経済学を疑え!

お金とは一体何なのか?学校で教えられる経済学にウソは無いのか?真実をとことん追求するブログです。

「陰謀論」と言ってはいけない

人間は一人では思考できない

人間は、一人だけでは思考することが出来ません。

こう言うと、「は?一人でも考えることはできるじゃないか」と思いますよね。

どういうことか説明しましょう。

天才的な頭脳を持ったある男女から子供が生まれたとします。

この子供もきっと頭が良いでしょう。

しかし、この子供を部屋に閉じ込めてロボットに世話をさせ、言葉も教えず、教育も一切行わずに育てた(=飼育した)とします。

そうすると、この子供はその潜在的な頭の良さを開花させることもなく、動物程度かそれ以下の思考しか出来ないケモノになってしまうでしょう。*1

そもそも私たち日本人は日本語を使って思考していますが、その日本語は自分一人の力で考え出したものではありません。

先人たちが作り出して少しずつ洗練させた日本語というツールを、親などに教えてもらって使っているのですよね。

また、日本語というツールを使って考えるにしても、色々な知識をインプットとして取り込んだ上で考えています。

その様々な知識のほとんどが、誰か他の人間が考えてアウトプットしたものです。*2

何のインプットも無しに考えて仮に1,2,3という数字を考えついたとしても、0を発見するところまで思考を深めることは一人では不可能ですよね。

個々の人間は、何かをインプットして、考えた上でアウトプットをしています。

その個々の人間が脳細胞のようにお互いに連絡を取り合い、全体として複雑な思考をして知識を高めていっているわけです。

そういう意味で、人間は集団で考える動物であり、一人だけでは思考をすることが出来ません。

 

複数人で考えよう

人間が一人で考えるにしても、事前に本を読んだりして情報をインプットしているわけですから、複数人で考えていることになります。

さらに言えば、そういう人間が単独で考えるよりも、複数人でリアルタイムにアウトプット/インプットしながら考える方が、より良い思考が出来るでしょう。*3

これが対話(あるいは議論)と呼ばれるものです。「僕はAだと思う」「私はそうは思わない」「なぜ?」「なぜなら○○だからだ」「それはおかしい。なぜなら……」という具合です。

これが一人だけだったら、「僕はAだと思う」というところで終わりです。

その人なりに情報を集めて考えた結果ですから、それなりに正しいのかも知れません。

しかし、他の人から見れば色々と突っ込みどころがあるはずです。

一人で考えるより複数人で考える方がより良い思考が出来ると言って構わないでしょう。

 

複数人で考えて欲しくない人々

世の中には、「複数人で考えてより良い思考をする」ということを妨げたい人が存在します。

それは、相手を騙して利益を得ようとする人です。

たとえば、オレオレ詐欺をする詐欺師が分かりやすいでしょう。

「あなたの孫が痴漢をしてしまい、示談に100万円必要だ」と電話で言われた老人が、一人で考えるのではなく誰かに相談すればより良い思考(これは詐欺かも知れない!)が出来ます。

騙す側としては、誰にも相談せずに一人だけで考えて欲しいわけですよね。*4

したがって、誰にも相談することが無いように、誰に何を言われても聞かないように知恵を絞って手を打つでしょう。

このような詐欺は犯罪ですが、合法な範囲でも同様のことがあります。

たとえば、モノを相場より高い値段で売りつけて利益を得たい場合です。

セールスマンに「特別に値引きして、この商品は○○万円です」と言われた時、一人だけで考えずに誰かに相談した方がより良い思考(それは高すぎるとか、相見積もりを取った方がいいとか)が出来るでしょう。

売る側としては、一人だけで考えて欲しいですし、考える時間も与えたくありませんから、「今すぐ決めて頂ければさらに値引きします」などと言うかも知れません。

しかし、その特別価格は相場よりずっと高いのかも知れないのです。

複数人で考えた方がより良い思考が出来ることと、それを妨げたい人が居ることを覚えておきましょう。

 

対話を妨げるにはどうすれば良い?

ある事柄について、人々に対話して欲しくないとあなたが考えているとしましょう。

たとえば、あなたが世界的な大企業の経営者であり、お酒を人々に販売して巨額の利益を出しているとします。

人々には「アルコールは体に良い」と思っていて欲しいですよね。

でも本当は、アルコールは少量でも体に悪いのだと仮定しましょう。*5

それをあなたは知っているとします。

お金を使った広告キャンペーンなどが功を奏し、現状では人々の9割はアルコールが体に良いと思っています。

彼らはいわばアルコール推進派(アル推派)ですね。

残り1割の人々はアルコールが体に悪いと思っています。

彼らをひとまとめにして反アルコール派(反アル派)と呼ぶことにします。

アル推派と反アル派が正しく対話をすれば、人々がより良い思考をして、アルコールが体に悪いと分かってしまうとしましょう。

あなたはこの対話を妨げたいわけです。

どうしますか?

「対話しないでくれ!」とは言えませんよね。

 

「デマ」というレッテルを貼る

「反アル派の主張はデマだ」という言説を流してみるのはどうでしょうか。

アル推派は自分たちが正しいと思っていますから、この言説に乗っかって「そうだ!デマだ!」と言い出す人も多いでしょう。

反アル派の主張に対して「それはデマだ」と言う時、アル推派は「自分たちが正しいに決まってる。彼らが間違ってるに決まってる」という考えを強化します。

そして、「デマだ」と言えばそこから対話には発展しないでしょう。

デマという言葉を使わなければ「アルコールは体に悪い」「なぜそう思うのか」「なぜなら……」と対話にもなるでしょうが、デマという言葉が使われると「アルコールは体に悪い」「それはデマだ」「デマじゃないよ。なぜなら」「デマ乙w」という風に相手にされず、対話になりません。

デマという言葉を使うように仕向けると、対話を妨げることが出来るわけです。

 

陰謀論を作ろう

また、反アル派の言っていることに「陰謀論」というレッテルを貼るのも良さそうです。

ただ、「アルコールは体に悪い」というシンプルな話を陰謀論だと言ってもちょっと説得力に欠けますね。

いっそのこと、陰謀論を作って流してみましょう。

こんな話はどうでしょうか。

「お酒には依存性を高めるために発がん性のある毒物が混ぜられている」

うーん、ちょっと小難しいし、いまいちインパクトに欠けますね。

「今年発売された○○というお酒を飲んだ人は5年以内に全員死ぬ」

これはなかなか衝撃的で良いかも知れません。

「新発売のお酒にはマイクロチップが入っていて、飲むと5Gネットワークに接続されディープステートに監視される」

この話はすぐにウソだと分かりそうですね。

しかし、こんな話でも信じる人は居るものです。

そういう人がこの話をSNSで拡散すれば、「こんな陰謀論を信じるなんてバカだな」という反応を引き出せます。

反アル派の言ってることは全て陰謀論だとレッテルを貼り、対話を妨げることが出来るでしょう。

あなたの企業が広告キャンペーンによって「アルコールは体に良い」というウソを広めたという話も、陰謀論ということにしてしまえば良いのです。

 

誰が陰謀論を作るのか

前節ではあなたの企業(利害関係者)が主導して陰謀論を作っていると仮定しましたが、反アル派自身が陰謀論を作ることはないのでしょうか。

もちろんあります。

なぜかと言うと、世の中の大部分の人々はあまり頭が良くないからです。

つまり、詳しい根拠を筋道立ててきちんと説明しても、そういう話は拡散しにくいのです。

分かりやすくて印象的なストーリーを作ってあげなくてはなりません。

「お酒には毒が混入されている!」とか「私たちを殺そうとしている!」などと言えば、びっくりした人が拡散してくれる可能性が高まるでしょう。

少数派である反アル派にとって情報を拡散することは難しいため、人々の行動を変えるという目的のために手段を選ばない人もいるのです。

アル推派がわざと陰謀論を作って叩くなどということもあり得るでしょうが、信憑性の低いストーリーの大半は一部の反アル派が作っているはずです。

このようなストーリーに惑わされないようにしましょう。

簡単に信じてはもちろんダメですし、逆に簡単にウソだと決めつけてもいけないのです。

様々な荒唐無稽なストーリーの中に、一部本当のことが含まれているのかも知れません。

 

思考停止をもたらす呪文

陰謀論」や「デマ」という言葉は魔法の呪文だと考えてみましょう。

これらの呪文を唱えると、ある事柄について相手を思考停止状態にすることが出来ます。

たとえば「○○が××だなんて陰謀論だよ」と言えば、相手は「○○は××じゃないに決まってるよな」というところで思考停止に陥り、それ以上考えることも調べることも出来なくなります。*6

この呪文は、相手を思考停止状態にするという意図を正しく持って詠唱すれば自分自身にかかることはないのですが、そうでない場合には自分にも効いてしまいます。

「○○なんて陰謀論だよ」「××はデマだ」と言うことで、自分まで思考停止になってしまうのです。

みだりに陰謀論」や「デマ」という呪文を唱えてはいけません

また、頭の中で「これは陰謀論だろう」などと考えるだけでも効いてしまうので注意しましょう。

 

自分の頭で考えよう

人生は判断の連続です。

判断を間違えても大した損をしないならいいのですが、間違えれば大きな損失を被るような判断も時にあります。

金銭的な損失ならまだしも、健康を大きく損なうことになれば取り返しが付きませんよね。

そのような重要な事柄は、自分で調べ、自分の頭で考えて判断する必要があります。

そうでなければ、他の人からいいように騙されてしまうでしょう。

自分の頭で考えることが望ましい、それは間違いありません。

とはいえ、実際にはそうもいきませんよね。

 

自分の頭で考えるのは無理

日常の中で全てのことを「本当かな?」と疑って、一から調べたり熟考したりするような時間は取れませんよね。

そんなことをしていたら普通に生活することが出来なくなってしまいますし、どれだけ時間があっても足りないでしょう。

ですから、どうしてもどこかで妥協する必要があります。

つまり、信頼できそうな人(や組織)の意見を「この人が言っているのだから正しいに違いない」として受け入れる、つまり詳細を理解していないことを『鵜呑み』にする必要があるのです。

有名な学者の言ってることだから信じるという人も居るでしょうし、みのもんたが言ってたから信じるという人も居るでしょう。

この二つは信頼度のレベルがずいぶん違いますが、誰を信じるかを自分で決めて『鵜呑み』にしている点では同じなのです。

信頼して良いのは誰なのか、どの組織は信頼できるのか、慎重に考えなければいけません

査読付きの論文なら信じてもいいだろうって?

そうでもありません。

ノーベル賞学者の本庶佑氏によれば、NatureやScienceに載った論文のうち10年後まで残るのは1割程度だそうです。

 

その人はお金を受け取っていないだろうか?

信頼に値するのは誰なのかを、どう考えて決めれば良いのでしょうか?

一つだけ確かなのは、お金を受け取ってそのスポンサーにとって都合のいいことを言う人は、信頼できないということです。

これは当たり前ですよね。

「アルコールは体に良いのだ」ともっともらしく語っている科学者が、実はあなたの企業(世界中でお酒を販売して大きな利益を上げています)からお金を受け取っているとすれば、彼の言うことは信用できません。

ですから、どんなに頭の良さそうな学者(あるいは権威のある組織)だとしても、お金を受け取る立場にあるならば信用できないと判断すべきです。

しかし、自分から「私はお金をもらっています」などと公言する人はいませんから、その点を調べたり考えたりする必要があるのです。

「調べるのはともかく、考えて分かることではないだろう」と言うかも知れませんが、ある程度のことは推測できます。

たとえば、以下のような主張をする4人の論者がいるとしましょう。

  1.  アルコールは体に良い。どんどんお酒を飲みましょう。
  2.  アルコールは体に悪い。それより健康食品の××(高価)を飲みましょう。
  3.  アルコールは体に悪い。それより水(あるいは安価なお茶など)を飲みましょう。
  4.  アルコールは体に悪い。(代替案は特に示さない)

1や2の主張をする人にはスポンサーが付きそうですよね。

しかし、3や4の主張をする人にお金を出してくれる人はいないでしょう。

みんなが水を多めに飲んだところで儲ける人はいませんからね。

そして、お酒の販売で儲けているあなたの立場から見て、アルコールは体に悪いという主張をする人をどう感じるでしょうか。

目障りじゃないですか?

黙っていて欲しいですよね。

黙らせることが出来ないとしたら、「デマだ」とか「陰謀論だ」などと断じたくなるでしょう。

そうすれば、人々を思考停止にすることが出来ますからね。

ですから、一般庶民の私たちとしては「デマだ」とか「陰謀論だ」などと聞こえてきた時には、それを鵜呑みにしてはいけないのです。

お金の流れを調べたり考えたりしてみましょう。

そしてできる限り、それぞれの論者が主張していることが妥当なのかどうか、自分で調べたり考えたりしてみましょう。

そうすることで、信じるに値する人や組織をより正しく選ぶことが出来るはずです。

自分で調べるのは面倒だって?

でしたら、簡単な判別方法をお教えしましょう。

「デマだ」「陰謀論だ」という決めつけを多用する人は信用できないということです。

そういう人は、きちんとした対話をすると自分が負けると分かっているから、対話を避けるためにそうするのです。

 

*1:オオカミにでも育てられ、狩りなどを教えてもらった方がよほどマシです。

*2:もちろん自分が経験して得た知識もあるでしょうが、有用な知識の多くは他者から得たものです。

*3:「三人寄れば文殊の知恵」ということわざもありますね。

*4:さらに言えば、一人で考えるにしても考える時間は与えたくないでしょう。

*5:実際に少量でも体に悪いかどうかはここでは問題にしません。

*6:この魔法は必ず成功するわけではありません。かかりやすい人とかかりにくい人が存在します。