はじめに
望月慎氏とGokai氏(ななみのゆう氏)の万年筆マネーに関する論争について書いておきます。
万年筆マネーというのは銀行による信用創造を説明する際によく使われる言葉で、銀行が帳簿に数字を書くだけで預金通貨が生まれるとするものです。*1
Gokai氏はこの万年筆マネーというものを否定しています。
銀行が貸し出しをする際に帳簿に数字を書き込んだとしても、それと同額のMB(現金や日銀当座預金)を用意しているのだから万年筆でお金を作ったことにはならないと言っているようです。
望月氏はそれに対し、銀行は同額のMBを準備してはいないということを決済尻の観点などから説明しているのですが、Gokai氏は納得しなかったようですね。
銀行の金庫に「俺の金」があるという勘違い
私から見ると、Gokai氏はある根本的な勘違いをしていて、望月氏はその勘違いを直接指摘できていないように見えます。
その勘違いとは、「銀行の金庫には俺の金がある」というものです。*2
たとえば、100万円の現金を銀行に預け入れた人は、銀行の金庫に「俺の金100万円」があると思っています。
また、銀行から1000万円を借り入れて記帳してもらった人は、銀行の金庫に「俺の金1000万円」があると思っています。
さらに、X銀行の口座からY銀行の口座に10万円送金をした人は、X銀行の金庫にある俺の金10万円がY銀行の金庫に移動した*3と思っています。
これらは全て誤解です。
銀行の金庫に「俺の金」は1円たりとも無いのです。
どういうことか?
銀行間の送金で考えてみましょう。
銀行間を移動するMBは誰のお金か
以下の図はX銀行にあるA氏の口座からY銀行にあるB氏の口座に送金した時のお金の動きを示したものです。
緑色の四角形が預金通貨で、A氏が持っている預金通貨がB氏の手元に移動してB氏のものになっています。
それと同時に、茶色の四角形がX銀行からY銀行に移動しています。
これはMB(マネタリーベース、ベースマネー)であり、具体的に言うと日銀当座預金です。
注意すべきことは、送金前の当座預金の持ち主はあくまでX銀行であって、A氏ではないということです。
A氏が持っていたお金は緑色の預金通貨です。
私たちが銀行送金をイメージする時、「銀行の金庫にある俺のお金(日銀当座預金)がY銀行に送られ、それがB氏に渡される」という風に考えてしまいがちですが、そうではないのです。
A氏の手元から預金通貨がB氏の手元に渡ると、実際にはA氏の口座の数字が減らされてB氏の口座の数字が増やされるわけですが、この時点でA氏からB氏への預金通貨の送金それ自体は完了しています。
もちろんそれだけで終わりではなくて、この時X銀行とY銀行の間に貸し借りの関係(債権債務関係)が生じます。
A氏の口座の数字を減らしてB氏の口座の数字を増やしただけではX銀行が得をしてY銀行が損をしますからね。
当然、同額のMBをX銀行はY銀行に支払う必要があります。
この銀行間に生じた債権債務関係に、A氏とB氏は全く関係がないのです。
つまり、純粋にX銀行とY銀行の間の貸し借りであって、X銀行がY銀行に渡すMBはX銀行が所有するMBであり、渡すことでMBの所有者がY銀行に変わります。
X銀行がY銀行に渡すMBはA氏のお金ではなく、X銀行のお金なのです。
逆方向の送金との相殺
読者は「どうしてそう言えるのか?」と問うでしょう。
このA氏からB氏への送金が終わった後、同じMBを利用して逆方向に送金することを考えてみます。
つまり、Y銀行にある(B氏とは別の)D氏の口座から、X銀行にあるC氏の口座に送金するわけです。
いまY銀行はMBを保有していますから、この送金が可能です。
しかし、もしもY銀行にあるMBがB氏のお金であったなら、D氏からC氏への送金は出来ないのです。
なぜならそれは、B氏のものとしてY銀行が保有しているお金なのだから。
D氏の送金に必要なMBが用意できていないということになってしまうわけです。
望月氏が何度も説明していますが、ある銀行から別の銀行に100万円の送金があり、逆方向に80万円の送金があった場合には、20万円だけMBを移動させれば決済が可能です。
こんな風に差し引き(100-80=20)が出来るのは、それがどちらも銀行間の債権債務関係だからです。
100万円のMB移動がA氏のお金で、80万円のMB移動がD氏のお金だったら、差し引きした結果の決済尻だけでMBの精算をすることは出来ません。
もし「俺の金」が銀行の金庫にあったら
考えてもみてください。
もしも「俺の金」が銀行の金庫にあるとしたら。
「貴方のお金」も銀行の金庫にあります。
A氏のお金もB氏のお金も、全ての預金者のお金が銀行の金庫にあることになります。
そうすると、預金の総額と同じだけ、銀行の金庫に現金がなければなりません。
もちろん実際にはそんな風にはなっておらず、預金総額に比べてずっと小さな金額の現金しか無いわけです。
金庫の中にある現金について、ここからここまではA氏のお金、こっちにあるのはC氏のお金、という風に全てのお金に全預金者のネームタグを付けることは不可能です。
このようなぐちゃぐちゃな状況の中で新たにE氏に貸し付けをする時、貸付額よりも銀行が保有するMBの金額の方が多いからと言って、E氏への貸し付けのためのMBを準備したと言えるでしょうか。
そんなわけありませんよね。
準備したと言えるのは、金庫のお金に全預金者のネームタグを付けた上で、それとは別にMBを用意した場合だけです。
もちろん、銀行はそんなことはしていません。
何がおかしいのでしょう。
前提が間違っているのです。
もしも「俺の金」が銀行の金庫にあるとしたら、という前提が間違いです。
つまり、銀行の金庫に「俺の金」はありません。
あるのは銀行の所有物としてのMBであり、預金者のお金ではないのです。
まとめ
- 銀行の金庫に預金者のお金は1円たりとも無い。そこにあるのは銀行が所有するMBだ。*4
- 他行の口座に送金をした時、銀行間を移動するのは銀行が保有するMBであり、送金した人のお金ではない。
- 銀行から借り入れをして記帳してもらった時、銀行の金庫に借り手のお金は無い。借り手のお金は帳簿上の数字。
- 現金を銀行に預け入れた時、その現金は銀行が保有するMBとなり、預金者のお金ではなくなる。預金者のお金は帳簿上の数字。