経済学を疑え!

お金とは一体何なのか?学校で教えられる経済学にウソは無いのか?真実をとことん追求するブログです。

「お金は数字にすぎない」ので気軽に10万円もらおう

はじめに

前々回の記事では、お金や国債は統合政府が作ったクレジットにすぎないという話をしました。

ここで言うクレジットとは、ゲームセンターの店主がゲーム機内部のボタンを押して増やしたクレジットのようなもの、という意味です。

 

whatsmoney.hateblo.jp

 

ゲームのクレジットは数字にすぎないですよね。

同様に、「お金は数字にすぎない」わけです。

しかし、「お金は数字にすぎない」の意味を本当に理解している人はそう多くないようです。

読者の皆さんも、分かるような、分からないようなという方が多いのではないでしょうか。

今回の記事では「お金は数字にすぎない」の本当の意味を、私なりに説明してみたいと思います。

 

何が問題なのか

「お金は数字にすぎない」の意味が分からないと何が問題なのかというと、お金が何か価値のあるモノ(=財)であるかのように感じてしまうことです。

つまり、お金と、金貨のような実際に価値のあるモノとを同一視してしまうんですね。*1

お金が金貨のようなものだと思っていると、政府が国債を発行したり日銀が紙幣を印刷*2したりして政府支出をすることが、何か「とんでもないこと」のように思えてしまいます。

また日常生活の中でも、お金が金貨のようなものだと思っていると以下のような弊害があります。

  • お金が減ることを極端に恐れてしまう
  • お金を借りることを必要以上に恐れてしまう
  • お金を稼いでいないことで極端に自己卑下してしまう
  • 借りたお金が返せないことを苦にし、時に命を絶ってしまう
  • 金の亡者のようにお金を稼ぐことばかり考えてしまう

「お金は数字にすぎない」ことを正しく理解すれば、政府により正しい政策を求めることが出来ますし、日常生活も今よりずっと心安らかになるでしょう。

 

現金と預金に対するイメージ

「私は現金10万円を持っていて、預金残高が20万円ある。預金を引き出せば現金が30万円になるから、30万円分の買い物が出来る」

多くの方は、このような考え方をしていると思います。

しかしこのような考え方をしていると、お金がモノ(=財)であるという感覚から抜け出すことが出来ません。

お金は財(モノやサービス)ではなく、数字にすぎないのです。

このことを理解するため、以下のような考え方をしてみてください。

「私は300,000円分の買い物ができるだけの購買力、300,000ポイントを持っている。その確かな証拠が、手元にある一万円札という紙切れ10枚と、預金通帳の200,000という数字だ」

このように考えると、現金も預金も数字であることをイメージしやすくなるでしょう。

買い物に使えるのは300,000ポイントという数字であり、50,000円の値札が付いたモノを買えば250,000ポイントに減ります。

この時、購買力の証拠となるもの(現金5万円か、預金通帳の数字50,000)が減っています。

いずれにせよ、買い物に使ったのは300,000ポイントという数字のうちの50,000ポイントです。

私たちは数字を増やしたり減らしたりしながら商品を売ったり買ったりしているのです。

 

お金はメーターの針が指す数字

ほとんどの人は、車のスピードメーターを見たことがあると思います。

数字が書かれた目盛りがあって、スピードが変わると針が動いて目盛りのどこかを指しますよね。

お金というものは、スピードメーターの針が指す目盛りの数字のようなものです。

今針が指している数字が、今持っているお金の残高です。

何かを買えば針が左に動き、何かを売れば針が右に動きます。

私たちはそれぞれがお金メーターを持っていて、針を左右に動かしながらモノやサービスを売り買いしているわけです。

このように考えれば、お金が金貨のようなものではなく数字にすぎないことがイメージできると思います。

 

お金と商品の交換は等価交換ではない

お金は数字にすぎず、購買力はありますが価値はありません。

(私は使用価値のことを価値、交換価値のことを購買力と呼びます。購買力については前々回の記事を参照してください)

その一方、商品には購買力も価値もあります。

ですから、お金と商品との交換は等価交換ではありません。

私たちは、商品と商品とを交換したいのであって、お金を手に入れてそれで終わりではないですよね。

たとえば、労働という商品を売ってお金を得て、そのお金と交換に食べ物を得たいわけです。

労働を提供して、食べ物を得て、それでやっと商品と商品という等価なものの交換が完了するのです。

ですから、お金と商品との交換は等価交換の半分にすぎません。*3

お金と商品の交換が等価交換だと思っていると、お金が金貨のようなものに見えてしまいます。

 

お金はマイルのように作られる

お金というものは、本質的には航空会社が発行するマイルと同じようなものです。

マイルが数字にすぎないことはイメージしやすいでしょう。

航空会社はコンピュータに数字を打ち込むだけでマイルを作り出すことが出来ますよね。

マイルが発行される時、そのマイルに対応する金貨はありません。

ただ、数字が打ち込まれて残高が増えるだけです。

それと同様に、統合政府(の中央銀行部門)もコンピュータに数字を打ち込むだけでお金を作り出すことが出来ます。

お金が発行される時、そのお金に対応する金貨はありません。

ただ、数字が打ち込まれて残高が増えるだけです。

 

紙幣はマイルを紙に乗せたようなもの

マイルを使ってお店で買い物が出来るとしましょう。

お店がコンピュータを導入していて航空会社のコンピュータと接続されていればいいのですが、導入していないアナログなお店だった場合にはどうすればいいでしょうか。

支払いに十分なマイルをたしかに持っているという、航空会社発行の証明書があればいいですよね。

航空会社に依頼して、マイルの残高を1000減らす代わりに1000マイルを持ってることを証明する紙切れを作ってもらいましょう。

これをお店に持っていけば、1000マイルとして買い物に使えます。

お店はこの紙切れを別のところで使ってもいいし、航空会社に送ればお店のマイル残高を1000マイル増やしてもらえます。*4

この紙切れには1000マイルが宿っていると考えることが出来ますよね。

このマイルが宿った紙切れが、紙幣に相当するわけです。

日銀が作った紙切れには日銀が発行した当座預金(という数字)が宿っています。

 

預金通貨について

中央銀行がコンピュータに数字を打ち込むだけでお金を作り出すことが出来るのと同様に、銀行もコンピュータに数字を打ち込むだけでお金を作り出すことが出来ます。

銀行が作るお金は預金通貨と呼ばれ、中央銀行が作るお金(=ベースマネー)とは別のものです。

預金通貨が発行される時、その預金通貨に対応する金貨はもちろん無いですし、その預金通貨の全てに対応するベースマネーもありません。

ただ、数字が打ち込まれて残高が増えただけです。

日銀が作るお金(ベースマネー)と銀行が作るお金(預金通貨)との違いについては、こちらの記事を参照してください。

 

whatsmoney.hateblo.jp

 

お金は資源ではない

お金が金貨のようなものだと思っていると、お金が有限な資源であるかのように思えてしまいます。

いいえ、お金は数字ですから有限なものではありませんし、そもそも資源ではありません。

お金が資源だと思っていると、お金を失った時に何かを無駄にしてしまったような、たとえば高級ワインを丸ごと地面にこぼしてしまったような感覚になってしまいます。

しかし、お金を失ったとしても別に資源は失われないのです。

貴方の針が左に動いた分だけ、別の人の針が右に動いていますから、数字が動いただけのことです。*5

もちろん貴方個人は損をしたのかも知れませんが、世の中全体では何も失われません。

仮に紙幣が燃えてしまって単純に失ったのだとしても、世の中から資源は何も失われないのです。*6

 

もっと気軽に10万円もらおう

新型コロナウイルスの感染拡大を受けて、政府が一人10万円給付するそうですね。

これは、政府が一人10万円分のマイルを発行して配るようなものです。

つまり、政府は10万円分の金貨を配ってくれるわけではなく、数字を配ってくれるだけですので、気軽にもらって構わないのです。

「私はお金に困っていないので受け取りを辞退する」という人も居るようですが、受け取りの辞退は意味が無いどころか、有害ですらあります。

仮に1億人に10万円を配るなら、10兆円分の数字を購買力として配るということで、この10兆円分の数字の増加がモノやサービスの移動をスムーズにします。

モノを受け取りたい人は受け取ることができるようになり、モノを作って渡したい人は作って渡すことができるようになるわけです。

もし、1億人の半分が受け取りを辞退すれば、購買力を10兆円分配ろうとしたのに5兆円分しか配れないことになります。

配れなかった分だけ、モノやサービスの移動が阻害されてしまうのです。

もし貴方がお金に困っていないのであれば、10万円を受け取った上で、困っている人のところで買い物をして数字を渡してください。

受け取りの辞退は決して善いことではないのです。

 

もっと気軽に生活保護をもらおう

お金という数字が足りず生活に困っているのに、生活保護を受給しない人が結構いるそうです。

生活保護費はほとんど中央政府が出していて*7、マイルのように発行されますから、気軽にもらって良いのです。

「他の人に迷惑がかかるから」という感覚なのかも知れませんが、政府から数字をもらっても誰も迷惑しません。

それどころか、モノやサービスを買ってもらえるようになるだけ有り難いのです。

もし、「遊んで暮らすのは申し訳ない」と思うのであれば、何か世の中の役に立つことをしてください。

一人で公園の草むしりや道路の掃除をしてもいいでしょう。

何かしらのボランティア活動に参加してもいいでしょう。

世の中の役に立つことをして、堂々と生活保護をもらえばいいのです。

この資本主義の世界では金を稼ぐことが偉いかのような風潮がありますが、本当に重要なのは金を稼ぐことよりも世の中の役に立つことでしょう。

世の中には、何の役にも立たない仕事をして金を稼いでいる人も居ます。

それどころか、世の中に害をなす仕事をして金を稼いでいる人も居ます。

そういう人に比べれば、ボランティア活動をして生活保護をもらう人の方がずっと偉いのです。

堂々と生活保護をもらいましょう。

 

*1:金貨もそれを鋳つぶした時の素材価値より大きな購買力を持っているため、ちょっとややこしいですね。金地金と書いた方が良いかも知れませんが、分かりやすさを優先して金貨としています。

*2:実際には当座預金の発行です。

*3:ただし、等購買力交換とは言えます。

*4:航空会社に戻ってきた紙切れは廃棄されます。

*5:それと逆方向にモノやサービスが動いたかも知れません。

*6:紙という資源は失われていますが。

*7:3/4が国庫負担、残りの1/4は自治体負担ですが、これも地方交付税交付金中央政府から自治体に交付されるお金)で賄われます。