はじめに
「今回は、自然権について考えよう」
「ふーん。自然権ってなに?」
「自然状態の人間が、生まれながらにして持っている権利のことだよ」
「ふーん。自然状態ってなに?」
「政府とか法律とかが出来る前の状態、ってことだね。要するに自然権というのは、動物としての人間がもともと持っている権利のことだ」
「ふーん。で、なんで自然権について考えるの?」
「それは、所有とは何かについて考えるためだ」
「所有?所有って、持ってるってことでしょ?」
「そうだね」
「持ってるとは何かなんて、考える必要ある?」
「土地なんかの財産を持ってると、遊んでても収入が得られるよね」
「そうね」
「土地を所有して地代を得ることは不当だと僕は考えてるんだけど、そもそも、所有すること自体が不当なんじゃないかと思うんだ」
「所有することが不当?なんでよ」
「それを説明するためには、まず自然権について考える必要がある。僕は、所有は自然権を侵害していると考えているんだよ」
「ふーむ。良く分かんないけど、所有なるものは自然権なるものを侵害しているから、不当だってわけね」
「そうそう」
自然権とは
「それで、自然権って具体的に何なの?」
「一部の人たちは、自由権や平等権などのことを自然権と言っているようだね」
「自由権、平等権って?」
「自由権というのは、自由に生きる権利のこと。平等権というのは、平等に扱ってもらえる権利のことだ」
「ふむ」
「ここで、自然権の定義に立ち戻ろう。自然権というのは、人間が政府や法律が無い状態から、生まれながらに持っている権利のことだった*1」
「そうだったわね」
「つまり、動物としての人間がもともと持っている権利のことだ。そうだとすると、人間以外の動物だって同じ権利を持っているはずだろう」
「うーん。そうなる?」
「政府も法律も無い*2ということは、どんなに悪いことをしようが罰されることが無いということだ。もっと言えば、善悪の概念自体が無いと言ってもいい。動物と同じだよね」
「ふむ」
「動物としての人間とすごく賢いチンパンジーを比べた時、何らかの生まれながらの権利が人間にだけあって、チンパンジーには無いというのは道理に合わないでしょ」
「まぁ、そうかもね⋯⋯」
「だから、自然権というものがあるとすれば、動物も同じ権利を持っているはずだ」
「たしかに⋯⋯」
動物は生まれながらに平等か
「動物には自由に生きる権利や、平等に扱ってもらえる権利があるだろうか?」
「うーん、自由に生きる権利はあると思うけど、平等かどうかは⋯⋯」
「たとえば、エサが豊富な広い湖に生まれた魚と、エサがほとんど無い小さな池に生まれた魚は、平等だと言えるかな」
「うーん⋯⋯。平等とはちょっと言えないわね⋯⋯」
「健康で屈強な体を持って生まれてきた人と、病気がちで生まれつき目が見えない人は、政府や法律が無い状態で平等だと言えると思う?」
「それも平等ではないね⋯⋯」
「そうだよね。動物も、動物としての人間も、生まれながらに平等とは言えない」
「うん」
「私たちが『全ての人間は生まれながらに平等だ』と言う場合、それは『平等だったらいいよね』という理想を述べているのであって、ありのままの事実を述べているのではない」
「ふむ」
「当たり前のことだけど、平等権は政府や法律があって初めて守られるんだよね。政府や法律が無い状態では平等権など無い。つまり、平等権は本来の意味での自然権ではない」
「なるほどね。じゃあ、自由権はある?動物は自由に生きてるよね」
動物は生まれながらに自由か
「さっきと同じような話なんだけど、エサがほとんど無い小さな池に生まれた魚は自由だと言えるだろうか?」
「うーん⋯⋯。小さな池だとしても、その池の中は自由に泳ぎ回れるんだから、自由だと言ってもいいんじゃない?」
「もしこれが自由だと言えるなら、絶海の孤島に生まれた人も自由だと言えるし、部屋に閉じ込められてる人も自由だと言えるよね。島や部屋の中は自由に動き回れるんだから」
「あー⋯⋯」
「もっと言えば、生まれつき手足が無い人だって自由だ。呼吸したり話したりする自由はあるからね」
「うーん。それはちょっと、自由とは言い難いか⋯⋯」
「まぁ、自由と言えば自由なんだけどね。頑丈な壁や天井に囲まれた部屋に閉じ込められている人は、部屋の中を自由に動き回れるし、部屋の中に水があれば好きな時に飲める。食べ物があれば食べるのも自由だ」
「でも、外に出ることは出来ないわけね」
「そう。こんな風に、動物も人間も、自分が居る環境において、自分の力で可能な限りでは、自由に振る舞う権利を持っている」
「そりゃそうね」
「このような権利のことを、自力自由権と呼ぶことにしよう」
「ふむ」
「誰かが『人間は生まれながらに自由に生きる権利を持っている』と主張した時、自力自由権のことを言ってると思う?」
「うーん。部屋に閉じ込められてても自由だ、なんてことを言ってるとは思えないわね」
「そうだよね。部屋を出て自由に生きる権利のことを言ってるんだろう。閉じ込められてるなら、警察に連絡して解放してもらうことが出来て初めて、自由に生きる権利があると言えるんだよね」
「たしかに⋯⋯」
純自然権と理想自然権
「結局、自由権も政府や法律が機能して初めて守られる。これも『生まれつき自由だったらいいよね』と理想を述べているにすぎない」
「その通り。本来の意味での自然権のことを純自然権と呼ぶことにすると、今のところ純自然権と言えるものは自力自由権だけだね」
「ふーむ。じゃあ、自由権とか平等権ってなんなの?」
「これらを自然権だと言う人もいるんだけど、純自然権とは別の概念だね。人間が生まれつき持ってたらいいよね、と皆が思うような権利のことだ。これを理想自然権*3と呼ぶことにしようか」
「うん。『人間が生まれながらにして自由に生きる権利を持ってたらいいと思わない?自由に生きる権利があるってことにしようよ』という具合に、人間によって作り出された権利が自由権だ」
「なるほど。平等権も似たようなものね」
「そういうこと。自由権も平等権も、人間が作り出した権利であり、政府や法律があって初めて守られる。だから、純自然権ではない」
「ふーむ⋯⋯。最初に、所有は自然権を侵害してるって言ってたけど、どっちの自然権のことだったの?」
「純自然権の話だよ」
「自由権や平等権に意味は無いってこと?」
「いや、そうは言ってないよ。理想をまず掲げて、それをベースに憲法や法律を作ることはとても意義のあることだ。法律と政府がうまく機能すれば、現実を理想に近づけることが出来るからね」
「ふむ。じゃあ、なんで純自然権にこだわるの?」
「僕が今フォーカスしたいのは、理想の権利についてではなくて、人間や動物が本当に本来持っている権利についてだからだよ」
「ふーん⋯⋯。分かったわ。で、所有はどう純自然権を侵害してるの?」
「長くなったから、その話はまた次回にしよう」
「えー⋯⋯」
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