経済学を疑え!

お金とは一体何なのか?学校で教えられる経済学にウソは無いのか?真実をとことん追求するブログです。

資本を正しく定義して資本主義の本質を掴もう

資本主義はおかしな制度

「資本という言葉には、より良い定義が必要だ」

「また唐突ですね。何の話ですか」

「ふむ、どこから話したものかな。君はこの資本主義社会はおかしいとは思わないかね」

「何がですか?」

「たとえば、生産性の向上と労働時間の問題がある」

「と言うと?」

「我々人間は、様々な道具や機械を作ることによって、生産性を高めてきた。そうすると、だんだんと人間が働く必要は無くなっていくはずだろう」

「まぁ、普通に考えたらそうですよね」

「しかし実際にはそうならない。たとえば、自動運転が実用化されてタクシーの運転手たちが解雇されたとしよう。彼らは働く必要が無くなって遊んで暮らせるようになるかと言うと、そうではないだろう」

「当たり前ですね。別の仕事を見つけないと」

「仕事の口が減った分だけ皆で仕事を分け合うとすれば、全員の労働時間を少しずつ減らすことも出来るはずだ。しかし、そうもならない。皆これまでと同じように長時間働かされる」

「そうですね」

「これはおかしなことではないだろうか」

「おかしいですか?」

「生産性が向上して人間の仕事が減りました。さて、労働時間を減らしますか?それとも新しい仕事を作りますか?こんな選択肢を企業が労働者達に提示したことは今まで一度も無かったし、これからも無いだろう*1」

「まぁ、そうでしょうね」

「我々と子孫たちが未来永劫フルタイムで労働しなければならないのだとすると、一体何のために生産性を向上させているのだろうか?」

「うーん……」

「100年後の未来を想像してみてほしい。キラキラした街並みで、美しい乗り物が空を飛び交い、我々には想像もできないような娯楽にあふれているかもしれない」

「楽しそうですね」

「しかしその街の住人に話を聞いてみると、みんな現代と同じように上司に詰められながらフルタイムで働いていて、クビになりそうだとか、仕事が見つからないとか、リスキリングがどうとか言っているのだ。そんな未来を夢みて、我々は今がんばって生産性を向上させているのだろうか?」

「それはおかしな話ですね」

「そうだろう。資本主義は人間にとって、おかしな制度なのだ」

資本主義を理解するには

「資本主義がおかしな制度なのだとしたら、もっとマシな制度にできないんですか?」

「それを考えるためには、まず資本主義というものがどういうものなのか、その本質を分析して理解する必要がある。その分析をやってくれたのがマルクスだ」

「マルクスですか?共産主義を主張した人ですよね。オワコンなのでは?」

「いや、マルクスの真骨頂は資本主義の分析と批判にある。その分析と批判は非常に鋭く、現代社会に対する批判としても十分に通用するほどだ」

「そうなんですか?だとすると、資本主義の本質はマルクスの当時と現代とで変わっていないと?」

「その通り。だから、マルクスの資本論を読んで理解することには、現代においても非常に大きな意義がある」

「そうなんですね」

「だがここで、一つ大きな問題がある」

「何ですか?」

「資本論は難しいし、長いのだ。これを通読して理解できる人は少ないだろう」

「そうなんですか」

「資本論を難しいものにしている要因はいくつもあるが、最大の要因は資本という言葉の定義の分かりにくさだろう」

「マルクスはどう定義しているのですか?」

「資本とは、自己増殖する価値の運動である」

「価値の運動……?」

「資本とは運動であると言われても、イメージが難しいだろう。また、マルクスはこうも言っている。資本は物ではなく、物によって媒介された人と人との社会的関係である」

「社会的関係……?」

「資本とは社会的関係であると言われても、これまたイメージが難しい。そもそも、運動なのか関係なのかどっちなんだという話だ」

「たしかに分かりにくいですね」

「資本という言葉にはもっと良い定義を与えることが出来ると私は考えている。理解しやすく、かつ資本の本質を含んでいるような定義がね」

「本質を含む?良く分かりませんが、そのように定義するとどうなるのですか?」

「その定義から出発して論理的に推論をしていけば、資本主義というものの本質を、そして資本主義がどんな帰結を生むのかを知ることが出来る。極論すれば、資本論を読む必要は無くなる」

「そんなことが可能なのですか?信じられませんね」

資本の定義を考える

「ものは試し、やってみよう。まず、資本と我々人間との関係を考える。資本と人間はどう関わっているだろうか」

「資本ってざっくり言えば企業のことですよね。人間は企業に労働力を提供して、給料を受け取ります」

「そうだね」

「それから、人間は企業から商品を買います」

「その通り。労働力も商品だと考えれば、資本は人間との間で商品の売買をしているね」

「そうですね」

「いわば、商品と金銭とを交換するゲームだ。商品と金銭の交換のことを商金交換と呼ぶことにしよう。商金交換のゲームを通じて、資本は利益を得ようとする。つまり、ゲームに勝とうとする」

「ふむふむ」

「ここで、資本と人間の共通点が見つかる。どちらも商金交換ゲームのプレイヤーだという点だ」

「たしかに」

「ある程度、資本と人間は似ているのだ。だから、資本と人間とで何が共通していて何が違っているのかを整理すれば、我々は資本とは何かを明確に知ることが出来るだろう。なにしろ、我々は人間というものを良く知っているのだから」

「そうですね、私たちは人間ですからね。人間と資本との違いが分かれば、資本のことも良く理解できるはずです」

資本と人間の違い

「資本と人間は、何が違うだろうか」

「うーん。人間には、身体があります」

「そうだね。人間が肉体を持ったリアルな存在なのに対し、資本は肉体を持たないバーチャルな存在だ。人間は実在するプレイヤーであり、資本は架空のプレイヤーだと言える。他に違うところは?」

「先ほど先生も仰ってましたが、資本は利益を追求します」

「そうだね。でも、人間もお金を欲しがるよ。ゲームに勝って利益を得られる方が望ましいことには変わりない。何が違うんだろうか?」

「うーん、お金の使い方が違うと思います。人間は自分が生きていくために、食料を買って食べたりします。資本の場合、食料を買うことがあったとしてもそれは売って利益を得るためで、自分で食べるためではありません」

「その通り。人間には様々な欲求があって、美味しいものを食べたいとか、安全な場所に住みたいなどと考えている。金銭はそれらの欲求を満たすための手段であり、金銭それ自体が目的なのではない」

「そうですね」

「これに対し、資本には肉体が無いので人間的な欲求も無い。利益を得て金銭が増えたら、その金銭はさらなる利益を得るために使われる。資本は純粋に利益だけを追求するのだ」

「なるほど」

「ここまでをまとめて、資本を定義してみよう。まず、商金交換ゲームのプレイヤーのことを経済主体と呼ぶことにする。資本は架空の経済主体だ。そして資本は利益の追求という唯一の目的を持っている。よって資本の定義はこうなる。資本とは、利益の追求を唯一の目的とする架空の経済主体である」

「人間が経済主体であるのと同様に、資本も経済主体だということですね。とても分かりやすい定義だと思います」

資本と人間の関係

「さて、資本には身体が無い。つまり、手足も無ければ脳も無い。資本それ自体だけでは、世の中に何の影響も与えられない。商金交換のゲームもできない」

「じゃあどうするんですか」

「資本の手足となって働いてくれるのは、労働者と呼ばれる人間たちだ。資本は労働力という商品を買う。そうすると、労働者は資本の手足となって働いてくれる」

「なるほど」

「資本には脳も必要だね。資本の脳となって働いてくれるのは、経営者と呼ばれる人間だ。経営者は経営を行うが、これも経営労働という労働の一種だと解釈できる。つまり、資本は経営者からも労働力という商品を買うことで、経営を人間に委託する」

「なるほど。経営者から見ると、経営労働の労働力を資本に売ることで経営を請け負い、実際に経営をして、対価として資本から金銭を受け取るわけですね」

「そういうことだ。このように考えれば、次のように言える。資本それ自体は商金交換しかしない。また、資本と人間の関係は商金交換ゲームのプレイヤー同士、対戦相手だ」

「たしかに」

「もっと言えば、資本と人間は敵対している」

「敵対?資本と人間は共存共栄の関係にあるのでは?」

「ゲームの対戦相手なのだから、一方が利益を得ればもう一方は損をしていることになる」

「でも、ウィンウィンということもあるでしょう」

「商金交換ゲームは合計がゼロになるゲーム、つまりゼロサムゲームであって、全体としてウィンウィンにはならない。局所的にはウィンウィンもあり得るが、その場合はその両者の勝ち分だけ別の誰かが負けているのだ」

「どういうことですか?」

「たとえば、君がユニクロに行って服を定価で買ったとしよう。品質の割に安いので君は得したと感じる。ユニクロも定価で売れて粗利を得た。ウィンウィンと言っていいね。この場合、負けているのはバングラデシュのような途上国にある下請け工場で働く労働者たちだ」

「そうなんですか」

「極めて低い賃金で働かされているからね。彼らから巻き上げた勝ち分を、ユニクロと君とで分け合っている。ウィンウィンというのはそういうことだよ」

「なるほど……。聞かなければ良かったかも」

資本は全てを手段として利用する

「資本は利益の追求を唯一の目的とする、と定義したね。目的が一つしか無い場合、それ以外の全ては目的のための手段として利用される」

「そうなりますか?」

「逆に、そうならない理由があるだろうか。資本の手の届くところにAというものがあるとする。Aはモノでも動物でも植物でもなんでもいい。Aを利用すると利益が得られると分かっている時、その資本がAを利用しない理由が何かあるかね?」

「うーん、法律で禁止されてるとか?」

「そうだとしたら、資本にとってAは利用できないのであり、手の届かないところにあるのと同じことだ」

「ああ、そうですね。利用できて利益が得られるなら、利用するに決まってますね」

「そうだろう。これに対し、目的が複数ある場合には普通、全てを手段にすることは出来ない」

「どういうことでしょうか」

「たとえば、君が500万円の車を欲しがっていて、お金は持っていないとしよう。しかし君には子供が一人いて、その子を売り飛ばせば500万円手に入るとする。君は子供を売るかね?」

「まさか。売るわけないでしょう」

「もし、君にとっての目的が車を買って乗ることだけだとしたら、君は子供を売るだろう。しかし、子供と一緒に暮らすこと、子供を育てることなども目的としているなら、子供を売ることは出来ない。君が子供を売らないということは、君の目的は唯一ではないということだ」

「なるほど」

「逆に、目的が唯一である資本は、全てを手段として利用する」

「具体的には何を手段として利用するのでしょう」

「文字通り、全てだ。金銭、人間、工場、土地、動植物、水、鉱物資源、自分以外の資本。なんでも手段として利用できる。これらのうち、どれが一番重要な手段だと思うかね?」

「金銭ですか?これが無ければ始まりません」

「それはまあ、たしかにそうだね。金銭は除外するとしたら?」

「それなら、人間ですね。経営者や労働者がいなければ、資本は何も出来ませんから」

「その通り。また、資本は消費者としての人間も利用するね」

「要するに資本は、最も有用な金儲けの道具として人間を見ているということですか」

「そうなるね」

「でも、労働者は労働力と引き換えに賃金を受け取っていますよ。労働者も資本を利用していると言えるのですから、イーブンな関係なのでは?」

「いや、ゲームの勝ち負けで言えばイーブンではないのだ。資本が利益を得ているなら、人間は損失をこうむっている」

「ああ、ゼロサムゲームなのでしたね。資本が利益を得る時、人間は損をしていると。うーん……そう言えば先ほど、資本と人間は敵対しているとも仰ってましたね。もしかして、資本は人間を搾取するってことですか?」

「その通り。ほら、資本論を読む必要は無かっただろう」

「そういうことですか。資本の良い定義から出発して推論するだけで、資本は人間を搾取するってことが導けたわけですね」

利益を最大化するには

「うむ。では次に、道具として利用する対象から利益を最大限に引き出す方法を考えよう。たとえば、資本がある虫に目をつけたとする」

「虫ですか」

「この虫が出す分泌液が香水の原料になるため、高く売れるとする。でも、どうすればその虫を上手く増やせるのか、またどうすればその分泌液を多く出すのかは分かっていない。君ならどうする?」

「いろいろと実験して確かめてみるでしょうね。食べさせるエサを変えてみたり、気温や湿度を変えてみたり。明るさも関係あるかも知れませんね」

「そうだね。要するに君は、その虫の性質を調べるのだね?」

「はい」

「性質というのは、どんな刺激を与えればどう反応するのかということだね」

「そうですね」

「調べて分かった性質を利用して、虫に刺激を与え、こちらの求める反応を最大限に引き出すわけだ」

「その通りです」

「資本はこれと同じことを、他の利用対象に対しても行う。当然、人間に対してもだ」

「人間にもですか。資本は人間の性質を調べて、その性質を利用して人間から利益を引き出すということですか?」

「そうだ。心当たりは無いかね」

「うーん、広告を見てその商品が欲しくなってしまうのは、そういうことですかね」

「そうだね。広告を含めマーケティングというものは、人間の性質を調べて利用することで利益を引き出していると言えるね」

「マーケティングって、消費者が欲しがっているものを調査して、それを提供するってことじゃないんですか?」

「そういう真っ当な面が全く無いとは言わんが、それだけでは十分な利益は得られないだろう。必要の無いものをどうやって買わせるか?というような技術がどうしても必要になる」

「そんなの、ソフトな押し売りじゃないですか。でもたしかに、つい買ってしまったけど良く考えたら必要なかったなんてことは良くありますね」

「何と呼ぶにせよ、資本はマーケティングの理論を利益のための手段として使うのだ。他にも資本は行動経済学などの知見も使う。人間にどんな刺激を与えたらどう反応するか、ということだからね」

「なるほど。心理学についても同じことが言えるでしょうね」

「そうだ。要するに、資本は学問も利益のための道具として使う」

「それはそうだと思いますよ。学問から得られた知見を資本が利用して、利益につなげる。普通のことではないですか?」

「少し誤解があるようだね。もっとあからさまな表現を使おうか。資本は学問を道具として利用して人間から搾取する」

「学問は搾取の道具ってことですか……。えーと、学問というものは人間の利益のために発展させるものだと思っていたのですが、その学問が人間から搾取するために道具として利用されると?」

「そうだ」

「もしかして、資本が利益のために、都合の良いように学問をねじ曲げることもあると言ってます?」

「うむ。数学や物理学のような学問の場合は、資本の勝手な思惑でねじ曲げることは出来ないだろう。しかし、そうできる学問に関しては、それで利益を得られるなら、そうするだろうね」

「とんでもないこと言ってますね。具体的にはどんな学問が?」

「それはまた別の機会にしよう」

「えー……」

本質を含む定義

「さて、今回話したことをまとめよう。資本という言葉の良い定義を考えた。その定義から出発して簡単な推論をするだけで『資本は人間を搾取する』とか『資本は全てを利用する』という風に資本の性質を導けた」

「はい」

「マルクスも同様のことを言ったが、それは商品の分析に始まって長々と理論を積み上げた上で結論したのだ」

「そんなことをしなくても、ショートカットできたわけですね」

「その通り。なぜそんなことが出来たかと言えば、資本の本質が含まれるように資本を定義したからなのだ。事物に“良い定義”を与えることがいかに大切か、良く分かるだろう」

「たしかに……」

「何か質問はあるかね?」

「実は一つ、引っかかっていることがあります。商金交換ゲームがゼロサムゲームというのは本当でしょうか。合計がプラスになってもいいような気がしますが」

「もっともな疑問だ。それも別の機会に説明しよう」

 

*1:もちろん、労働者側からの圧力によって労働時間を一日8時間までとするルールを作ってきた歴史もあります。しかし現在でも毎月何十時間も残業させられている労働者は多いし、途上国での労働条件はさらに過酷です。