経済学を疑え!

お金とは一体何なのか?学校で教えられる経済学にウソは無いのか?真実をとことん追求するブログです。

搾取とは何かを生産物プールで考える

はじめに

以前書いた植松被告人との対話*1の記事で、生産物プールという概念を提案しました。

今回の記事では、この概念を使って「搾取とは何か?」を考えてみようと思います。

 

生産物プールとは

生産物プールというのは生産物*2を入れたり取り出したりするための架空の倉庫のようなものです。

たとえばA氏が作った仏像をB氏が買った(受け取った)としたら、この時A氏は仏像を生産物プールに入れたのだ、B氏は生産物プールから仏像を取り出したのだと考えます。

仏像の買い手(受け取り手)が現れない間は、A氏は仏像を生産物プールに入れられないものとします。

つまり、生産物をプールに入れた瞬間に別の誰かに受け取られていることになり、プールは常に空です。

(この意味では、生産物プールではなく生産物ゲートとでも呼ぶ方が適切かも知れません)

 

流入総量≡流出総量

プールに入ってくると同時に出て行くのですから、ある期間にプールに入れられた生産物の総量と、同じ期間にプールから取り出された生産物の総量は厳密に一致します。

たとえば昨日1日という期間にプールに入れられた生産物がリンゴ1個とミカン2個だとしましょう。

そうすると、同じ昨日1日という期間にプールから取り出された生産物もリンゴ1個とミカン2個であり、総量は一致します。

当たり前ですよね。

 

生産物の量をどう評価するか

今、なんとなく総量が一致すると書きましたが、量を合計して比較するためには、単位を統一して数字で表す必要があります。*3

たとえば重さを計って300g+150g+150g=600gという具合です。

この場合、流入総量600g、流出総量600gで一致します。

f:id:tamurin7:20210217112457p:plain

あるいは体積を計って320ml+170ml+170ml=660mlでも構いません。

どんな方法で量を計ろうが、同じ方法で計っている限りプールへの流入総量と流出総量は一致します。

計測の対象である生産物が、どちらもリンゴ1個とミカン2個という風に一致しているのですから当然ですよね。

さきほど“厳密に一致”すると書きましたが、この表現には「どんな方法で量を評価しても一致する」という意味を込めています。

 

入れた量と等量の生産物を受け取れるのか?

さて、生産物をプールに入れた人は、それと同じ量の生産物を受け取ることが出来るでしょうか。

可能か不可能かで言えば、もちろん可能です。

仮に量を重さで計るとしましょう。

  • 300gのリンゴを入れた人が150gのミカン×2個=300gを受け取る
  • ミカン2個計300gを入れた人がリンゴ1個300gを受け取る

これは可能なことです。

あるいは量を円という単位で、取引価格で計るとしましょう。

  • リンゴ1個をプールに入れて200円を得た(リンゴを200円で売った)人が100円のミカン×2個をプールから取り出す(200円で買う)
  • ミカン2個をプールに入れて200円を得た人がリンゴ1個をプールから取り出す(200円で買う)

これも可能なことです。

しかし現実の世界はそういう風になっていないのです。

私たちは、プールに入れた生産物の量より少ない量の生産物しか受け取れません。

なぜかと言うと、プールに生産物を入れずに生産物を受け取る人が居るからです。

そのような人のことを不労所得者と呼ぶことにしましょう。

もしもプールに生産物を入れた人全員がそれと等量の生産物をプールから受け取れるとすると、不労所得者の取り分となる生産物が残りませんよね。

不労所得者が生産物を受け取っている分だけ、私たちが割りを食っているのです。

 

等量の生産物を受け取れるという勘違い

「いやいや、ちょっと待ってくれよ。俺は1時間働いて給料を1000円貰ったら2kg1000円の米を買えるぞ。これは1000円分の労働をプールに入れて1000円分の米をプールから取り出したってことだろ。等量の生産物を受け取ってるじゃないか」

こんな風に思うかも知れません。

しかしこれは勘違いなのです。

量を比較する際には、全く同じ評価方法を使う必要があります。

たとえ単位が同じでも、評価方法が違えば正しい比較にならないのです。

たとえば、全く同じ風船を2つ用意して、全く同じ量の空気を入れたとしましょう。

この2つの風船の量をリットルという単位(体積)で比較しようとした時、1つは平地で計り、1つは富士山の上で計れば「量が違う」という誤った結果が出てしまいます。*4

 

円での評価方法は複数ある

先ほどの例では、プールに入れた生産物(1時間の労働)の量を1000円と評価した時と、2kgの米の量を1000円と評価した時とでは、評価方法が違います。

そのため、正しい比較になっていません。

分かりやすく言えば、1時間の労働の量を1000円と評価したのは“生産者価格”で見るという評価方法であり、2kgの米の量を1000円と評価したのは“最終消費者価格”で見るという評価方法なのです。

2kgで1000円は生産者(農家)の価格ではありませんよね。

 

生産者価格で量を比較する

評価方法を生産者価格に統一して量を比較してみましょう。

取り出せる米の量は2kg、生産者価格で(たとえば)500円程度です。

プールに1000円の生産物を入れて、500円の生産物を取り出す……。

この言い方だと、1000とか500とかの数字が量を表していることが分かりにくいので、ちょっと言い換えをしてみましょう。

プールに1000mlの生産物を入れて、500mlの生産物を取り出しているのです。

つまり、プールに入れた量の半分しか取り戻せていません。

また、仮に農家が2kgの米を500円で農協に売った後、店に米を買いに行ったとすると、自分が売った米が2kg1000円で売られていて、500円では半分しか買い戻せないのです。*5

 

最終消費者価格で量を比較する

今度は評価方法を最終消費者価格に統一して量を比較してみましょう。

プールに入れる労働の量は1時間、最終消費者価格で(たとえば)2000円程度です。

仮に家事代行サービスの会社でバイトして1時間1000円もらった場合、そのサービスを受けた消費者は1時間の労働に対して2000円支払っているわけです。

2000円の労働をプールに入れ、1000円の米をプールから取り出しているのですから、やはり半分しか取り戻せていません。*6

もらった1000円で家事代行サービスを頼もうとしたら、30分しか頼めないのです。

もちろん必ず半分になるわけではありませんが、いずれにせよ私たちはプールに入れた生産物の量よりも少ない量しか生産物を取り出すことが出来ません。

この差額(生産物の量の差)が“搾取”であり、不労所得者の取り分になります。

 

次回、搾取についてさらに掘り下げます。

 

whatsmoney.hateblo.jp

 

*1:実際に対話したわけではなく創作です。

*2:労働も生産物に含みます。私が「生産物」と呼んでいるものと「財」と呼んでいるものは一致しています。

*3:“1個”というのも数字+単位ではあるのですが、4等分すれば4個になってしまうので、量を計るには不適当です。

*4:気圧が違うので、山の上では大きくなります。

*5:もちろん差額の500円には流通にかかる経費が含まれていて、その部分は正当化されます。今問題にしているのは“儲け”の部分です。

*6:差額の1000円には経費が含まれていて、その部分は正当化されます。今問題にしているのは“儲け”の部分です。