「今回は、お金を貸して金利を取ることの正当性について考えよう」
「ふーん。なんで? お金を借りたら、利子をつけて返すのが当たり前じゃない」
「うーん、そうだよねぇ。でも、イスラム教なんかでは利子を取ることは禁止されてるよね」
「たしかに、そんな話を聞いたことがあるけど」
「旧約聖書に書いてあるんだよね。利子を取っちゃダメだって」*1
「ふーん」
「なぜ聖書は、利子を禁じたんだろう」
「さぁ?」
「たとえば、ある学校で『学校内で出前を取ってはいけない』という校則があったとしたら、どう思う?」*2
「学校で出前ってw 常識で考えればダメだって分かりそうなもんだけど、実際にとった人がいたんでしょうねw」
「そうだろうね。出前をとった生徒が実際にいて、問題になって、それを禁じる校則ができた、と考えるのが自然だよね」
「そうね」
「利子についても、共同体の中でお金を貸して利子をとる人達が実際にいて、それによって何か問題が起こって、共同体のルールとして利子を禁じることにした、と考えるのが自然じゃないかな」
「まぁ、そうかもねぇ。そうだったとしたら、どんな問題が起きたのかな」
「うーん。利子が膨れ上がって働いても返せなくなった借り手が、臓器を売り飛ばされたとか、生命保険に加入させられて殺されたとか」
「いやいや、聖書が書かれた時代に臓器移植はしてないでしょ。生命保険も無かったと思うわ」
「じゃあ、借金を返せなくなった人が奴隷として売られたとか」
「それはあったかもね」
「若い女性だったら、性奴隷だね」
「……サイテー!」
「まぁ、こういった問題が起こって、利子が問題視されたのかも知れないよね」
「うーん、でも全部推測じゃない。そんなことがあったかどうか分からないわ」
「そう? 現代でも、ホストにハマった女の人が借金を返せなくなって、風俗の仕事を始めるなんて良くある話じゃない?」
「そんなの、自業自得だわ」
「じゃあ、学生時代に借りた奨学金を働きながら返済してて、金利の負担が重くて仕方なく風俗の仕事を始めたとか。これもありそうな話だよね」
「……。風俗、好きなの?」
「たとえばの話だよ!」
「ふむ。結局、何が言いたいかと言うと?」
「つまり、聖書を書いた人達は『お金を貸して利子を取る人がいると共同体の中で問題が起きる、共同体全体にとって好ましくない』ということを見抜いていて、だから利子を禁じたんじゃないかってことだよ」
「ふーむ……」
「イスラム教徒は今でも『利子には問題がある』と考えていて、だから今も変わらず利子を禁じているんだろうね」*3
「……ん? じゃあキリスト教の人たちは? 旧約聖書はキリスト教の聖典でもあるよね」
「うん、キリスト教でも当初は利子を禁じていたんだけどね。多くの神学者たちが色々な理屈をこねて、どうにかこうにか正当化してきたんだ」
「へー、そうなんだ」
「キリスト教徒の中に、利子を取って貸したいという人がたくさんいて、お金を借りたい人もたくさんいたから、教会側が折れたってことだろうね」
「ふーん。信者の要望に応えて、聖書の言葉をムリヤリ曲げたってことになるのか……」
「イスラム教徒から見たらそうかもねぇ」
「でも、需要と供給があってのことなんだから、それはそれでいいことなんじゃないの?」
「そこなんだけどね。貸す側が『利子を取りたい』と思ってるのは間違いないんだけど、借りる側は『利子を払いたい』とは思ってないよね」
「そうかも知れないけど、仕方ないじゃない。利子を払わないと貸してもらえないんだから」
「そうだね。でも、どうしてもお金を必要としている人に対して『貸してほしければ利子を払え』と言うのは、一種の脅迫なんじゃないだろうか」
「ええっ?」
「誘拐された子供をどうしても取り戻したい人に対して『返してほしければ身代金を払え』と言うのとあまり変わらないんじゃない?」
「いやいやいや、全然違うでしょ。誘拐犯は子供という交渉材料を得るために誘拐という罪を犯してるけど、貸し手が持ってるお金という交渉材料は、罪を犯して集めたものじゃないだろうし」
「そうだねぇ。ではどうやって集めたんだと思う?」
「商売で儲けたか、節約をして貯めたんでしょ」
「うん。じゃあ、節約をしてお金を貯めることは“善”だろうか」
「はぁ? あったり前でしょ! 節約が悪なわけないじゃない」
「どんな?」
「二人の人間だけしかいない経済を考える。無人島で熊さんと八さんの二人が生活しているとしよう」
「ふむ」
「熊さんは魚を捕るのが得意で、一日に4匹の魚を捕まえる。八さんは木登りが得意で、高い木になっている果物を一日に4個取れるとする」
「ほうほう」
「2匹の魚と2個の果物を交換して、二人とも一日に魚2匹と果物2個を食べて生活しているわけだ」
「ふむふむ。交換するだけなら、お金は要らないわね」
「そうなんだけどね。今は節約してお金を貯めることについて考えたいから、二人はお金を使っているとしよう」
「ほう」
「二人は貝殻で作ったお金を10枚ずつ持っているものとする。このお金はこれ以上増やさない約束だよ」
「ふむ。お金の単位は?」
「カイとしようか。貝殻1枚が1カイだ。魚1匹も1カイだし、果物1個も1カイだよ」
「じゃあ、熊さんは魚2匹を2カイで八さんに売って、八さんは果物2個を2カイで熊さんに売るわけね」
「その通り。これを毎日続けていても、それぞれの持っているお金は10カイで変わらないよね」
「そりゃそうね」
「ここで、八さんは節約を始めることにした。熊さんから魚を買うのは1匹だけにして、節約した1カイを貯金するわけだ」
「えーと、果物を熊さんに売って稼いだ2カイのうち、1カイだけ使って魚を買って、残りの1カイを貯めるわけね」
「そういうこと。そうすると、熊さんが捕った魚4匹のうち1匹が売れ残り、腐ってしまう。熊さんは仕方なく、魚を捕る量を3匹に減らすことにした」
「ふーむ」
「これを毎日続けていくと、八さんは毎日1カイずつお金を増やし、熊さんは毎日1カイずつお金を減らすことになる」
「そうね。10日後には、熊さんのお金は無くなっちゃうわね」
「熊さんのお金が無くなったところで、八さんが『10カイ貸してほしければ10日ごとに1割の金利を支払え』と言ったらどうだろうか。これは脅迫ではないのか? 八さんの節約は“善い”ことなのか?」
「むむむ……」
「八さんの節約と貯金は、熊さんの生産物を腐らせ、熊さんの所得を下げることによって成り立ってるんだよね。僕にはこれが“善”だとはとても思えないんだよ」
「うーむ……」
「社会の中を流通するお金を、血液にたとえることが良くあるよね。血液は全身をとどこおりなく流れるのが良いのであって、どこかの臓器が貯め込んじゃダメだよね」
「そりゃそうね」
「ある臓器が血液を貯め込んで周囲を困らせたあげく、『血を流してほしければ貢ぎ物をよこせ』と言ったら、それは“悪”だよね」
「そうね……」
「どうだろう。お金を貸して金利を取ることに本当に正当性があるのかどうか、きちんと考えてみるべきだと思わない?」
「たしかに、そんな気になってきたわ……」
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