「今回は、土地を私有することの不当性についてもう一度考えてみよう」
「もう一度って?前にもやったっけ?」
「『地代の正当性を疑う』というタイトルで話しただろう」
「そうだっけ。どんな話だった?」
「おおまかに2つの話をした。一つ目は、土地を所有する方法の話。『この土地は私が所有した』と宣言して、暴力を背景に他の人を黙らせればその土地を所有したことになるってことを話した」
「お金を出して買うんじゃなくて?」
「それは既に所有されている土地を譲り受ける場合の話だね。そうじゃなくて、もっと根本的な話。最初の所有の話だよ」
「ふーん」
「これは、国家による国土の領有についても同じことが言えるよ」
「そうなの?」
「『この土地は我が国が領有した』と宣言して、暴力を背景に住民と他の国を黙らせればその土地を領有したことになる」
「なるほど。そうかもね」
「二つ目は、地代を取ることの不当性の話。もともと誰のものでもなかった土地を私有してレンタル料を取ることは、全ての空気を私有してレンタル料を取るのと同じように不当なことだって話をした」
「ふーむ」
「でも、読者の中にはこれらの話に納得してくれない人が結構いたんだ」
「(読者……?)」
「たとえば、最初に土地を占有した人は苦労してその土地を開墾したんだから、土地を所有する権利があるだろう、とかね」
「ふむ。まぁ、分かるわ」
「だから、もうちょっと分かりやすいたとえ話が出来ないか、考えてみたんだよ」
「ほう。出来たの?」
「まぁね」
「聞きましょう」
「まず、近所にあるような小さな公園をイメージしてみて。ベンチやブランコ、砂場などがある」
「したわ」
「この公園が地球に相当するよ」
「えっ?ちょっとよく分かんないけど……」
「公園って、誰のものでもないよね。同じように、地球も誰のものでもない」
「うーん……、公園は市とか区とかのものじゃない?」
「そうだけどね。自治体とか役所の人間のことは神だと考えよう。公園にいる人間が、地球に住む人間に当たるよ」
「ふーん。公園には誰がいるの?」
「誰でもいいけど、ドラえもんの登場人物がいるとでも思って」
「ふむ」
「公園は誰のものでもないし、もちろん公園にある遊具も誰のものでもないよね」
「自治体のことを考えなければ、そうね」
「ジャイアンがこんなことを言い出したらどうだろう。『今日からこのベンチは俺のものだ。勝手に座ることは許さない』」
「何勝手なこと言ってるの」
「『このベンチに座りたければ使用料を払え』」
「イヤよ。ベンチは誰のものでもないんだから、勝手に座るわ」
「勝手に座ったら殴られるとしたら?」
「役所の人に言う」
「神はこの世界に干渉してこないんだよ」
「うーん。じゃあ、座らないで我慢するわ」
「ジャイアンは、のび太からベンチの使用料を徴収している。これは正当なことだろうか」
「そんなわけないでしょ。だいたい、何を根拠にベンチが俺のものだなんて言ってるのよ」
「根拠は無いよね。ただ、俺のものだと宣言して他の人を黙らせただけだ」
「不当だわ」
「じゃあ、スネ夫がこのベンチの権利をジャイアンから買ったらどうだろうか」
「えっ?」
「スネオがベンチの使用料を徴収することは正当なことになる?」
「うーん、ならないと思う。だって、ベンチはもともと誰のものでもないんだから」
「そうだよね。じゃあ、現実の世界でお金を出して土地を買ったとしても、その土地を使う人から地代を取るのも不当なことだってことにならない?」
「うーん……。そうなのかなぁ……」
「まぁ、それは置いておこう。またジャイアンはこんなことを言い出した。『今日からこの砂場は俺のものだ。なぜなら俺がこの砂場にトンボをかけて平らにならしたからだ』」
「何それ」
「砂場を平らにしたら、ジャイアンは砂場の所有権を得られるのだろうか」
「そんなわけないでしょ」
「どうして?」
「だって、ジャイアンが砂場を作ったわけでもないくせに、砂をちょっと平らにしたぐらいでジャイアンのものになるわけないでしょ」
「そうだね、その通りだ。そうだとしたら、人間が作ったわけでもない地球の一部の表面をちょっと平らにしたくらいで、土地がその人間のものになるわけないよね」
「……そうね」
「こういうのはどう?『公園のこの区画は今日から俺のものだ。なぜなら俺がこの区画の草むしりをしたからだ』」
「ジャイアンが草むしりなんかするかな」
「仮にしたとして、どう?」
「同じことよ。公園は全部、誰のものでもないんだから、草むしりしたからってジャイアンのものにはならないわ」
「そうだね、その通りだ。そうだとしたら、誰のものでもない土地に生えてる木々をちょっと取り除いて綺麗にしたくらいで、土地がその人間のものになるわけないよね」
「……そうね」
「トンボで地面をならすことも、草むしりをすることも、区画の所有を正当化する理由にはならない。同じように、荒れた土地を開墾することも、土地の所有を正当化する理由にはならないんだ」
「うーん。そうかも知れないけど、じゃあ、墾田永年私財法はどうなるのよ。開墾したら土地を所有できたんでしょ?」
「それはね、まず、国土というものは国家が暴力によって領有しているよね」
「そう言えるかもね」
「その、暴力によって領有している国土の一部を、国内のルールによって、特定の人に“所有”させたということだ。この“所有”は、国家のルールによる“所有”だよ」
「良く分かんない」
「つまり、所有には2つの階層があるんだ。土台にあるのが国家による領有。これは軍という国家の暴力によって確保され、他国から守られている」
「ふーむ」
「その上にあるのが、国内のルールによる“所有”だ。これは警察や裁判所などの国家の暴力によって確保され、国内の他者から守られている」
「なるほどねぇ。でも、そういう風に説明されると、所有って良いもののようにも思えるんだけど」
「ルールによって秩序が保たれているという、良い面もあるね」
「ふーむ……。ところで、国内の“所有”が国内のルールによるものなんだとすると、外国の人には関係ないってこと?」
「国内の“所有”を他国の人が尊重するかどうかは、国家間の力関係と取り決めによる」
「力関係によっては、尊重されないこともあるの?」
「たとえば、終戦直後には『この土地と建物はGHQが接収する』と言って国内の“所有”が無視されることもあった」
「あー、たしかに」
「結局、所有というものは暴力に裏打ちされているんだよ」
「ふーむ……」
「所有の本質は、『所有した』と宣言して、暴力を背景にして黙らせることにある。客観的に“正しい”所有とか、神が認めるような所有というものは無いんだ」
「なるほど……。分かりやすく言うと?」
「全ての土地は、世界中のジャイアン達によって所有されている。あるいは、ジャイアンに金を渡して所有権を得ている。そして、その所有はジャイアン達の暴力によって守られ、維持されている」
「分かりやすい」
「そして、ジャイアン達は土地の所有によって地代を徴収し、遊んで暮らせるというわけだ」
「なるほど」
(以下、ルソー「社会契約論」より引用)
ある個人や人民が、広大な領土をみずからのものと主張して、ほかの全人類をそこから締めだすようなふるまいをすることは、横領であり、処罰に値する行為ではないだろうか。それは自然が人間に共同のものとして与えた住居と食べ物を、ほかのすべての人から奪う行為ではないだろうか。[スペインの探検家の]ヌニェス・バルボアが海岸に上陸しただけで、カスティリヤ王の名のもとで、南の海[太平洋]と南アメリカの全土を、占有した[と主張した]とき(19)、それだけですべての先住民からこの土地を奪うことができ、世界のすべての君主をここから締めだす権利が認められたとでもいうのだろうか。こうした[空虚な]儀式は空しく増えるばかりであった。そしてカトリックの王[カスティリヤ王]は執務室にいながらにして、一挙に全世界を占有したと主張したのであり、あとは他の君主がそれまでに占領していた領土を、自分の帝国に含まれないものと認めるだけでよかったのである。