「最近、AIの話題が多いよね。アルファ碁とか、自動運転とかさ」
「そうだね」
「AIがどんどん発達していったらさ、私たちはあまり働かなくても生きていけるようになっていくのかな」
「世の中にロボットの概念が登場した時も、そういうことは言われたけどね。いま現在、どうだろう。ロボットのお陰で8時間労働が4時間労働になってるかな」
「うーん、今もみんな8時間以上働いてるけど……。でも、ロボットなんてまだ普及してないじゃない」
「そんなことはないよ。確かに家庭にあるのはお掃除ロボットとか、おしゃべりロボットぐらいだけど、工場にはロボットがたくさんあるよ」
「工場にロボット?見たことないけど」
「ロボットと言っても、顔があって手足があるようなロボットじゃないよ。産業用ロボットと言って、モノを作る機械のことだ。ある程度自動で動く機械なら、ロボットだと言えるよ」
「あー、工場の機械ね。確かに、人間の代わりに働いてるわね」
「他にも、銀行のATMなんかもロボットと言えるよ。銀行の窓口の人の代わりに仕事をしてるからね」
「なるほど。ロボットって意外に世の中に普及してるのね」
「うん。でも、人々の労働時間は別に減っていないよね」
「うーむ……」
「ロボットやAIが人間の代わりに働くことで、生産性が向上するんだけどね」
「生産性が向上するって、どういう意味?」
「簡単に言うと、同じだけのモノを作るのに、人間が働く時間を減らせたら生産性が向上したってことだよ*1」
「ふむふむ」
「生産性を向上させるのはロボットやAIだけじゃないけどね」
「ふーん。たとえば?」
「たとえば、素手で魚を捕る仕事をしている人は、モリや網を手に入れて使うことで生産性が向上するよね」
「ふむ。道具を使ったりすると生産性が向上するわけね」
「そうだね。で、生産性が向上した時に何が起きるのか。藤沢数希氏のたとえ話で考えてみよう」
10人の村の話
最初は貧しい自給自足の農村です。10人がみな朝から晩まで田畑を耕して必死に飢えないように食べ物を作っています。ところがある日、村人のひとりが肥料を発明しました。この肥料を使うと安定してたくさん野菜や果物や穀物を作れることがわかったのです。イノベーションです。おかげで10人でやっていた野良仕事を5人でできるようようになりました。そうすると残りの5人はどうなるかというと、失業してしまうのです。
「ふーむ。生産性が向上すると、失業が発生するのか……」
「そうだね。この後、失業した5人が新しい産業である漁業に従事することで経済が成長するんだ、と藤沢氏は説明している」
「なるほど」
「でも、ここには重大な見落としがあるんだ。藤沢氏は当然のように5人を失業させているけど、生産性が向上した時に失業が発生するのは当たり前のことではない」
「どういうこと?」
「君がこの10人の村の住人だったら、どうする?生産性が向上して、半分の労働時間で今までと同じだけの食べ物が作れるようになったら」
「えっ……。半分の労働時間でいいなら、半分だけ働いて、あとは遊んだり寝たりするけど……」
「そうだよね。少なくとも、そうする選択肢はあるはずだ。半分だけ働いて今までと同じ生活をするのか、同じだけ働いて今までよりたくさんのモノを作るのか。どちらか選べるはずなんだ*2」
「確かに……」
「今の資本主義社会では、生産性が向上した時に労働時間を減らすという選択肢は奪われているんだ。したがって、必ず失業が発生する仕組みになっている*3」
「ふーむ」
「失業した人は、『労働から解放された!』と言って遊んで暮らすわけにはいかないよね。収入を得るためには、どうしても新しい仕事に就くしかない」
「そりゃそうよね」
「結局、ロボットやAIが発達して生産性がいくら向上しても、一人一人の労働時間は減らずに失業が発生して、別の新しい仕事に就くだけなんだよ」
「いくら生産性が向上しても人々は労働から解放されないってことか……。うーん、それっておかしくない?生産性が向上していったら、働く時間が減っていくべきなんじゃないの?」
「そうだね。これからも今と同じ生活でいい、とみんなが思えば、生産性が向上するたびに労働時間を減らすことが“理屈の上では”可能だ。でも、“社会の仕組みとして”それは出来なくなっている」
「誰のための生産性向上なの?生産性向上で誰が得するの?」
「消費者として、新しいモノやサービスを消費できるという面もあるけどね。生産性向上で一番得をするのは資本家だよ」
「そんなの絶対おかしいよ!」
「今の資本主義社会の仕組みとしてそうなっているからね。おかしいと思うなら、社会の仕組み自体を変えるしかない」
「そうなのね……。そんなの無理だわ」
「でも、個人でも、この理不尽な仕組みと戦う方法も無いわけではない」
「そうなの?どうすればいいの?」
「それはまた今度」
「えー!」