人間は生きるのが難しい
「もし、生まれ変わりというものがあるとしたら、マイは次もまた人間として生まれたい?」
「うーん。選べるんだったら、飼い猫になりたいかな」
「ほう。人間はもうイヤ?」
「人間も悪くはないと思うけど⋯⋯。働きたくないし」
「なるほど。飼い猫なら働かなくていいもんね」
「うん。食べて寝て遊んで、それだけで生きていけるし。おまけにかわいいし」
「確かに飼い猫はいいねぇ。じゃあ、野生の動物か人間かだったらどっちを選ぶ?」
「それだったら、人間の方がいいかなぁ」
「そうなんだ」
「今度は男として生きてみたいかもね」
「男もけっこう大変だよ?」
「そう? じゃあ、ケンジは女に生まれ変わりたいの?」
「うーん、僕は人間は遠慮したいかな」
「どうして?」
「人間は、生きるのが大変だからさ」
「確かに生きるのは大変だけど、動物だって同じじゃない」
「いや、動物と人間とでは、根本的なところで生きる大変さが違うんだよ」
「どう違うの?」
「たとえば、マイが野生のタヌキとして産まれたとしよう。親に育てられる時期のことは置いといて、一人前になったら自分でエサを取るよね」
「そりゃそうね」
「その辺に生えてる木から勝手に果物なんかを取って食べるわけでしょ」
「うん」
「これは人間には出来ないことなんだよ。なぜなら、その木は誰か他の人間に所有されているからだ」
「うーん⋯⋯」
「それに、タヌキであるマイは好きな場所に穴を掘って巣を作り、そこに住むことができるよね」
「まぁ、そうね」
「これも人間には出来ないことだ。そこら辺に勝手に小屋を建てて住むことは出来ないでしょ」
「あー⋯⋯。その土地は誰かに所有されてるから、ってことね」
「その通り。人間の世界では土地が私有されてしまっているから、身の回りにある自然が育んだ食べ物を勝手に食べることが出来ないし、好きな場所に巣を作って住むことも出来ないんだよ」
「なるほど。そういう意味で、人間は生きるのが大変だってことね」
「そう。身の回りにある食べ物を勝手に食べたり好きな場所に住んだり出来るのは、動物だけじゃなくて虫だって同じことだよ」
「ふーむ、確かに。生きる大変さで言えば、人間より虫にでも産まれた方がマシってことか⋯⋯」
「そう言えるかもね。人間の場合、食べ物を手に入れるのにも、巣を確保するのにも、お金が必要になるでしょ」
「ふむ。当たり前の話ね」
「お金を手に入れるためには、基本的には労働力を売るしかない」
「うん」
「結局、何も持ってない人間が生きるためには、誰かに雇われて働くしかないってことだ」
「それも当たり前の話ね⋯⋯。でも、人間だけじゃなくて、動物だって働いて食べ物を得ていると言えるんじゃないの? 狩りとかするでしょ」
「うん。動物が食べ物を得るための活動を労働だと考えるなら、それは搾取の無い労働だということになる」
「どういうこと?」
「たとえば、あるオオカミが狩りをしてウサギを1匹捕まえたとするよね。そうすると、そのウサギは1匹まるまるそのオオカミのものになるでしょ」
「そりゃそうね」
「でも、僕が誰かに雇われてウサギを狩る仕事をしたとすると、捕まえたウサギがまるまる僕のものになることは無い」
「ふむ」
「たとえば、1匹捕まえて1000円で売れたとして、僕の取り分は500円とかね。多かれ少なかれ、雇い主による搾取がある」
「なるほど」
「それにね、オオカミはウサギを見て食べたいなと思ったから狩ったわけでしょ」
「そうでしょうね」
「ということは、ウサギを狩ることはオオカミにとって『やりたいこと』なわけだ。オオカミはウサギを狩りたいと思って狩っている」
「うん」
「ところが僕は、ウサギ狩りなんてやりたくないんだよ。お金を稼ぐために仕方なく、やりたくもない仕事をやっているんだ」
「うーむ⋯⋯」
「オオカミにも感情があるとすれば、ウサギを狩ることはオオカミにとって『楽しい』と思うんだよね。オオカミは楽しいと思いながら自分のやりたいことをやって、生きる糧を得ている」
「そうかもね」
「ところが人間は、楽しくもない、やりたくもない仕事をやりながら、しかも雇い主に搾取されて、生きるためのお金を得ているわけだ」
「あわれね⋯⋯」
「僕が人間に生まれ変わるのは遠慮したいと言ったのも分かるでしょ?」
「まぁね。でもそれだったら、やりたい、楽しいと思える仕事を選べばいいことなんじゃないの?」
「それは一理あるね。でも、やりたい仕事、楽しい仕事を選ぶと、雇い主による搾取が強くなる傾向があるんだよ」
「どういうこと?」
「典型的なのは、日本でのアニメーターの仕事だね。かなり安い給料でこき使われてるでしょ」
「ああ、ときどきネットでも話題になるわね」
「自分のやりたい、楽しいと思える仕事が、他の人にとってはそうでもない、という状況ならまだいいんだけどね」
「なかなか難しいかもねぇ⋯⋯」