経済学を疑え!

お金とは一体何なのか?学校で教えられる経済学にウソは無いのか?真実をとことん追求するブログです。

アリストテレスに学ぶ正しい社畜の扱い方

はじめに

「万学の祖」と称される古代ギリシャの哲学者アリストテレスは、「経済学*1」という書物の第一巻第五章で、奴隷の扱い方について書いています。*2

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奴隷というと私たちはつい、かつてのアメリカの黒人奴隷のように鎖でつながれた奴隷をイメージしてしまいますよね。

しかし、古代ギリシャの奴隷は別に鎖でつながれたりはせず、自由に町を歩くことができました。

奴隷でない人のことを自由人といいますが、自由人が奴隷に何をさせていたかと言えば、もちろん働かせていたのですね。

自由人が手掛ける事業で働き手として働かせたり、あるいは自由人の家で家事をさせたりしたわけです。

その代わり、自由人は奴隷たちに衣食住を与えました。

どうやら、古代ギリシャの奴隷というのは現代でいうところの労働者(社畜)と大して違わないようですね。

違いを挙げるとすれば、以下の3点ぐらいでしょうか。

  • 労働の対価として与えられるものが、奴隷なら衣食住の現物支給だが、社畜なら衣食住を買うための金銭である
  • 奴隷は奴隷狩りや戦争捕虜などで無理やり奴隷にさせられたが、社畜は自ら望んで社畜になる*3
  • 奴隷には奴隷を辞める自由は無いが、社畜には社畜を辞める自由が有る*4

ざっくり言い切ってしまえば、古代ギリシャの奴隷は現代の社畜と同じです。

したがって、アリストテレスが説く奴隷の扱い方は、現代における社畜の扱い方に通ずるものがあります。

今回の記事では、この「経済学」第一巻第五章を引用しながら、社畜の正しい扱い方について考察していきたいと思います。*5

基本的に引用部分は読み飛ばしても大丈夫です。

最も重要な財産は人材

財産のうち、最良の、そして家政上最も重要なものが第一の問題で、そして最も不可欠だ。これはすなわち人間である。

自由人が所有する財産の中で、人間すなわち奴隷がもっとも重要だと書かれています。

現代でも、企業が利用する資源であるヒト、モノ、カネのうち、ヒトが最も重要だと良く言われますよね。

なんだか人道的で素晴らしいことを言っているようにも聞こえますが、これは単に財産の中で人間が最も有用だと言っているに過ぎません。

経済学者のアダム・スミスカール・マルクスは「人間の労働が価値を生み出す」と考えました。

新たな価値を生み出すのが人間の労働だけであるなら、人間が最も重要な財産であることは当然ですよね。

そこで、まず第一に役に立つ奴隷を手に入れることが必要である。

どうせ社畜を手に入れるなら、役に立つ社畜を手に入れるべきです。

これも当たり前ですね。

奴隷には二種あり、すなわち監督者と働き手とである。

監督者というのは働き手を管理する管理職のことですね。

南北戦争以前のアメリカでもそうですが、奴隷の中には奴隷を管理する奴隷がいました。

現代でも同じことで、社畜の中には社畜を管理する社畜がいますよね。

教育の重要性

我々は教育というものが年少者を一定の性格の者に造り上げることを知っているのだから、奴隷を手に入れたならば、自由人にふさわしい仕事をゆだねるべき奴隷たちを[注意深く]育て上げることが肝要である。

ここでは教育の重要性について書かれています。

子供を注意深く教育することで一定の性格の人間に造り上げることが出来るのだから、教育によって良い奴隷を育てることが肝要だということです。

現代の教育においても、子供たちを良い社畜に育て上げることを念頭に置いてカリキュラムを組むべきだということになるでしょう。

確かに、現代の教育は従順なサラリーマンを育てるためにある、と主張する人は居ますよね。

人材の扱い方

奴隷たちとの関係は要するに彼らにつけ上がることはさせず、それかといって彼らを苦しめもせず、

奴隷をつけ上がらせてはいけない。

社畜にも同じことが言えますね。

奴隷を苦しめてもいけない。

現代では社畜を苦しめている経営者も多いようですが、アリストテレスはこれをたしなめています。

彼らのうちやや自由な者たちには幾分の名誉を頒(わ)かち与え、

やや自由な奴隷とは管理職のことでしょうか。

彼らには名誉を分け与えるべきだとアリストテレスは言っています。

なんらかの肩書きを与えてやることで、それを誇りにしてさらに頑張る奴隷や社畜は多いでしょう。

肩書きのランクが一目で分かるように、服装に違いをつけることも有効かも知れません。

マクドナルドでは役職によって違う制服を着用しているそうです。

「いつかはあの制服を着てやるぞ」と頑張る人も居るでしょうね。

働き手たちには沢山の養いを与えることにある。

そして、働き手には沢山の養いを与えよとあります。

養いというのは栄養、すなわち食べ物のことですね。

奴隷たちがお腹をすかせることが無いように、食べ物は十分に与えるべきだということです。

現代で言えば、食べ物を十分に食べられるだけの給料を与えるべきだということになるでしょう。

これも当たり前のことですが、場合によっては食うに困るほどの給料しかもらえない人も居ますよね。

酒を飲むことは自由人をも傲慢にするものであり、またカルケドン人が従軍する際のように、自由人の間でも多くの民族はこれを差し控えているのだから、絶対に与えぬか、または極めて稀にしか与うべきでないことは明白である。

奴隷に酒を与えると傲慢になってしまうから、酒は与えない方が良いと書かれています。

現代でも、社畜に酒は飲ませない方がいいでしょうね。*6

しかし通常、社畜が勤務後に酒を飲むことまでは禁止できません。

どうしても禁止したければ、宗教や法律*7で禁止するしかありません。

イスラム教では飲酒が禁止されていますよね。

筆者はイスラム教徒と一緒に仕事をしたことがありますが、彼らは非常に優秀で真面目でした。

仕事と給料

さて仕事と懲罰と食物との三者であるが、罰せられもせず働きもせず、しかも食物を与えられるというのでは、彼らを傲慢ならしめる。仕事と懲罰はあっても、食物を与えられないというのは無理なことで、彼らの能力を損ずる。そこで残るところは、彼らに仕事と十分の食物を与えることだ。何となれば報酬を与えずして他人を支配しようとするのは不可能であり、奴隷にとっての報酬とは食物にほかならぬから。

この部分は要するに、以下のようなことを言っています。

奴隷が仕事をしないからと言って食べ物を与えないわけにはいかない。

食べ物を十分に与えることで奴隷を支配し、仕事をさせるべきだ。

つまり、給料を(最低でも食べるのに困らない程度に)十分に与えることで社畜を支配し、仕事をさせるべきだということです。

それは確かにそうなのですが、では仕事をしない社畜にはどう対応すれば良いのでしょうか。

社畜につけ上がらせてはいけません。

功には褒美を、罪には罰を

ちょうど他の[自由な]人々においても、より善い人々にはより好いことがあり、また徳と罪悪との報いがあるというのでなければ人々は次第に悪くなって行くように、奴隷についても同様である。

奴隷に限らず人間というものは、善いことをしても良いことが起きず、悪いことをしてもバチが当たらないとすれば、だんだん悪くなってしまうのだと言っています。

確かにその通りですよね。

それゆえ我々は観察を怠らずに、何でも、食料にもせよ、衣服にもせよ、休息にもせよ、懲罰にもせよ、彼らの功罪に応じて頒(わ)かち与え、また停止すべきだ。

したがって、奴隷の行いを良く観察し、奴隷が善いことをしたら何らかの褒美を与え、悪いことをしたら罰を与えるべきだと言っています。

そうすれば、奴隷が悪い奴隷になることを防ぎ、むしろ良い奴隷になっていくということです。

社畜にも言えることでしょうね。

その際、理論においても実行においても医薬の道における医師の遣り口を手本とすべきであるが、

褒美や罰を与える時は、医薬の道における医師のやり方を手本にするべきだと書かれています。

これはつまり、どんな時にどんな褒美や罰をどれぐらい与えたら奴隷(社畜)がどういう反応をするのかを良く観察して記録し、処方が正しいか否かを常に検証すべきだということでしょう。

現代においても、賞罰の制度が決まっているからといってそれを機械的に適用するのではなく、社畜の反応を見ながら臨機応変に対応し、また制度自体を改善していくべきだ、ということになります。

一方、食物は絶えず与えられるという点で医薬とは違うことを弁えておかねばならない。

これは、食べ物を与えないことを罰にしてはいけないということでしょう。

繰り返しになりますが、最低でも食べるのに困らないだけの給料を与えるべきだということです。

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ラファエロアテナイの学堂」より。左はプラトン、右がアリストテレス

奴隷の適正

奴隷のうち仕事に最も適する種類は、臆病に過ぎずしかも勇敢にも過ぎぬものと言えよう。かような性質の者はいずれも害があるから。何となれば余りに臆病なものは忍耐力を欠き、一方、血気に逸るものは御し難いから。

臆病すぎる人は忍耐力が無いから奴隷(社畜)には向かない、勇敢すぎる人はコントロールが難しいから奴隷(社畜)には向かないと書かれています。

適正があるのは、ある程度の臆病さとある程度の勇敢さを兼ね備えた人だということです。

これは奴隷や社畜だけでなく、色々なことに当てはまるかも知れませんね。

解放の約束

また彼ら総てに定まったあてがなくてはならない。自由の身となることが褒美としてあるのは正当でもあり、また有利なことだから。褒美があり、かつ期限が定まっていると彼らは喜んで骨折るものだから。

奴隷は期限を定めて解放してやるべきだと書かれています。

解放されて自由の身になることは大きな褒美であり、期限が決まっていればそれまでの間、喜んで働いてくれると書かれています。

現代で言えばこれは定年制度ですね。

定年になれば社畜は解放されて自由の身となり、さらに退職金という褒美まで貰えます。

定年までは頑張って働こうという気になりますよね。

人質としての子供

そして彼らに子供をつくることを許し、これを人質にとって彼らをその仕事に縛らねばならぬ。

奴隷たちが交わって子供を作ることを許し、その子供を人質にして奴隷を仕事に縛りつけろと書かれています。

子供を人質にするというのは、子供に刃物を突き付けたりすることではないでしょう。

奴隷に家族が無ければ一人で逃げ出すこともあるでしょうが、子供(や妻)が居ればそれだけ逃げることが難しくなります。

リスクを冒して家族で逃げるよりも、奴隷の身分に甘んじて働き続ける方がよほど安全ですから、子供を作らせるだけでそれが人質になるわけです。

現代でも同じことが言えますよね。

独身の社畜は仕事が嫌になれば簡単に辞めてしまうかも知れませんが、家族が居れば簡単には辞められませんから、社畜の身分に甘んじて働き続けるでしょう。

また、現代の場合は家を買わせてローンを組ませることも有効ですね。

住宅ローンがあれば辞めることがさらに難しくなりますから、仕事がつらくても頑張って働くしかありません。

家は借りるよりも買うことを奨励しましょう。

団結の阻止

また国家の場合と同様、同種族の奴隷たちを多数買い入れぬことである。

ここでは、同じ種族の奴隷を数多く買い入れるなと書いてあります。

これは、奴隷たちが団結することを防ぎたいからです。

奴隷たちが一つに団結してしまったら、主人に逆らうことが出来てしまいます。

最悪の場合、奴隷たちが主人を殺して財産を奪うかも知れませんし、そこまでしなくても奴隷たちが待遇についてわがままを言い出したら切りがありませんから、奴隷が団結することはなんとしても防がなければなりません。

現代で言えば、社畜たちが組合を作ることを防ぐべきだということになります。

組合を作ることが防げない場合は、何らかの方法でその組合の力を削ぎ、骨抜きにする必要があるでしょう。

ガス抜き

そして供犠や娯楽は自由人のためよりも一層奴隷たちのために催すべきだ。かような行事がならわしとなった理由は奴隷たちに在っては[自由人におけるよりも]一層重いからである。

奴隷たちのために供犠(くぎ)や娯楽を催すべきだと書かれています。

供犠というのは神にいけにえを捧げる儀式のことですが、要するにお祭りですね。

奴隷たちは毎日働いていて、面白くない日々を過ごしています*8から、時々こういうイベントを催してガス抜きをしてやる必要があるのです。

現代でも同じことが言えますが、社畜たちの雇い主がイベントを開催することはほとんど無く*9、イベントはそれ専門の業者が開催していますね。

社畜たちはそれぞれ自分が参加したいイベントに参加し*10、そのための費用を社畜の雇い主が(給料に含めて)払うという形になっています。*11

つまり、給料は衣食住をギリギリ満たすだけの金額ではダメで、ガス抜き(息抜き)をするための費用も含めて渡すべきだということです。

おわりに

アリストテレスは2400年前に生まれた*12人物ですが、その文章を読むと「人間のやることは基本的に何千年たっても変わらないんだな」と実感しますね。

あなたもそう思いませんか?

*1:訳によっては「家政論」という書名になっています。

*2:実際にはこの本はアリストテレスが書いたものではなく、その後輩たちが書いた文章をまとめて作られたものです。権威付けのためにアリストテレスの名前を借りているのですね。この記事でもアリストテレスの名前を借りることにします。

*3:私たちは自分たちが自ら望んで社畜になっていると思っていますが、本当にそうでしょうか?現代社会において社畜にならずに狩猟や採集などで生きていくことは難しいですよね。私たちは生きていくために社畜にならざるを得ないように追い込まれているのではないでしょうか?

*4:辞めたとしても、多くの場合はまた別のところで社畜になるのですが。

*5:「経済学」第一巻第五章は短い文章で、この記事で全文を引用しています。

*6:酒を飲ませて良いことは、コミュニケーションが円滑になるかも知れないことぐらいでしょうか。でもこれは酒が無ければ出来ないことではないでしょう。

*7:サウジアラビアでは法律で飲酒が禁止されています。

*8:仕事それ自体が面白ければ良いのですが、そういうケースは多くないでしょう。

*9:社内運動会などが催されることがありますが、社畜にとってはあまり面白いものではないでしょう。

*10:イベントに限らず趣味全般ですね。

*11:もちろん「イベント参加費」のような名目でくれるわけではありませんし、お金をどう使うかは社畜の勝手です。

*12:ちょうど2400年前ですね。今年はアリストテレス生誕2400周年です。

緑のお金と茶色のお金(3) 政府支出とMS,MBの増減

前々回の記事では、マネーストック(MS)とマネタリーベース(MB)の関係を正しく捉えるためにグリーンマネーとブラウンマネーのモデルを作りました。

whatsmoney.hateblo.jp

前回の記事ではこのモデルに政府預金*1を導入しました。

whatsmoney.hateblo.jp

<前回のまとめ>

  • 政府預金はグリーンマネーであり、かつブラウンマネーである。
  • グリーンマネーの総額がMS。ただし政府預金は含まない。
  • ブラウンマネーの総額がMB。ただし政府預金は含まない。
  • 地方政府にしろ中央政府にしろ、徴税や政府支出はマネーの移動にすぎない。

今回は、政府支出によってMS*2やMB*3がどう変化するのかを、その財源ごとに考えてみましょう。

徴税したお金で政府支出

家計や企業から税金として徴収したお金で中央政府が支出する場合、グリーンマネーやブラウンマネーは移動するだけです。

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グリーンマネーは公衆→中央政府→公衆と移動するだけですから、マネーストック(MS)は増減しません。

ブラウンマネーは銀行→中央政府→銀行と移動するだけですから、マネタリーベース(MB)も増減しません。

もちろん、政府預金はMSにもMBにも含まれませんから、徴税した直後にはMSもMBも減少します。

しかしその後、政府が支出することによってMSとMBが増加して元に戻りますよね。

MSやMBがいったん減少するのは単に「政府預金はMSやMBに含まれない」と定義されているからであって、グリーンマネーやブラウンマネーの量で見れば増減していないことがお分かり頂けるでしょう。

公衆が国債を買ったお金で政府支出

中央政府が発行した国債を家計や企業が買い、その代金として支払われたお金で政府支出をする場合はどうでしょうか。

この場合も、マネーの流れは徴税で政府支出をする場合と変わりません。

違うのは、中央政府国債を発行し、それが公衆の手に渡り金融資産となる点です。

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図の中で国債が無い状態から拡大して出現しているのは、中央政府国債を新たに発行したことを表しています。

徴税→政府支出の時と同様、MSもMBも増減しませんが、公衆の金融資産として国債が増加します。*4

銀行が国債を買ったお金で政府支出

中央政府が発行した国債を銀行が買った場合には何が起きるでしょうか。

銀行側ではブラウンマネーである日銀当座預金が減少します。

中央政府側では、ブラウンマネーに載ったグリーンマネーである政府預金が増加します。

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ブラウンマネーが銀行から中央政府に移動したことは明らかですが、グリーンマネーについてはどこかから移動したものではありませんから、銀行が新たに作り出したのだと解釈するしかありません。

銀行が公衆に対して貸し付けをする時にグリーンマネーを作って渡すのと同様に、銀行が政府に対して貸し付けをする時にもグリーンマネーを作って渡していることになるわけです。

仮にですが、新たなグリーンマネーを作って相手に渡すことを信用創造と呼ぶことにするならば、銀行は政府から国債を買う時に信用創造をしているのだと言えます。

結局、銀行が国債を買ったお金で政府支出をするとグリーンマネーが増えますから、MSが増加します。

日銀が国債を買ったお金で政府支出

中央政府が発行した国債中央銀行である日銀が買った場合には何が起きるでしょうか。

中央政府側では、ブラウンマネーに載ったグリーンマネーである政府預金が増加します。

日銀は資産としてのマネーを持っておらず*5、必要な時に発行しますから、この時にブラウンマネーとグリーンマネーを同時に作り出して中央政府に渡したことになります。*6

政府支出によりブラウンマネーとグリーンマネーが移動することについては、前節までの話と同じです。

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結局、日銀が国債を買ったお金で政府支出をするとブラウンマネーとグリーンマネーが増えますから、MBとMSの両方が増加します。

日銀が直接政府から国債を買ったお金で政府支出をするということは、俗に言う財政ファイナンス*7に当たり、これは一応禁止されていることになっています。

しかし、日銀が直接政府から新発債を買うことが出来なかったとしても、日銀が銀行から国債を買い、銀行がその代金で新発債を買えば同じ結果になります。

中央政府はいくらでも借金ができる

ここまでの話で、中央政府はいくらでも借金を増やすことが可能だということが分かります。

第一に、公衆が国債を買ったお金で政府支出をすると、MBとMSは増減せず公衆の金融資産としての国債が増加します。

このプロセスは何回でも繰り返すことができ、繰り返すたびに、公衆の金融資産としての国債が増加します。

第二に、銀行が国債を買ったお金で政府支出をすると、MSが増加するのと同時に銀行が保有する国債が増加します。

このプロセスは何回でも繰り返すことができ、繰り返すたびに、MSと銀行保有国債が増加します。

第三に、日銀が国債を買ったお金で政府支出をすると、MBとMSが増加するのと同時に日銀が保有する国債が増加します。

このプロセスは何回でも繰り返すことができ、繰り返すたびに、MBとMSと日銀保有国債が増加します。

以上より、中央政府はいくらでも借金を増やすことが可能です。

国債を買っているのは国民の金融資産であり、国債を買うたびに金融資産が減るのだから、いずれ国債を買うことは出来なくなる」というようなことを言う人が居ますが、それはウソだと言うことです。

たしかに、公衆や銀行が「これ以上は国債を(買うことは出来るけど)買いたくない」と言うことはあるかも知れません。

しかし、日銀の場合はそれもありません。

日銀が国債を買うことが必要だ、と判断されれば買われることになります。*8

政府の借金は返す必要がない

このような話をすると、「政府が借金をいくらでも増やせることは分かったが、その借金を返せなくなるのでは意味がない。借金は返せる範囲に制限するべきだ」と思われるかも知れません。

しかし、日本のように自国で通貨を発行することの出来る国にとっては、政府の借金というものはマクロで考えれば「そもそも返す必要が無い」のです。

この点については既にブログ記事を書いていますので、気になった方は読んでみて下さい。

whatsmoney.hateblo.jp

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注意して頂きたいのは、私は「政府はいくらでも野放図に借金ができ、返済する必要も無い。税金を取る必要も無い。無税国家の完成だ!」などと主張しているわけではないということです。

個々の債務は約束通りに返済する必要がありますし、税金を徴収することにも意味があります。

今回の記事では中央政府がなんらかの財源で政府支出をした時に何が起きるのかを分かりやすく説明しただけであって、特にこれと言って主張は無いのですが、あるとすれば以下の2点になります。

  • 政府がどれだけ借金ができるのかは、国民の金融資産の量に制限されているわけではない。
  • 政府の借金は本質的には返す必要がないのであって、政府は債務の残高を減らしていかなければならないわけではない。

 

*1:単に政府預金と言う場合、中央政府の政府預金のことを指します。

*2:マネーストックとしてどの指標で考えるのかを今までの記事で書いていませんでしたが、分かりやすさを重視してM1を使うことにします。概念的な考察をしているだけなのでM2でもM3でも別に構わないのですが。

*3:実はMBの増減はあまり重要ではありません。

*4:マネーストック指標の一つである広義流動性には国債も含まれるため、広義流動性で考えればマネーストックが増加することになります。

*5:硬貨は例外ですが。

*6:ここでも信用創造が起きています。

*7:三橋貴明氏よれば、財政ファイナンスという言葉は日本にしかなく、諸外国では「国債の貨幣化(マネタイゼーション)」と言われます。

*8:ただし、何らかのルールによって自縄自縛的に「日銀はこれ以上国債は買わない」ということはあり得ます。

緑のお金と茶色のお金(2) 政府預金を考える

前回の記事では、グリーンマネーとブラウンマネーについて説明しました。

私たちがお金として使っているのはグリーンマネー(預金通貨、現金通貨)であり、グリーンマネーの総額がマネーストックです。

ブラウンマネーはグリーンマネーを運ぶ荷台(パレット)にすぎず、私たちの財布に入っている現金通貨はブラウンマネーという荷台に載ったグリーンマネーだということでした。

今回は、前回の記事で無視した政府預金について考えましょう。

政府預金はグリーンマネーでしょうか、ブラウンマネーでしょうか。

地方自治体の預金

政府預金は政府が持っている預金のことですが、政府と言えば大きく分けて中央政府と地方政府(=地方自治体)の2つがあります。

ふつう「政府預金」と言う場合には中央政府が持つ預金のことを言いますが、まずは地方自治体が持っている預金について考えてみましょう。

たとえば、東京都という地方自治体は、みずほ銀行に預金口座を持っています。

大阪府りそな銀行京都府京都銀行など、各自治体が口座を持つ銀行は決まっていて*1中央政府のように日銀に口座を持っているわけではありません。

要するに、地方自治体も私たちと同様に、市中の銀行を使っているわけです。

そして、日銀のマネーストックの定義によれば、地方自治体も私たち個人や企業と同じ「通貨保有主体」です。

つまり、マネーに関する限り、地方自治体は私たちと変わるところがありません。

したがって、地方自治体が税金を徴収した時のマネーの動きは、私たちが誰かに預金を振り込んだ時と全く同じであり、以下の図のようになります。

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地方自治体が支出をした場合には、これと逆方向にグリーンマネーが動きます。

結局のところ、地方自治体が持つ預金はグリーンマネーだということです。

そして、徴税は単なるグリーンマネーの移動*2であり、グリーンマネーやブラウンマネーが消えたり新たに生まれたりはしないことが分かると思います。

中央政府の預金

中央政府の場合は、中央銀行である日銀に預金口座を直接持っています。

したがって、徴税を地方自治体と同様にグリーンマネーの移動だと捉えれば、その動きは以下の図のようになるでしょう。

中央政府が支出をした場合には、これと逆方向にグリーンマネーが動きます)

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つまり、政府預金は私たちが持っている現金通貨と同様に、グリーンマネーとブラウンマネーが重なったものだと考えることが出来るわけです。

しかし、ここで注意すべき点があります。

と言うのは、政府預金はその定義上、マネーストック(MS)にもマネタリーベース(MB)にも含まれないということです。

そうすると、前回「グリーンマネーの総額がMS」「ブラウンマネーの総額がMB」と書いたことにズレが生じます。

これはどう考えれば良いでしょうか。

簡単なのは、「グリーンマネーの総額がMS(ただし政府預金は含まない)」のように、但し書きを付けることです。

もう一つの考え方は、「グリーンマネーの総額がMS」にこだわって、「中央政府が徴税するとマネーが消滅する(中央政府が支出すればマネーが生まれる)」というものです。

これはどちらで考えても別に間違いではないのですが、ここでは分かりやすい方、すなわち前者を採用することにしましょう。

当初の目的は、MSやMBを正しく捉えるための「分かりやすい」モデルをつくることですからね。

徴税でグリーンマネー(とブラウンマネー)が消えると考えた場合、以下のような疑問に対して誰もが納得できる分かりやすい回答を与えることは難しいでしょう。

  • 徴税でグリーンマネーは消えたはずなのに政府預金の数字が増えることはどう考えたらよいのか?
  • 地方政府の徴税ではグリーンマネーは単に移動するだけなのに、中央政府の場合だけ徴税でグリーンマネーが消えるとはどういうことか?

よって、ここでは以下のように考えることにします。

  • 政府預金はグリーンマネーであり、かつブラウンマネーである。
  • グリーンマネーの総額がMS。ただし政府預金は含まない。
  • ブラウンマネーの総額がMB。ただし政府預金は含まない。
  • 地方政府にしろ中央政府にしろ、徴税や政府支出はマネーの移動にすぎない。

ここまでで説明したモデルを受け入れれば、国債の発行や徴税、政府支出、国債の売買などでマネーがどう動くのか、MSやMBは増減するか否かなどが自然に理解できるようになります。

次回、図を使って説明します。

whatsmoney.hateblo.jp

*1:指定金融機関と言います。

*2:荷台としてのブラウンマネーの移動を伴います。

緑のお金と茶色のお金(1) MSとMBを正しく捉えるためのモデル

はじめに

マクロ経済について話をする時、マネーストック(MS)とマネタリーベース(MB)の関係についての理解が食い違っていることが良くあります。

根本的なところで食い違っているため、お互いに異なる土台の上で議論をすることになります。

当然、実りのある議論にはならず、罵り合いになってしまうこともありますね。

MSとMBの関係についての理解が一致しない限り、マクロ経済について議論することは出来ないと私は考えています。

今回の記事では、私がMSとMBをどのように捉えて理解しているのかを視覚的に説明してみることにします。

私と異なった理解をしている方は、私の説明するモデルの不適切な点を指摘してみてください。

緑のお金と茶色のお金

マネーストックを構成するお金のことを、グリーンマネーと呼ぶことにしましょう。

マネーストック=現金通貨+預金通貨」ですから、現金通貨はグリーンマネーであり、預金通貨もグリーンマネーです。

グリーンマネーの総額がマネーストックになります。

一方、マネタリーベースを構成するお金のことは、ブラウンマネーと呼ぶことにします。

「マネタリーベース=日銀券発行高+日銀当座預金+流通貨幣」ですから、日銀券や硬貨はブラウンマネーであり、日銀当座預金もブラウンマネーです。

ブラウンマネーの総額がマネタリーベースになります。*1

私たちの財布に入っている日銀券や硬貨という現金通貨は、グリーンマネーであり、かつブラウンマネーでもあるということになります。

これは、グリーンマネーとブラウンマネーが重なっている、グリーンマネーがブラウンマネーの上に載せられていると解釈することにしましょう。

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銀行の手持ち現金はグリーンマネーではない

ここで注意すべき点があります。

というのは、銀行が手持ちしている現金はマネーストック(MS)には含まれないということです。

日銀のサイトをみるとMSを構成する現金通貨は「銀行券発行高+貨幣流通高」と書かれているのですが、注意書きに「現金通貨は金融機関保有現金を含みません」とあるのです。

つまり、銀行が保有している現金は現金通貨に含まれません。

この点は、教科書と言えるような書物でも見落とされていることがありますが、MSとMBの関係を理解する上では決定的に重要ですのでよく覚えておいてください。

銀行の手持ち現金はMSには含まれず、したがってグリーンマネーではありません。

要するに、銀行の手持ち現金は日銀当座預金と同様に、純粋なブラウンマネーなのです。

預金通貨は誰の手元にあるのか

貴方が銀行に100万円の預金を持っているとしましょう。

この100万円の預金通貨はグリーンマネーですが、このグリーンマネーはどこにあるのでしょうか?

銀行に預金しているのだから、銀行にあるに決まってる……という風に考えてしまうかも知れませんが、預金通貨というグリーンマネーは預金者である貴方の手元にある、と考えるべきです。

このグリーンマネーは現金通貨と同様に、貴方がいつでも好きな時に使うことができるお金なのですから。

他の誰も貴方の預金通貨を勝手に使うことはできませんし、銀行がこのグリーンマネーを勝手に誰かに貸し出すこともできません。

ある日突然、預金残高がゼロになっていて、銀行に問い合わせたら「あの100万円は○○社に貸し出しました」などと言われることはありませんよね。

預金通貨というグリーンマネーは間違いなく預金者の手元にあるのであって、銀行が持っているのではないということです。

同様に、日銀当座預金というブラウンマネーも銀行の手元にあるのであって、日銀が持っているのではありません。

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私たちは、グリーンマネーを支払ったり受け取ったりしながら経済活動をしています。

手元にあるグリーンマネー(現金+預金)の量が変わらないならば、手元のブラウンマネー(現金)の量が多いか少ないかはどうでもいいですよね。

私たち個人や企業にとっては、グリーンマネーこそがお金だということです。*2

預金の引き出し

銀行から預金を引き出した時、何が起きるでしょうか。

銀行側では、ブラウンマネーである現金が減少します。

顧客側では、手持ちしているグリーンマネーである預金通貨が減少し、ブラウンマネーに載ったグリーンマネーである現金通貨が増加します。

預金の引き出しは、顧客が持っている預金通貨というグリーンマネーを、銀行が持っているブラウンマネーに載せて渡してもらったのだと解釈することができます。

銀行から預金を引き出した時、ブラウンマネーもグリーンマネーも消滅したり新たに生まれたりしません。

預金の引き出しによってMBもMSも増減しないということです。

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現金の預け入れ

銀行に現金を預け入れた時は、何が起きるでしょうか。

銀行側では、ブラウンマネーである現金が増加します。

顧客側では、ブラウンマネーに載ったグリーンマネーである現金通貨が減少し、グリーンマネーである預金通貨が増加します。

現金の預け入れは、顧客が持っている現金通貨からグリーンマネーをはがして戻してもらい、残ったブラウンマネーだけを銀行に渡したのだと解釈することができます。

銀行に現金を預け入れた時、ブラウンマネーもグリーンマネーも消滅したり新たに生まれたりしません。

現金の預け入れによってMBもMSも増減しないということです。

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預金の振り込み(銀行送金)

預金の振り込みについてはどうでしょうか。

一つの銀行の中で振り込みをする場合は簡単ですね。

AさんからBさんへの振り込みだとすれば、Aさんの口座の残高が減ってBさんの口座の残高が増えるだけです。

これは、Aさんの手元にあったグリーンマネーがBさんの手元に移動したと解釈することができます。

ブラウンマネーは移動しませんね。

異なる銀行間での振り込みの場合はどうでしょう。

X銀行のAさんの口座からY銀行のBさんの口座への振り込みだとすると、Aさんの口座の残高が減ってBさんの口座の残高が増えることは同じですが、それだけでは終わりません。

X銀行が日銀に持つ当座預金の残高が減って、Y銀行の当座預金が増えるのです。

つまり、Aさんの手元にあったグリーンマネーがBさんの手元に移動するとともに、X銀行の手元にあったブラウンマネーがY銀行の手元に移動するということです。

これは、AさんのグリーンマネーがX銀行のブラウンマネーに載せられてY銀行に移動し、Y銀行がグリーンマネーだけをBさんに渡し、残ったブラウンマネーを手元に残したのだと解釈することができます。

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ブラウンマネーはグリーンマネーを移動させる際の荷台*3として振る舞うというわけです。

AさんがBさんに現金通貨を手渡す場合も、荷台としてのブラウンマネーに載せられたグリーンマネーを手渡しているのだと解釈できますね。

もちろん、預金の振り込みによってグリーンマネーもブラウンマネーも増減しません。

どちらも移動するだけです。*4

預金通貨による貸し付け

銀行が顧客にお金を貸し付けた時には何が起きるでしょうか。

通常、銀行による貸し付けは預金の残高を単純に増やすことで実行されます。

つまり、銀行がグリーンマネーを新たに作って顧客に渡すということです。

新たなグリーンマネーが作られるのですから、当然この時MSが増加します。

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もちろん、貸し付けられたグリーンマネーが現金で引き出されれば、銀行が手持ちしているブラウンマネーが流出することになりますが、現金の引き出しでは先ほど見た通りMBもMSも増減しません。

なお、顧客が預金通貨で返済を行う際は貸し付けの時と逆のことが起こります。

すなわち、預金の残高が単純に減らされることにより返済が実行され、この時グリーンマネーが消滅し、MSが減少します。

現金による貸し付け

もし、銀行が顧客に現金で貸し付けをした場合には何が起きるでしょうか。

銀行側では、ブラウンマネーである現金が減少します。

顧客側では、ブラウンマネーに載ったグリーンマネーである現金通貨が増加します。

このグリーンマネーはどこかにあったものが移動したわけではありませんから、銀行が新たに作り出したものだと解釈するしかありません。

現金で貸し付けをした場合でも、銀行はグリーンマネーを作っていることになるのです。

もちろん、この時MSが増加します。

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前節の話と比較してみれば、預金通貨で貸し付けてそれが現金で引き出された場合と、現金で貸し付けた場合とでは、全く同じ結果になることが分かるでしょう。

なお、顧客が現金で返済を行う際は現金での貸し付けの時と逆のことが起こります。

すなわち、返済された現金通貨のグリーンマネー部分が消滅し、残ったブラウンマネーが銀行の手元に残ります。

もちろん、この時MSが減少します。

ここまでで分かること

上記で説明したモデルを受け入れれば、以下のようなことが自然に理解出来るでしょう。

  • 銀行への預金によってお金は増えない。
  • 銀行に現金を預け入れる際、グリーンマネーは手元に残るのであって、銀行に渡してはいない。
  • 銀行は貸し付けの際にグリーンマネーを作っている。したがって貸し付けによってMSが増加する。
  • 銀行にお金が返済されるとグリーンマネーが消滅する。したがって返済によってMSが減少する。
  • 私たちはグリーンマネーを支払ったり受け取ったりして経済活動をしている。ブラウンマネーの量(MB)は気にしていない。
  • グリーンマネーを運ぶ荷台(パレット)にすぎないブラウンマネー(MB)をいくら増やしても、グリーンマネー(MS)が増えるとは限らない。
  • グリーンマネー(MS)が増えた時には、それを運ぶ荷台の需要が増えてブラウンマネー(MB)が増えることは考えられる。

他にも分かることはあるかと思います。

次回、このモデルに政府預金を導入します。

whatsmoney.hateblo.jp

*1:なお、この記事では政府預金についてはいったん無視します。政府預金は次回の記事で導入します。

*2:一方で銀行は、ブラウンマネーをお金として見ています。銀行が持つブラウンマネーが枯渇して調達も出来なくなると、その銀行は破綻したことになります。

*3:輸送・物流で使われるパレットをイメージしてください。

*4:現金通貨の手渡しも同様です。

銀行にとって預金は調達ではない

はじめに

前前前回の記事では、以下のような趣旨の文章を書きました。

  1. 日銀にとって当座預金は調達ではない
  2. 日銀は日銀券というお金を発行できるのと全く同様に、当座預金というお金を発行することができる
  3. 当座預金は銀行の手元にあって銀行が自由に使えるお金である
  4. 当座預金口座への出し入れは、紙のお金と数字のお金の交換にすぎない

これらはベースマネー(マネタリーベースを構成するお金)について言及した文章なのですが、実はマネーストックを構成するお金についても、全く同じロジックで同様のことが言えます。

ただし、これを説明するためには少し準備が必要です。

というのは、ベースマネーを作っているのが日銀であるのに対して、マネーストックを作っているのは日銀を含めた銀行システム全体だからです。

全ての銀行と日銀を連結して一つの経済主体と考えたものを「銀行システム」と呼ぶことにすると、以下のことが言えます。

  1. 銀行システムにとって預金は調達ではない
  2. 銀行システムは現金通貨というお金を発行できるのと全く同様に、預金通貨というお金を発行することができる
  3. 預金通貨は公衆*1の手元にあって公衆が自由に使えるお金である
  4. 預金口座への現金の出し入れは、紙のお金と数字のお金の交換にすぎない

全ての銀行を連結した「銀行システム」

国内の全ての銀行と日銀を連結して「銀行システム」という一つの経済主体と見ることを考えてみましょう。

つまり、全ての銀行が合併して「銀行システム株式会社」という一つの会社となり、日銀はその中の「中央銀行事業部」、みずほ銀行は「みずほ事業部」となるなど、事業部制になっていると想定するのです。

このように銀行システムを大きな一つの会社だと考えた時、そのバランスシート(BS)はどのような形になるでしょうか。

これは日銀が公表している「マネタリーサーベイ」という統計に答えがあります。

マネタリーサーベイ統計の「総括表」が銀行システムのBSにあたるものなのです。

それはこのような形をしています。

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黄色く色をつけた部分は、マネーストック(M3)になります。*2

つまり銀行システムのBSは大ざっぱに言うと、負債側にはマネーストックすなわち現金通貨と預金通貨*3があり、資産側には国債などの貸付債権があることになります。

このBSを齊藤誠的に解釈すれば、「現金通貨や預金通貨で調達したお金を国債などの貸付債権で運用している」ということになるでしょう。

しかし、この解釈もやはり誤解なのです。

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ここからは、前前前回と全く同じロジックを使って、なぜ誤解なのかを説明していきます。

全く同じロジックですので、前前前回の記事を読んで理解された方はすいすいと読み進めることが出来るでしょう。

逆に、まだ読んでいない方や理解されていない方は、前前前回の記事に戻って(再度)読んで頂ければと思います。

預金証書のアナロジー(たとえ話)

仮に、Aさんという人が預金口座に現金通貨を預け入れた時に、同額の預金証書が発行されてAさんに渡されるものと考えてみましょう。

たとえば、100万円の現金通貨を預け入れたら、代わりに100万円分の預金証書をAさんが受け取ります。

これは、額面が100万円の預金証書が1枚と考えてもいいですし、額面1万円の預金証書が100枚と考えても構いませんが、とにかく総額で100万円分です。

この預金証書はAさんにとってお金であり、現金通貨と同様に決済に使えます。

例えば、AさんがBさんに100万円を支払う必要がある時、Aさんは100万円分の預金証書をBさんに渡すことで決済できます。

これは実際には、Aさんが銀行システムに持っている口座の預金残高を100万円分減らし、Bさんの口座の残高を100万円分増やすことに相当します。

(この時、事業部間で日銀当座預金というベースマネーが移動しますが、銀行システム全体としてはベースマネーは動いていないのと同じことです)

このような預金証書のアナロジーを使うことによって、預金通貨というものが、Aさんの手元にあってAさんが自由に使えるお金であることがはっきりします。

当たり前ですが、預金通貨という「お金」はAさんが持っているのであって銀行システムが持っているのではありません。

しかし、預金通貨は銀行システムの帳簿上の数字にすぎないので、誰が持っているのかが分からなくなってしまう人もいるようです。

繰り返しになりますが、預金通貨という「お金」はAさんの手元にあり、Aさんが好きな時に自由に使うことができます。

銀行システムに預け入れて銀行システムに拘束されているわけではないのです。

預金口座からの引き出し

Aさんは、預金証書を銀行システムに持って行って現金通貨と交換してもらうことができます。

これは預金口座からの引き出しに相当します。

銀行システムは預金証書を受け取ると、現金を金庫から持ってきてAさんに渡します。

銀行システムの金庫にある現金は紙切れ扱い*4ですから、この時に紙切れから現金通貨に変わるのです。

この時点で、現金通貨が発行されたことになります。

銀行システムのBS上では、負債の現金通貨の金額がその分だけ増加します。

一方で、この時に銀行システムが受け取った預金証書は、ただの紙切れに変わります。

この預金証書は捨ててしまって構いません。

実際には、預金通貨の数字を減らすことで、お金を消滅させます。

結局、銀行システムのBSでは現金通貨が増加して預金通貨が減少するので、トータルするとお金の量は変わりません。

預金の引き出しによってマネーストックは増減しないということです。

そして、預金の引き出しは銀行システムにとって「預金証書というお金」を「現金通貨というお金」に交換するだけのことなのです。

どちらのお金も、銀行システムが発行したお金です。

預金口座への預け入れ

預金口座への預け入れは、引き出しのちょうど逆になります。

Aさんは、現金通貨を銀行システムに持って行って預金証書と交換してもらうことができます。

これは預金口座への預け入れに相当します。

銀行システムは現金通貨を受け取ると、預金証書を発行してAさんに渡します。

この時、預金証書というお金が生まれたということです。

実際には、預金通貨の残高をその分だけ増やすことになります。

一方で、受け取った現金は金庫に入れられます。

この時、この現金はマネーストックを構成する「現金通貨」というお金ではなくなります。

マネーストックというお金にのみ着目して言うなら、この現金は紙切れ扱いになったということです。

実際には、銀行システムのBS上で負債の現金通貨の金額がその分だけ減少します。

結局、銀行システムのBSでは預金通貨が増加して現金通貨が減少するので、トータルするとお金の量は変わりません。

預金口座への預け入れによってマネーストックは増減しないということです。

そして、預金口座への預け入れは銀行システムにとって「現金通貨というお金」を「預金証書というお金」に交換するだけのことなのです。

どちらのお金も、銀行システムが発行したお金です。

銀行システムは預金証書の発行で資産を買える

銀行システムが誰かの借用証書などの資産を買う時には、現金通貨というお金を発行して買うことができます。

そして全く同様に、預金証書というお金を発行して買うこともできるのです。

つまり、Aさんがサインした借用証書を買う場合には、Aさんの預金口座の残高を単純に増やすことで買うことができるわけです。

(これはAさんへの貸し付けに相当します)

数字を増やすだけで資産を買えると言われると変だと思うかも知れません。

しかしAさんにとっては、銀行システムが発行する預金証書(預金口座の数字)はいつでも現金通貨と交換できる「現金通貨交換券」であり、そのままでも現金通貨と全く同じように使えるお金なのですから、何の問題も無いのです。

そして実際に銀行システムが資産を買う時にどうしているかというと、預金口座の残高を増やすことで買っているのです。

(現金通貨で買う場合は、現金通貨を用意して直接Aさんに渡すことになりますが、通常このようなことは行われません)

再度、預金口座への預け入れとは何か

預金口座への現金通貨の預け入れとは何かをもう一度説明しておきます。

Aさんが現金通貨を預金口座に預け入れた時、Aさんはお金を一時的に手放したのではありません。

預金通貨というお金が依然としてAさんの手元にあり、Aさんはこれをいつでも自由に使えるのです。

銀行システムがAさんから現金通貨の預け入れを受けた時、銀行システムは何か意味のある経済的資源を手に入れたのではありません。

銀行システムにとっては、現金通貨も預金通貨(預金証書)も紙切れに過ぎないのです。

Aさんが「紙のお金(現金通貨)よりも数字のお金(預金通貨)の方がいいから交換して」と言ってきたから、交換してあげただけのことです。

「現金が手に入ったからこれで借用証書を買えるぞ!」ということではありません。

銀行システムが借用証書を買いたければ、単に預金通貨(預金証書)を発行して買うのです。

結論

以上より、「はじめに」に書いたように以下のことが言えます。

  1. 銀行システムにとって預金(預金通貨)は調達ではない
  2. 銀行システムは現金通貨というお金を発行できるのと全く同様に、預金通貨というお金を発行することができる
  3. 預金通貨は公衆の手元にあって公衆が自由に使えるお金である
  4. 預金口座への現金の出し入れは、紙のお金と数字のお金の交換にすぎない

ただし、銀行システムを分解して中央銀行と個々の銀行に分けて考えた時にも同様のことが言えるかどうかは少し注意して検討しなければなりません。

これは課題として残しておきましょう。

以下のような方針で検討すれば良いかと思います。

  • 銀行システムから中央銀行事業部のみを分離し、中央銀行と一つの民間銀行として考えたときにどうか
  • 上記で結論が変わらなければ、さらに民間銀行を2つに分割して考えたときにどうか
  • 上記で結論が変わらなければ、民間銀行をいくつに分割しても結論は変わらないはず*5

*1:企業や家計、地方公共団体などの経済主体を公衆といいます。

*2:なぜ負債側に現金通貨があるのかと言うと、銀行のBSで銀行が保有する現金は左側にあり、日銀BSの右側にある発行銀行券と相殺すれば公衆が保有する現金通貨だけが残るためです。なお日銀当座預金は日銀BSでは右側、銀行のBSでは左側にあるため相殺されて消えます。

*3:この記事では便宜上、準通貨(定期預金など)やCD(譲渡性預金)も預金通貨と考えることにします。

*4:銀行の手持ち現金はマネーストックを構成するお金ではありません

*5:より厳密には、数学的帰納法の要領で考えれば良いでしょう。

真実を追求してはいけない

「今回は、魔法の世界の話をしよう」

「また唐突ねぇ。魔法の世界って、異世界モノってこと?」

「そう思ってくれて構わないよ。我々の住む世界とは違う世界のお話だ」

「ふーむ。聞きましょう」

「その世界には、魔法を使うことが出来る人、つまり魔法使いがいる」

「ほう。使えない人もいるってこと?」

「そうだね。大部分の人は魔法を使えない」

「ふむ。それで?」

「魔法使い達は、魔法が使えるというだけで偉いとされていて、貴族のような暮らしをしている」

「魔法使いが貴族……。いいわねぇ。遊んで暮らせるってことでしょ?」

「まぁ、そうだね。一般の民衆は貴族である魔法使いに定期的に貢ぎ物をする。魔法使いはその見返りに、魔法の力で世界の平和を守っている」

「なるほど。遊んでばっかりってわけでもないのか」

「そうだねぇ」

「私もその世界で魔法使いになりたいなぁ。どうすれば魔法が使えるようになるの?」

「普通の学校で、魔法の理論は教えてもらえる。これを一般魔法学と呼ぶことにしよう」

「理論を学べば使えるようになるの?」

「いや、ならない。魔法を使えるようになるのは、生まれつき魔力を持っている人だけなんだ」

「力が欲しい……」

「魔法学校に入学して、実践的な魔法学、すなわち実践魔法学を学べば魔法を使えるようになるんだけどね。魔力を持っている人じゃないと魔法学校には入れないんだよ」

「うーん……」

「魔力は遺伝するから、魔法使いの子供が魔法学校に入って、また魔法使いになるんだ」

「生まれで決まっちゃうのかぁ。ずるい」

「そうだね。貴族が世襲制なのと同じように、この世界の魔法使いも世襲制になってるわけだ」

「貴族の家に生まれたい人生だった」

「じゃあ、マイはこの世界の魔法使いのトップである法王の娘として生まれたとしようか」

「マジで!やった!」

「法王は立派な大邸宅に住んでいて、たくさんの貢ぎ物が届くから、マイは何不自由なく育つ」

「いいね~」

「マイが15歳になると、いよいよ魔法学校に入学する」

「高校ぐらいね」

「魔法学校は全寮制で、長期休暇以外は外に出られないよ」

「そうなんだ」

「それに、教えられる内容は外部には秘密になっていて、関係者以外は絶対に学内に入れないようになっている」

「ふーん。ずいぶん厳重なのね」

「入学したマイは実践魔法学を学ぶことになる。その内容とは……」

「内容とは?」

「ただの手品だった」

「は?」

「実はこの世界にも、魔法なんてものは無いんだ。民衆が魔法だと信じているものは、本当は、タネも仕掛けもある手品にすぎないんだよ」

「はぁ?……魔法なんて無い……?」

「うん」

「魔力は遺伝するって言ったのは?」

「ウソだよ。魔力なんてものも無い」

「じゃあ、魔法の力で世界を守ってるってのは?」

「何か仰々しい儀式をして、『これで守られた』って言ってるだけ」

「えぇぇぇ~。じゃあ、普通の学校で教わる魔法の理論は?」

「一般魔法学は、完全な創作だ。民衆が魔法を信じ込むように、綿密に作り込まれているけどね」

「んなアホな……」

「知ってしまえばアホらしい話だけどね。魔法を信じている教師から『これが魔法の理論だ』と教えられていたら、子供が疑うことはまず出来ないだろう」

「そうかも知れないけど……」

「とにかく、この魔法の秘密が守られている限り、手品師にすぎない魔法使い達は民衆の上に君臨し、遊んで暮らすことが出来る」

「ひどい話ね」

「マイもそうだよ。秘密が守られている限り、一生働かずに贅沢な暮らしができる」

「うーん、ちょっと後ろめたくなってきた」

「普通に働いて、地味な暮らしをする方がいい?」

「働きたくないでござる」

「だよね。じゃあ、秘密を守らないとね」

「うん……。一応聞くけど、バレたらどうなるの?」

「民衆がこの事実を知った場合、何が起きるか分からないけど、魔法使い達が遊んで暮らすことが出来なくなることだけは間違いない」

「そうでしょうね」

「最悪の場合、暴動が起きて魔法使い達が殺されるかも知れない」

「ウソ!死にたくない!」

「バレないようにしないとね」

「うん……」

「さて、ある学者が一般魔法学に疑問を持ったとしよう」

「えっ!」

「この理論のここは間違っているんじゃないか、ここもおかしい、などと主張している」

「ヤバい……」

「まだ、一般魔法学の全てが虚構だとは思っていないようだが、非常に頭の良い人なので、そこに考えが至るのも時間の問題だとしたら……どうする?」

「……殺す」

「おいおい(笑)」

「だって、バレたら殺されちゃうかも知れないんでしょ?バレる前に殺さなきゃ!」

「うん、まぁ、それは最後の手段としよう。殺さずにどうにかできないかな」

「うーん、研究をやめてもらうように説得するとか?」

「そうだね。むしろ、こちら側の学者になって欲しいよね」

「こちら側?」

「一般魔法学を、もっと穴の無い、強固な理論にするような研究をしてもらうのさ」

「確かに、その方がありがたいわね。でも、嫌だと言ったら?」

「少し脅してみようか。こちらの言うことを聞かなければ、今の職を失うことになるし、誰も雇ってくれなくなるぞ、と」

「そんなこと出来るの?」

「マイは法王の娘だからね。大抵のことは出来るよ」

「なるほど。それで従ってくれるかな」

「損得を考えるタイプなら大丈夫だろうね」

「そうじゃなかったら?」

「家族がどうなっても知らんぞとか、他にも脅し方はある」

「怖いこと言うわね。家族も恋人も居なかったら?」

「最後の手段、だね」

「うーん……。説得に応じてくれることを祈るわ」

「そうだね。さて、今回の話に教訓があるとしたら、何だと思う?」

「えーと、魔法なんて無い!」

「そこじゃないよ(笑)」

「じゃあどこ?」

「支配者にとって都合の悪い真実は、追求しない方がいいってこと」

「追求しちゃうと……?」

「人生がかなりハードモードになる。最悪の場合、殺されてしまう」

「殺されるって、そんな大げさな」

「おいおい、自分が何を言ったか覚えてないの?(笑)」

「あっ……!」

「学問というものは、全て真実を追求しているように思えるだろう。でも、真実を追求してはいけない学問分野もあるってことだよ」

「うーむ……。それが、経済学だと言いたいの?」

「経済学の全てがそうだとは言わないけどね。少なくともマクロ経済学、特に貨幣や信用創造に関わる部分はそうだ」

「ふーむ」

「これは、経済学に限った話じゃないよ。たとえば、韓国に住んでいる歴史学者は、真実を追求できないでしょ?」

「なるほど、たしかに(笑)」

本当の日銀BSのカタチ ―「調達」の誤解を解く―

はじめに

前回の記事で、当座預金も日銀が作ったお金であること、したがって「日銀の当座預金は銀行から調達したお金」という考え方が誤解であることを説明しました。

しかし、この誤解はかなり根深いものであるようです。

私は日銀当座預金に「調達」という言葉を使うこと自体が誤解の元だと思っていますが、バランスシート(BS)の右側は調達であるという考え方*1があるため、誤解から抜け出せない人がいます。

今回は、日銀のBSを改めて、前回とは別の面から検討することで、「日銀は本当は誰から調達しているのか?」を考えてみましょう。

日銀が当座預金を100%準備していたら

日銀が当座預金への預け入れを受けた時、受け取った日銀券を紙切れ扱いにせず、現金扱いのまま金庫に入れ、資産として計上したらどうなるでしょうか。

当座預金からの引き出しがあった場合には、この金庫にある現金を持ってきて渡します。

こうすると、当座預金の残高の分だけ日銀の金庫に現金があることにます。

これは、日銀が当座預金に対して100%準備しているということを意味します。

日銀が銀行から国債を買う時はどうなるでしょうか。

このとき日銀は、代金分の日銀券を新たに発行して銀行に渡すことになります。

銀行が日銀券(紙のお金)を必要としなければ、即座に当座預金に預け入れるでしょう。

この場合もやはり、当座預金の残高の分だけ、日銀の金庫に現金があることになります。

日銀が当座預金に対して100%準備していると仮定すると、日銀のBSはこんな形になります。

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日銀は現状でも当座預金を100%準備している

実際の日銀の会計処理では、日銀が保有する日銀券を現金扱いしていません。

では、日銀は当座預金の何%を準備していると言えるのでしょうか。

それは、銀行が当座預金を全て引き出したいと言った時にどこまで対応できるのかで分かります。

少し考えれば分かることですが、当座預金を全て引き出したいと言われても日銀は対応できるのです。

日銀券を印刷すれば良いだけですから。

もちろん印刷には時間がかかりますから、即時に全てを、という要求には応えられないかも知れませんが、必ず全ての当座預金を日銀券の形で渡すことが出来ます。

すぐに渡せないなら準備できてないということだ、という反論があるかも知れませんね。

では、仮に日銀が一瞬で大量の日銀券を印刷できる機械を持っていたら「準備できている」、印刷のスピードが遅ければ「準備できていない」ということになるのでしょうか?

そうではないですよね。
印刷のスピードは本質ではありません。

印刷にある程度の時間がかかることは「準備していない」ことを意味しないのです。

結局、日銀は現状でも「当座預金を100%準備している」と言うことが出来ます。

前節で出した日銀のBSは、現状の日銀BSの表現を少し変えたにすぎないと言っていいでしょう。

貸金庫のアナロジー(たとえ話)

このBSでは、右側に当座預金、左側に現金が同じ金額だけあります。

左側の現金は、当座預金を通じて日銀が「調達」したのでしょうか?

そうではありません。

この現金は引き出しに備えた準備であって、日銀が手を付けることは出来ないからです。

「100%準備」とは「顧客からの預かり資産を分別管理すること」と同義であり、この現金は実際は「顧客=銀行のもの」なのです。

分かりやすく表現すれば、銀行が手持ちの現金の一部を日銀の貸金庫に預けているようなものです。

貸金庫に入ったお金を日銀が勝手に使うことは出来ませんよね。

銀行が当座預金という貸金庫にいくら預け入れようが、日銀にとって調達にはならないし、銀行が当座預金という貸金庫からいくら引き出そうが、日銀は何も困らないのです。

日銀は誰から調達しているのか

日銀が銀行から調達してるのでないとすれば、いったい誰から調達しているのでしょうか。

先ほどのBSをもう一度見てみましょう。

当座預金という名の日銀の貸金庫に銀行のお金がいくら入っているのかは、日銀の経営状態とは一切関係がありません*2から、この部分はBSから除去することが可能です。

すると日銀のBSはこんな形になります。

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日銀の調達は全て、日銀券の発行によって賄われていることになります。

要するに日銀は、日銀券を発行することによって自らお金を作り出し、それを国債などの資産で運用しているということです。

私が「日銀は日銀券を発行することで自らお金を作り出せる」と言ったら貴方は驚くでしょうか?

「当たり前だろう。そんなことは知っている」と言うでしょうね。

そう、私は当たり前のことを言っているだけです。

では、「日銀券の発行による調達は限界に達した」と言われたらどうでしょう。

「は?なんで?」と言うのではないでしょうか。

その通り、日銀券の発行額には別に上限はありません。

銀行が日銀券(紙のお金)を必要としないなら、日銀の貸金庫に入れられるだけ*3なのです。

日銀が作った日銀券が貸金庫に入れられたからと言って、日銀が「お金を作ることが出来なかった」ということにはならないですよね。

結局のところ、日銀は自らお金を作り出し、それを国債などの資産で運用しているのです。

自らお金を作り出すことを敢えて「○○からの調達」という言葉で言い表すなら、これは「神からの調達」と言えるでしょう。

と言っても、別に私が神様の実在を信じているということではありませんよ。

これは「誰にも負債を負うことなく調達した」=「誰でもない人(nobody)から調達した」ことの言い換えです。

日銀は神(nobody)から調達しているのであって、銀行からは全く調達していません。

齊藤誠教授には、日銀の調達の全て*4が神(nobody)からの調達であることが分かっていないのです。

日銀のBSは、右側に調達、左側に運用を書くとするなら、このような形になるでしょう。

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エレガントなパズル

ここで、「調達したお金をどう運用しているか」ではなく、「調達したお金それ自体がどこに行ったのか」を考えてみましょう。

日銀券は日銀の外にあるか中にあるかのどちらかですから、図にするとこうなります。(これはBSではありません)

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「紙幣として日銀の外で流通している」お金の額は、元々の意味での「日銀券の発行残高」です。

そして、「銀行の資産として貸金庫の中にある」お金の額は、「当座預金の総残高」ですよね。

この「お金の行き先」を、先ほど出したBSの「神からの調達」の部分にハメ込むと、こうなります。

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これが実際に公表されている日銀BSの形です。

日銀BSの負債側には、「調達」ではなくお金の「行き先」が表現されているのです!

そもそも、日銀券の発行額は日銀にとって負債ではありません。

デパートが商品券を発行した場合は、その額の分だけ商品を渡す義務が生じるため、発行額の分だけ負債を負ったことになります。

しかし、日銀が日銀券という不換紙幣を発行しても何かを渡す義務は生じませんから、日銀券の発行額は負債ではないのです。

それにもかかわらず、なぜ日銀券の発行残高がBS上で負債になっているのか。

これは普通に考えれば不可解なことなんです。

立教大学の三宅義夫名誉教授は生前、不換銀行券発行高がBS上で負債項目となっていることについて「これは一つのエレガントなパズルとなりうるであろう」と書いています。

この記事で説明したことが、このパズルに対する私なりの解答です。

エレガントな解答になっているでしょうか?

いずれにせよ、日銀のBSがパズルであることは間違いありません。

*1:この考え方自体は別に間違いではありません

*2:当座預金に付利していればちょっとだけ関係しますが、無視できるレベルです。

*3:預金証書のアナロジーを使って説明するなら、預金証書という数字のお金と交換されるだけ

*4:ここでは日銀の資本金などについては無視しています。全てというのは発行銀行券と当座預金の両方ともという意味です。