資本主義教の教え
仮に資本主義が宗教だとすれば、その教義は以下のようなものでしょう。
- 汝個人の利益を追求せよ
- 他者から搾取せよ
- 継続的に搾取できる仕組みを作れ
- 競合を潰し市場を独占せよ
一言で言えば“搾取の宗教”です。
このような次第ですから、私たちはボーっと生きていると他者から好きなように搾取され続けてしまいます。
渡る世間は搾取ばかり
搾取の例を挙げてみましょう。
- ブラック企業で長時間労働させられる*1
- 株式投資に夢を見て最終的に大金を失う
- リボ払いで買い物をして高金利を取られる
- デート商法で高額な絵を買わされる
- オレオレ詐欺に騙され大金を取られる
- 広告に煽られて不必要なものを買う
- 風俗店で働かされ上前をはねられる
- ギャンブル中毒になり毎月大金をつぎ込む
- 依存した薬物を買うために毎回高額を支払う
- 不必要な保険に入らされた上に給付が渋い
- マルチ商法にハマり借金して商材を買い込む
- 結婚式や葬式の業者に法外な料金を取られる
- 下請け企業が利益を出せないほど納入価格を下げられる
- 軽率にコンビニのオーナーになり本部に搾り取られる
「この世に搾取の種は尽きまじ」といった様相ですが、このように搾取される人々を資本主義の神は救ってくれません。
なぜなら資本主義の神にとって彼らは“善良な弱者”などではなく、教義に従わぬ“不信心者”もしくは“異教徒”だからです。
自分を信仰しない者を救ってやる義理はないですよね。
資本主義の神をあがめよ
この世界では資本主義の神が強大な力を振るっていますから、私たちが自分の身を守ろうと思ったら、ある程度以上はこの神を“信心”しないわけにいきません。
少なくとも、教義に従うための“搾取のスキル”を学ぶ必要があるのです。
搾取のスキルについて知識が多いほど、他者からの搾取を防げますから。
だったら搾取のスキルを学校で教えてくれればいいのに、と思いますか?
残念ながら、そのようなスキルが学校で教えられることはありません。*2
搾取する側の立場で考えれば分かるはずです。
そんなことを教えられたら搾取がやりにくくなりますから、当然ですよね。
搾取する側に回る
もちろんスキルを学ぶだけでなく、もっと積極的に搾取を実践しても構いません。
しかし搾取する側に回ったとしても、気を抜くことは出来ません。
この世は弱肉強食、搾取する者がほかの搾取者に食われることは良くあるのです。
- 大規模スーパーの出店で小さな商店が潰される
- 成功した独自のビジネスモデルが大手に真似されシェアを奪われる
- 地面師の詐欺に騙され大金を支払う
- 信じていた共同経営者の策略で会社の持ち分を奪われる
- 店長や社員に使い込みや持ち逃げをされる
教義にも「他者から搾取せよ」とあります。
自分が搾取される側になる可能性に常に注意を払いましょう。
奪うに値するものを多く持っていれば、それだけ搾取のターゲットになりやすくなります。
目立たないようにすれば搾取をある程度防げますが、それだけでは不十分です。
常に“上”を目指して搾取のスキルを磨き、弱者を見つけては美味しく頂き、他者からの搾取は可能な限り防いだり逃げたりする。
そんな心構えが必要でしょう。
超優秀な信者たち
この宗教の中で最も優秀な信者たちは、超富裕層として神の恩寵にあずかります。
つまり、最も搾取の上手い人々の中でも、さらにあらゆる手段を使って搾取の限りを尽くした人々が、超富裕層となるのです。
逆に言うと、いま超富裕層として世界に君臨している人々は、搾取のスキルを極限まで高めた上に、あらゆる手段で搾取の限りを尽くした人々だということです。
実に素晴らしい!
献身的な信仰のたまものですね。