「メアリー……」
「どうしたのよ、ヤン。青白い顔して」
「俺、見ちまったんだ」
「何を?」
「俺たちの仲間の羊がな、ビルの奴に連れて行かれてよ……」
「ああ、羊飼いのビルさんね。別に珍しいことでもないじゃない。毛でも刈られたんでしょ」
「うん、俺もそう思ったんだが……。なんか嫌な予感がしてよ。後をつけたんだ」
「ふーん。それで、どうだったの?」
「まず、毛を刈られた」
「ほら、やっぱり」
「問題はその後なんだよ。いいか、落ち着いて聞けよ?」
「うん」
「……殺されちまった」
「は?」
「ビルの奴、俺たちの仲間の羊を、殺したんだ」
「な、何を言ってるのよ!ビルさんが羊殺しだって言うの?」
「俺だって信じられなかったよ。でも、この目で見たんだ!」
「何かの見間違いじゃないの?だって、ビルさんは、とってもいい人じゃない。いつも私たちの面倒を見てくれて、怪我とか病気とかしたら治療してくれるし」
「ああ、そうだよな」
「だいたい、ビルさんが羊殺しなんかして、何の得があるのよ。ビルさんは大金持ちなのよ?」
「そう思うよな。でも、たしかに奴は殺した。しかもな、妙に手慣れた手つきだったんだ。いつもやってることのように、奴は羊を殺したんだよ」
「常習犯だって言うの?ますます信じられないわ」
「メアリーの気持ちは分かるよ。俺だって、他の仲間から聞いたら信じられなかったと思う」
「……間違いないのね?」
「ああ」
「警察には?」
「言ってない」
「どうして?羊殺しなら、警察に通報して、逮捕してもらわないと」
「いや……。警察には言わない方がいいと思うんだ」
「どうしてよ」
「うーん、どう説明すればいいか……。あいつはな、殺しの作業を、顔色一つ変えず、鼻歌を歌いながらやってたんだ。手慣れた手つきでな」
「うん」
「それを見ていた時は、ただただ恐ろしかった。でもな、後でその光景を何度も思い返していた時、ある直感が脳裏に走ったんだ。この光景こそが、この世の真理の現れなんじゃないか?ってな」
「どういうこと?」
「つまり、本当は、羊飼いが羊を殺すのは、当たり前のことなんじゃないか。俺たちは何か根本的な勘違いをしているんじゃないか、って直感したんだ」
「羊殺しが当たり前?そんなわけないじゃない。れっきとした犯罪よ。法律が許さないし、道徳だって許さないわ」
「そういう話じゃないんだよ。どう言えばいいのかな。つまり、羊飼いと羊はそもそも対等じゃないんじゃないか。羊飼いにとって羊は、自分の利益のために利用できる“モノ”にすぎないんじゃないかってことだよ」
「羊を殺して、利用する?肉として売るってこと?」
「そうだ。あと、自分たちで食べたりな」
「まさか……。でも仮に、羊飼いがそんな風に考えているとしたって、羊殺しをしたら警察に捕まっちゃうじゃない」
「俺が言ってるのは、警察組織それ自体も、羊飼いの支配下にあるんじゃないかってことだ。そうだとすれば、逮捕なんかされないだろ」
「……ははーん、分かった。ヤン、あなた陰謀論にハマっちゃったのね。よく動画サイトとか見てたもんね」
「ああ、陰謀論系の動画なんかもよく見てたよ。でも、本気で信じちゃいなかったんだ。そんなことあるワケないだろってな。今のメアリーと同じだよ」
「ふーん?」
「でも今回の件で、パズルのピースがパチンとはまって、全てがつながった感覚があったんだ」
「真理を悟っちゃったってわけ?やれやれね。あのねぇヤン、私はあなたと違って高等教育を受けてるの。首席で卒業したしね。だから、あなたなんかより世の中のことはよーく分かってるわ」
「そうか?」
「この国の社会がどんな仕組みになっているか、説明してあげるわ。まずね、私たちは、羊飼いも羊も関係なく、生まれながらにして自由で平等なの。その自由で平等な個人が集まって、国家を構成しているわ」
「うん」
「この国を統治しているのは、統治委員会よ。政府と言ったりもするわね。統治委員会のメンバーは、選挙によって国民が選んでいる。私たちが民主的に選んだ代表者が統治委員会のメンバーになっているわけだから、私たち国民が国を統治していると言えるわけ」
「うん」
「この国で一番偉いのは、私たち国民なのよ。だから、羊飼いが金持ちだったとしても、国民や統治委員会に逆らったりは出来ない仕組みになってるの。罪を犯せば、ちゃんと法によって罰せられるわ」
「うん、わかるよ。そんな風に、メアリーは学校で教えられてきたわけだよな。でも、こう考えたらどうだ?メアリーが通った学校を含めて、教育システム全体が、始めから羊飼いの支配下にあったとしたらどうか」
「はあ?」
「羊飼いが本当のことを国民に教えると思うか?君たち羊は羊飼いの利益のための道具にすぎない。羊飼いはいつでも好きな時に羊を殺せるのだ、って」
「それは……教えないわね」
「むしろ、今メアリーが語ってくれたような都合のいい物語を教え込もうとするんじゃないか?その方が大人しく従ってくれるだろうし」
「それは……。もし、ヤンの言ってることが本当だったとすれば、そうかもね」
「そうだろ」
「でも、そうだっていう証拠はあるの?証拠なんかないでしょ」
「たしかに、決定的な証拠は無いな。でも、そっちだって証拠は無いじゃないか。メアリーが説明してくれたことが、まごうことなき真理だっていう証拠はどこにも無いだろ。ただ、そういう風に教えられたってだけのことだ」
「は?学校でデタラメを教えてるって言うの?」
「全てがデタラメとは言ってないさ。でも例えばさ、『我々は生まれながらに自由で平等だ』って話は、科学的に証明されたことじゃないよな。なんらかの実験装置を使って計測して、たしかにそうだ!何度同じ実験をしてもそうなる!って話じゃあない。誰か偉い学者がそう主張して、皆が同意したってだけだろ」
「それは……そうかも知れないけど……」
「まだ、俺の話を信じる気にはならないか?」
「そうね。やっぱり陰謀論としか思えないわ」
「まぁ、信じられないのは仕方ない。でも、陰謀論扱いするのはおかしいだろ」
「どうして?」
「整理するぞ。俺が話したような考え方、この国を支配しているのは実は羊飼いで、統治委員会だろうが警察だろうが、全ては羊飼いの支配下にあるんだという考え方を、羊飼い支配説と呼ぶことにしよう。羊飼い支配説が真実だというたしかな証拠は無い」
「うん」
「一方、メアリーが語ってくれたこと、国民はみんな自由で平等で、国民全員で国を統治しているんだという考え方を、平等統治説と呼ぶことにしよう。平等統治説が真実だというたしかな証拠も無い」
「うーん」
「どちらが真実か、たしかなことは言えない。どちらも間違っている可能性だってある。でも少なくとも、平等統治説だけが真実だと断言して、羊飼い支配説を陰謀論として一蹴するなんてことは出来ないよな?」
「……まぁ、そうね」
「羊飼い支配説が真実である可能性もある。だったら、それを考慮に入れた上で行動した方が、リスク回避になるんじゃないか?」
「どういうこと?」
「極端な話、明日メアリーが羊飼いに捕まって殺されることだってあり得るわけだ。だったら、極力目立たないように、特に羊飼いの目に付かないように行動していれば、殺される確率を少しでも低くすることができるだろ。羊飼い支配説が間違いだったとしても別に損するわけじゃないし」
「そうかもね。わかった、気をつけるわ」
「それがいいよ」