はじめに
今回は、ビジネスで利潤を得ることの正当性を考えてみましょう。
(もちろん、正当性は無いというのが結論です)
たとえ話で説明するのですが、今回の話はプルードンの『所有とは何か』という本に出てくる靴作りの話*1をベースにして、私が作ったものです。
3人の村
Aさん、Bさん、Cさんの3人だけがいる村を考えましょう。
Aさんは生皮(原皮)の生産者です。
野生の動物を捕まえて生皮を作ります。*2
Bさんは皮なめし職人です。
生皮をなめして、なめし革を作ります。
Cさんは靴職人です。
なめし革を裁断、縫製して靴を作ります。
この村では、靴さえあれば森を歩き回って食べ物を得られるとしましょう。
靴さえ定期的に作っていれば皆が生きていけるわけです。
お金が無い場合
さて、この村の経済はどのように回るのでしょうか。
村にお金というものがなければ話は簡単です。
Aさんが靴3足分の生皮を作ってBさんに渡し、Bさんはそれをなめし革にしてCさんに渡します。
そして、Cさんが靴を3足作って3人で分ければ良いのです。
3人分の靴を作るという作業を3人で分担して、それぞれが靴を1足ずつ得るわけですから、何の問題もありませんよね。
このサイクルは何度でも繰り返すことが出来ます。
お金で取引する場合
お金を使って取引をする場合はどうなるでしょうか。
Aさんは3足分の生皮をBさんに30ドル*3で売ります。
Bさんは30ドルで買った生皮をなめし革にして、Cさんに60ドルで売ります。
この時点で、AさんとBさんの手元には30ドルずつあり、Cさんは60ドルのマイナスになっていますね。
この後、Cさんが靴を3足作ってAさんとBさんに1足ずつ30ドルで売れば、全員のお金が±0となり、全員が靴を得ることが出来ます。
めでたしめでたし。
靴を30ドルで売るなら、このサイクルも何度でも繰り返せます。
Cさんが靴を1足40ドルで売ることは出来ません。
AさんもBさんも、30ドルしか持っていませんからね。*4
もしどうしても1足40ドルで売るなら、AさんとBさんはCさんの家で掃除をするなどのバイトをして10ドル稼がなければなりません。
これは、3人で協力して靴を3足作って分け合った後で、AさんとBさんはなぜかCさんのためにタダ働きをしなければいけないということです。*5
それはおかしいですよね。
ビジネスで利潤を得るということ
この村に4人目の村人、Dさんが居たとしましょう。
Dさんはこの村で靴を製造・販売するビジネスをして儲けることを考えます。
- Aさんに30ドル払って3足分の生皮を作らせる
- 生皮をBさんに渡して30ドル払い、3足分のなめし革を作らせる
- なめし革をCさんに渡して30ドル払い、靴を3足作らせる
こうするとDさんの手元には3足の靴がやって来ますが、やはり靴は1足30ドルで売るしかなく、まったく儲かりません。
ではどうすればいいか。
- Aさんに30ドル払って4足分の生皮を作らせる
- 生皮をBさんに渡して30ドル払い、4足分のなめし革を作らせる
- なめし革をCさんに渡して30ドル払い、靴を4足作らせる
こうすれば靴を1足30ドルで(消費者としてのDさん自身を含めた)4人に売って、ビジネスとしては120ドルの売り上げを得ることが出来ます。
経費は90ドルですから、30ドルの儲けですよね。
このサイクルは何度でも繰り返すことができ、1回ごとにDさんは30ドルの儲けを(靴の形でですが)得られます。
Dさんの儲けは正当か?
この靴ビジネスでDさんが得る儲け(利潤)は、正当なものなのでしょうか?
このビジネスで行われているのは結局のところ、AさんBさんCさんの3人で4足の靴を作って、Dさんも含めた4人で分配するということです。
Dさんは何もしていないのではないでしょうか?
次のような反論があるかも知れません。
「いや、Dさんが3人をつないで1つの組織にしているから靴が製造されるのだ。Dさんはそういう仕事をしている。利潤を得るのは当然だ」
しかし、Dさんが居なくても3人は靴を作れますよね。
複雑なビジネスなら正当化されるのか
「この単純なビジネスではそうかも知れない。実際のビジネスはもっと複雑で、Dさんに当たる人の存在なしには成立しないはずだ」
いや、あえて単純化することで、ビジネスで利潤を得ることの本質的な正当性を考えているんですよ。
単純化した経済で考えて本質的に不当だと分かったら、複雑な経済の中の複雑なビジネスでも本質的には不当なはずです。
「複雑なビジネスなら利潤は正当だ」と言うのは「複雑なビジネスなら利潤の不当性が見えにくくなる」と言っているのと同じことです。
お金を先払いすれば利潤が正当化されるのか
あるいはこのように言うかも知れません。
「Dさんは90ドルの資本をもともと持っていて、3人にお金を先に支払っているのだから、儲ける権利があるのだ」
そうだとすると、3人がお金は後払いでいいと言えば、Dさんが利潤を得ることの正当性は無くなりますよね?
「いや、実際にはみんな生活をするためにお金を必要としているはずだ。必要なお金を供給してあげてるんだから、儲けてもいいはずだ」
そうだとすると、お金を貸して金利を取っている形になりますよね。
お金を貸して金利を取るのは正当かという話もありますけど、仮にそれは良いことにしましょうか。
しかし、もしDさんが銀行から90ドルを借りて3人に支払ったんだとすると、金利を取る権利は銀行にありますよね。
Dさんにはビジネスで儲ける権利が無いということでいいですか?
ビジネスを効率化したら利潤が正当化されるのか
「いや、実際のビジネスでは、そういうことじゃないんだ。Dさんに当たる人は、ビジネスを効率化することで利潤を得ているんだ」
効率化ですか。
それは、生皮作りや皮なめし、靴作りの工程を効率化するってことですよね。
でも、生皮作りを効率化するのはAさんだし、皮なめしを効率化するのはBさんだし、靴作りを効率化するのはCさんですよね。
各工程を効率化するときに、Dさんに出来ることってあります?
せいぜい「効率化しろ!」と言って尻を叩くぐらいじゃないですか?
それは「俺に金をよこせ!」と言って殴るのとあんまり変わらないですよね。
利潤の源泉は搾取
そもそも、Dさんが得る利潤の源泉はどこにあるのでしょうか。
Dさんは、Aさんから4足分の生皮を30ドルで買っています。
本来は3足分で30ドルですから、4足分なら40ドルになるはずです。*6
40ドルの価値がある物を30ドルで買い叩いているわけです。
この時点で10ドル儲かってますよね。
同じことをBさんとCさんに対してもやっていますから、合計30ドルの儲けが出るわけです。
つまり、3人の労働を本来の価値よりも安く買い叩くこと、これがDさんが得る利潤の源泉になっているのです。
Dさんは何も作っていないし、効率化に貢献もしていません。
これは搾取というほかないですよね。
ビジネスによる利潤の源泉は搾取であり正当性は無い。
これが結論です。