。たとえば、木材から机を作ったとすると、その木材の価値より机の価値は確実に大きいはずです」

「もちろんだ」

「増えた分だけ、価値が作られてますよね?」

「そうだ。しかし、その価値を作ったのは人間の労働であって、資本が作ったのではない」

「たしかに、労働も価値を作っています。資本は労働に対して労賃を払っていますから、その労賃に対応する部分に関しては労働が価値を作ったと言えるでしょう。しかし、支払った労賃を超えて利益となった部分については、資本が価値を作ったと言えるのでは?」

「そうではない。人間の労働が作り出した価値は、まるごと人間の労働が作り出したのだ」

「そう言われると、その通りのような気もしますが」

「資本は労働を安く買うという取引と製品を高く売るという取引をして、差益を稼いでいる。ここでもやはり、資本は取引しかしていない。そして先ほども言ったとおり、取引で利益を稼いでもそれは価値を生み出したということを意味しない」

「利益として得た金銭は湧いて出たわけではなく、どこかから移動したのですからね」

「そうだ。誰かが利益を得たら、誰かが損失をこうむっている」

「労働者が損をしていると?」

「おおむね、そういうことだ」

 

機械で生産する場合

「では、機械で生産をしている場合はどうでしょう。機械はリースで借りているとして、労働者への労賃を支払う代わりにリース料を支払います。商品を売って、リース料などのコストを支払って、差額が利益になるわけですが、この利益の部分は資本が生み出した価値だと言えませんか?」

「同じことだよ。資本は機械を使う権利を安く買って、製品を高く売り、差額を利益としている。資本は取引をしているだけであり、それで金銭的利益を得たとしても、その金銭は湧き出たのではない。どこかからかすめ取ったのだ」

「しかし、機械が作ったものがまるごと資本の所有物になるのは正当なことでしょう。それを売って金銭に換えるのも正当なことです。資本は何も悪いことはしていないのでは?」

「ルールに則ってゲームをしているという意味で、たしかに資本は何も悪いことはしていないな」

「同じことが、先ほどの労働についても言えると思います。資本が労働力を買った以上、その労働力が生み出したものがまるごと資本の所有物になるのは当然なのではないですか?」

 

所有のルールを考える

「所有のルールではそうなっているからね」

「何ですか、所有のルールとは?」

「いくつかあるが、そのうちの一つはこうだ。ある人が所有しているものが何かを生み出した場合、その生み出されたものもその人の所有物になる。つまり、AがBを所有していて、BがCを生み出したら、CもAの所有物になる」

「ごく当然のルールであるように聞こえますが」

「我々は生まれた時からこのルールの中で生きているのだから、そう思うのも無理はない。しかし、所有のルールを作ったのは人間であって神ではないのだ。所有のルールは物理法則ではないのだからね」

「たしかに。そうだとして先生は、このルールが不当なものだとお考えなのですか?」

「不当なルールかどうかは、良く調べてみる必要があるだろうね」

「どのように調べるのですか?」

「奴隷と主人の関係について考えてみよう。主人は奴隷を所有している。そして、奴隷が生み出したものは何であれ、主人の所有物になる。そうだね?」

「はい。先ほど仰った所有のルールそのものですね」

 

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奴隷になった作曲家の話

「ある作曲家が船旅の途中、船が海賊に襲われたとしよう。彼は奴隷商に売られ、ある主人に買われて奴隷となった。そうすると、それ以降に彼が曲を作ったとすれば、その権利は全て主人のものになる」

「まぁ、人身売買や奴隷制が合法であるなら、そういうことになるでしょうね」

「合法であるとして考えてくれたまえ。この時、作曲家が作った曲は作曲家が生み出したのであって、主人は曲作りに全く寄与していない。そうだろう?」

「たしかに」

「曲を生み出した手柄は作曲家にあるのであって、主人には全くない。曲を聞いて感動した人々も、作曲家に賛辞を送るだろう。それとも君は、作曲家ではなく主人の方に賛辞を送るかね?」

「いいえ、決して」

「しかるに奴隷の主人は、所有のルールに則り、作られた曲の権利を全てわがものにする。曲作りになんら寄与していないにもかかわらずだ」

「なるほど、たしかに。先生は、労働者が価値を生み出す場合もそれと同じだと仰るのですね?価値を生み出しているのは労働者であって、資本は価値を作っていないと」

「その通りだ」

 

労働者はパートタイムの奴隷

「しかし、今では人身売買は違法ですし、労働者と奴隷は違いますよ」

「たしかに現代の労働者は、かつてのアメリカ黒人奴隷のようなフルタイムの奴隷とは違う。しかし、パートタイムの奴隷だとは言えるのだ。いま私がフルタイムという言葉をどういう意味で使っているか、察してくれるかね?」

「ええ。24時間365日の、文字通りのフルタイムという意味ですね。それに対し、一日8時間、週5日働く労働者はパートタイムの奴隷だと。そうなのでしょうか」

「勤務時間中は命令に従って働かねばならず、その成果は全て資本の所有物になるのだから、勤務時間中に限って言えば、労働者は資本に所有されているのと同じではないかね」

「たしかに、労働者には所有のルールが適用されているようです」

「そうだとすると、労働者は一日のうち8時間は、資本の奴隷になっているのだ」

「そう言えるかも知れません」

「先ほど君はこう言ったね。資本が労働力を買った以上、その労働力が生み出したものがまるごと資本の所有物になるのは当然だと。これは、主人が奴隷を買った以上、その奴隷が生み出したものがまるごと主人の所有物になるのは当然だと言っているのと同じだ。これは奴隷所有者の論理なのだ」

「所有のルールは、奴隷を所有する者にとって有利なルールであり、不平等なルールだということですか」

「その通りだ」

「なるほど、分かりました。もし奴隷所有者の論理、つまり奴隷を所有したら奴隷が生み出した価値も全て主人のものというルールが不当だと言えるのであれば、同様に労働者の生み出した価値が全て資本のものになるというルールは不当だと言えそうですね」

「そういうことだ。それで、君はどう思うかね。奴隷所有者の論理は妥当なものだと思うかね」

「いいえ、現代の価値観に照らして言えば、不当なものだと思います」

「労働者についても同じだね?」

「そういうことになるようです」

 

機械が価値を作るのは誰の手柄か

「では、所有のルールは不当なものだと言ってもいいだろうか」

「ちょっと待ってください。労働者の場合は同意します。しかし、機械が生産をしている場合は違うのではないですか?機械は自分にも取り分をよこせと主張したりはしませんし、機械が作った価値が所有者たる資本のものになることに問題は無いと思いますが」

「そう思うかね。では、次の質問に答えてくれたまえ。機械が価値を生み出すのは誰の手柄だろうか?」

「曲作りの手柄が作曲家にあることを考えれば、機械それ自身の手柄でしょう」

「では、機械が手柄を立てられるのは、誰のお陰だろうか。資本が金で買ってくれたお陰かね」

「違いますね。資本が買おうが買うまいが、機械には生産をするポテンシャルがあります。作曲家に曲を作るポテンシャルがあるように」

「では、誰のお陰だろう」

「それは、機械を作った人でしょう」

「作った人というのは、手を動かして機械を組み立てた人のことかね。それとも、機械を設計した人のことかね」

「両方です」

「機械を作るのに必要な技術を開発した人々はどうかね」

「もちろん、その人々のお陰でもあります」

「基礎的な科学を発展させてきた先人たちはどうかね」

「もちろん、彼らの学問的な営為がなければ技術の発達もなく、機械が作られることはありませんでした」

「してみると、機械が動いて価値を作るのは大勢の人間達の営みのお陰なのだね?」

「そうなります」

「資本の手柄では全く無いのだね?」

「はい」

「では、機械が生み出した価値が全て資本のものになるのは不当だと言えるのではないかね」

「どうやら、そうなるようです」

「では、所有のルールは不当なものだと言っていいね」

「同意します」

 

結論

「労働によって価値が作られる場合も、機械によって価値が作られる場合も、資本はそれに寄与していないことが分かったと思う」

「理解しました」

「そして、資本が取引によって利益を得ても価値は生まれない」

「そうでした」

「結論としては、資本は価値を作らないということだ」

「そうだったのですね」

「どうかね。一番最初に簡潔な証明をしたが、あれで十分だったと思わないかね」

「今となっては、その通りだと思います」