資本は人間を不幸にする
「資本、つまり営利企業は人間を不幸にする」
「いやいや、唐突に何を言い出すんですか。そんなことはないでしょう。たしかに企業は金儲けをしますけど、企業が提供するモノやサービスは人間を幸福にしているはずですよ」
「そういう面も無いとは言えないね。しかしどうだろう。たとえば、ある企業が二つのプロジェクトのどちらかを選んで実行に移そうとしていると考えてくれたまえ。一つは人のためにはならないが儲かるプロジェクト、もう一つは儲からないが人のためになるプロジェクトだ。どちらが選ばれるだろうか」
「それはもちろん、儲かる方ですね。企業が慈善事業をやるわけがありません」
「そうだろう。企業の目的は利益を出すことであって、人間を幸福にすることではないのだ」
「うーん……」
「また、こういうことも言える。企業は労働者に支払う賃金をできるだけ低く抑えようとするだろう。それは、労働者の幸福を犠牲にして利益を増やそうとするということだ」
「そうかも知れませんけど、労働者や消費者の幸福に配慮する企業だってあるはずですよ」
「たしかに、無いとは言えないだろうね。しかし、人間の幸福に配慮して利益を削るような企業は、競争に負けてしまうことが多くなるだろう。競争に勝とうとするなら、人間に配慮などしない」
「そうでしょうか」
「2013年にバングラデシュで商業ビルが崩落して、1100人以上の人が亡くなった事故があったが、覚えているかね」
「ああ、たしかファストファッションの下請けの縫製工場が入っていたんですよね」
「うむ。ZARAやベネトン、ウォルマートなどの商品を作っていたようだ。これらの企業が安い価格で商品を売っても大きな利益を残せるのは、下請けの工場に支払う金額を最低限に抑えているからだ。そのため下請け工場は労働者に払う賃金を最低限に抑えるし、安全を確保するためにお金を使ったり操業を止めたりする余裕も無かった。事故は必然だったと言える。これらの企業は、バングラデシュの人々の幸福を犠牲にして利益を確保しているのだ」
「ふーむ……」
「私たち消費者の多くは季節ごとにファストファッションの服を買い込み、その多くをタンスの肥やしにしているわけだ。それで私たちはどれほど幸福になっているだろうか?」
「うーん……」
「考えてもみたまえ、もし企業の営利活動によって人間が幸福になるのだとすれば、資本主義先進国のアメリカでは国民がみんな幸福になっているはずではないかね」
「アメリカの国民は幸福ではありませんか?」
「不幸な人が多いと言わざるを得ないだろうね。特に大都市では家賃や物価が高騰して生活が苦しくなっている。ルームシェアしなければ家賃を払えない人も多いし、家賃が払えずホームレスになってしまう人もいる」
「ホームレス?働かずに生きるなら家が無くても仕方ないのでは?」
「いや、普通に働いているのに家賃が払えなくなり、仕方なく路上や車上で生活しながら働くという人が増えているのだよ」
「そうなんですか。それは知りませんでした」
「そもそも、住む部屋が無い人がいるというのは社会として異常ではないだろうか。たとえば君が旅行中にある村を訪れたとしよう。その村では村民全員に行き渡るだけの住宅が無くて、路上で暮らしている人がかなり居たとする。そうしたら、この村はなんて貧しいんだろうと君は思うのではないかね」
「たしかに」
「また、村に一つだけ立派な豪邸が建っていて、その周囲に粗末な小屋が多数あり、その小屋にすら住めない人々がいたとしよう。そうしたら君はこう思うだろう。あの豪邸に住んでいる人は裕福そうだが、大多数の村人は貧しい暮らしをしていて不幸せそうだと。違うかね?」
「その通りです」
「この村の社会としてのあるべき姿は、豪邸を建てる前に、村人全員が住めるだけの住居を作ることなのではないかね」
「まったく、仰る通りだと思います。アメリカの住宅事情はこの村のようになっているというわけですね。どうしてそうなってしまうのでしょうか」
「資本が人間を道具あつかいして、金儲けという目的を追求するからだ。資本の目的は利益であり、人々の幸福ではない」
「そうなのですか?資本が利益を追求すると、どうして家賃が高騰するのでしょう」
「理由の一つは、資本は大金持ちに向けてビジネスをしがちだということ。つまり、安い住宅を作るより高級住宅を作って売ろうとする。その方が儲かるからね」
「ああ、最近の日本だと、タワーマンションが盛んに建てられましたね」
「そうだね。理由のもう一つは、住居は必需品だということ。儲けを増やすために家賃を高くしても、どうにかして払おうとしてくれるからね」
「なるほど、たしかに」
「アメリカ国民の不幸は家賃の高騰だけではないぞ。医療費が異常に高く、また医療保険も高すぎて普通の人は事実上加入できないということがある」
「軽い虫歯を治すだけで数万円かかってしまったという話は聞いたことがありますね」
「うむ。虫垂炎、俗に言う盲腸で手術して入院ということにでもなれば、どんなに安くても100万円、高ければ500万円ということもある」
「キツい出費ですね」
「生活が苦しくて貯金など出来ない人が多いから、借金になってしまう。金利の支払いでさらに生活は苦しくなる」
「悪循環ですね」
「虫垂炎のように比較的処置が簡単な病気でもこれだ。もっと重い病気ならさらにひどいことになる」
「無保険では、ちょっと病院には行けませんね」
「まさにそうなのだ。風邪程度で病院に行かないのはもちろんだが、強い腹痛などの症状があっても我慢して、どうにか自然に治ることを祈る人が多い」
「痛みを我慢して祈るしかないのだとしたら、原始人みたいなものですね。医療の無い原始時代なら我慢して祈るしかありませんから」
「まぁ、命の危険を感じたら救急車を呼んで病院に行くことも出来るのだから、原始人よりはマシだがね」
「うーむ……」
「このように病院があるのに行けない人がいるというのも、社会として異常なのではないだろうか。先ほどの村で考えてみようか。私が村人で、腹痛で苦しんでいるとする。君は旅人として私に質問してくれたまえ」
「――大丈夫ですか?お腹が痛いのですか?」
「はい、こんな腹痛は初めてで」
「医者に診てもらった方がいいのでは?」
「それは無理です」
「この村には医者がいないのですか?」
「医者はいます。あの豪邸に住んでいる一家の、お抱えの医者がね。最先端の医療技術を持っているらしいですよ」
「村人のことは診てくれないんですか」
「診てくれますよ、お金さえ払えばね。でも、あまりにも高すぎて払えないのです。我慢するしかありません」
「そんな馬鹿な……」
「命の危険を感じたら、やむなく診てもらうかも知れません。でもそうしたら、私は娘を奴隷として売らなければならないでしょう。――というようなことになるわけだ」
「なるほど」
「村には医者がいて、病気の村人を診て治療することができるのに、そうしない。これは社会としておかしいだろう。病気の村人がいれば医者が治療する、医者の生活は村全体で保証するというのが、社会としてあるべき姿ではないかね」
「たしかに。医者がいて、病人がいるのに治療しないというのでは、君は何のために医者になったのかと聞きたくなりますね」
「そうだろう」
「どうしてそうなってしまうのでしょうか」
「資本が人間を金儲けの道具と見るからだ。資本から見れば、病気の人間は金儲けのタネでしかない」
「資本の目的は利益の追求であり、人間を健康にすることは目的ではない。……ということですね」
「その通り」
「日本も将来、アメリカのような国になってしまうのでしょうか?」
「あり得ない話ではないね。日本でも資本を可能な限り自由にして、資本のやりたいようにやらせ、政府が資本の言いなりになってしまうとすればね」
「そうならないように、気をつけなければなりませんね」