経済学を疑え!

お金とは一体何なのか?学校で教えられる経済学にウソは無いのか?真実をとことん追求するブログです。

遊んで暮らしたい人が学ぶべき搾取の原理

遊んで暮らす=搾取して暮らす

「マイは、遊んで暮らせるようになりたい?」

「もちろんよ。誰だってそうでしょ」

「そうかもねぇ。どうすれば遊んで暮らせると思う?」

「お金がたくさんあればいいでしょ」

「そうだね。どれぐらいのお金があればいいだろうか」

「うーん。最低でも、2億円ぐらい?」

「ふむ、じゃあ2億円としようか。マイが社会に出てから30歳になるまでほとんど寝ずに一生懸命働いて、2億円貯まったとしよう」

「ずいぶん稼いだわね」

「で、この2億円で後は遊んで暮らせるわけだけど、そういうのがお望み?」

「まさか! 私は働かないで暮らしたいの!」

「そうだよね。必要な2億円を自分で稼ぐんなら、50年かけて稼ぐのも10年ちょいで稼ぐのもあまり変わらないよね」

「そうよ」

「自分で稼ぐのでは意味が無い。だとすると、どうすればいい?」

「うーん……。他の人に、稼いでもらう……?」

「その通り。本当の意味で遊んで暮らそうと思ったら、他の人から搾取するしかないんだ」

「サクシュってなに?」

「しぼり取ることだね。ここでは、他者の労働の成果を自分の物にしてしまうことを搾取と言うことにしよう」

「他者の労働の成果を……? えーと……」

「たとえば、マイが1日アルバイトして1万円稼いだとしよう。そのうちの3000円を僕が取り上げてしまう。これが搾取だ」

「えーっ!ずるい!」

「そうだね。搾取ってのはずるいことなんだよ。でも、遊んで暮らそうと思ったら、他者から搾取するしかない」

「私が働いて稼いだお金なのに……! あなた、本当に最低ね!」

「あの、たとえばの話だからね?」

 

 搾取の3つの方法

「でも、どうやって取るの? 3000円よこせって言われても私は渡さないわよ?」

「そうだね。搾取の方法には、大きく分けて3つある」

「ほう」

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「一つ目は、盗み取るという方法。僕がマイの財布からこっそり取っちゃうってことだね」

「えっ、ひどい」

「二つ目は、だまし取るという方法。僕がマイに『B'zのライブチケットを3000円で売ってあげるよ』と言って、偽造したチケットを売りつけるとかね」

「えっ、ひどい」

「三つ目は、おどし取るという方法。僕がマイに『3000円くれないと、例の写真をネットに流すよ』と言って取るとかね」

「何よ例の写真って。そんな写真無いでしょ?」

「たとえばの話だよ」

「……ちょっと、やることがひどすぎない???」

「まぁ、ひどいね。搾取っていうのは基本的にひどいことだよ」

「そういう違法行為をしないと、遊んで暮らすことって出来ないわけ?」

「いやいや、ちょっと待って。搾取が倫理的に悪いことなのは間違いないんだけど、必ず違法行為になるとは限らないよ」

「えっ、どういうこと?」

「合法的に搾取することも可能だってこと」

「ウソだー!」

「それに、たとえ違法だったとしても、捕まらないのであれば問題ないよね」

「……すごいこと言うわね」

「まぁ、一つずつ説明していこう。オススメな方と、オススメじゃない方、どっちから聞きたい?」

「うーん、オススメな方で」

 

 おどし取る(脅迫)

「まず、おどし取るという方法。要するに脅迫だね」

「脅迫がオススメなわけ? なんで?」

「脅迫ならなんでもいいというわけじゃないけどね」

「ほう」

「脅迫には大きく分けて二つの方法がある」

「と言うと?」

「一つは、相手にとって大切なものを脅かす(おびやかす)方法だ」

「たとえば?」

「ナイフを突きつけて、相手の命を脅かすとか」

「おお」

「子供を誘拐して命を脅かすとかね」

「犯罪じゃん」

「そうだね。違法にならない範囲で言うと、たとえば“雇用”を脅かすとかね」

「どういうこと?」

「クビになりたくなければサービス残業しろと言われたら、従うしかないでしょ?」

「いや、それも違法なんじゃ……」

「脅迫のもう一つの方法はね、」

「(あれ、無視された)」

「もう一つは、何か必要なものが不足している状況を利用して、足下を見る方法だ」

「たとえば?」

「砂漠を何日も歩いていて水が無くなってしまった人がいたとしたら、この人に一杯の水を百万円で売るとかね」

「あー、それはたしかに違法ではないのかもね。でも、そんな人を見つけるのが大変でしょ」

「水の不足を利用して脅迫するなら、もっといい手があるよ」

「ほう」

「どこかの国や地域で水道事業を民営化させて乗っ取り、水道代をガツンと上げればいい」

「……鬼かよ」

「まぁ、搾取ってのはこういうことだよ」

「うーん……。他には?」

「他には、依存を利用する手もあるね」

「依存?」

「たとえば覚醒剤のような薬物だね。覚醒剤の中毒患者を作ってしまえば、その人は常に覚醒剤が不足して欲しがることになるでしょ」

「なるほど。後はいくらでも高く売れるわけね……」

「そういうこと。まぁ、覚醒剤は違法だけどね」

「ふーむ。アルコールでも同じこと?」

「基本的にはね。ただ、アルコールは覚醒剤ほどには依存性が強くないし、搾取できる利幅もそれほど大きくないけどね」

「ギャンブル中毒も?」

「そうだね。パチンコなんかの中毒になった人から搾取してると言えるだろうね」

「ふーむ」

 

 だまし取る(詐欺)

「次に、だまし取るという方法。要するに詐欺だね」

「ふむ。これはオススメなの?」

「脅迫ほどではないけど、ある程度オススメできる」

「ふーん。なんで?」

「詐欺は、たとえそれが犯罪だったとしても、相手がだまされたと気付くまでの間は何の問題も起きないからだよ」

「そりゃまぁ、だまされたと気付かなきゃ、警察に通報もできないわよね」

「うん。極端な話、相手が死ぬまで気付かなければ、捕まることもないわけだ」

「そんなことあり得る?」

「たとえば宗教の中には、信者の信仰心を利用して、財産をだまし取っていると言えるようなものもあるだろう」

「うーん、そうかもねぇ」

「そういう場合、他の人から見ればだまされていることが明らかでも、本人はだまされていると思ってないことは良くあるよね」

「たしかに……」

「死ぬまで搾取される人もいるでしょ」

「なるほど! ……宗教か……。悪くないかも、ね。。」

「マイ、悪い顔になってるよw」

「えっ? そ、そんなことないでしょ」

「まぁ、だまし取る方法で搾取をするなら、宗教はかなりオススメだよ。税金もあまり払わなくていいしね」

「ふーむ。他には何かある?」

「詐欺にはいろいろあるけどね。保険金詐欺、結婚詐欺、投資詐欺、取り込み詐欺オレオレ詐欺などなど……」

「どれがオススメ?」

「だいたい犯罪になってしまってリスクが高いので、オススメはできない」

「犯罪にならない範囲でだまし取ることってできないの?」

「そういう軽い詐欺なら、世の中にいっぱいあると思うよ」

「たとえば?」

「そうだなぁ。たとえば、ファッションの流行に敏感な人なんかは、ファッション業界に軽くだまし取られていると言えるよね」

「あー。本来買わなくていい服を買うわけだもんね。でも、それは本人が良ければいいんじゃない?」

「そうとも言えるね。でも、だまされていることに死ぬまで気づかない人だ、とも言えるよね」

「うーん……」

 

 盗み取る(窃盗)

「最後に、盗み取るという方法。要するに窃盗なんだけど、これはあまりオススメできない」

「なんで?」

「盗むことは明確に違法行為だからね」

「そりゃそうよね」

「それに、盗まれたことに気付けば普通は警察に通報するでしょ」

「ある程度大きな金額なら、泣き寝入りはしないわね」

「そうでしょ。リスクが大きいので、オススメはできない」

「ふむ」

「だから、どうしても盗むという方法をとるのであれば、盗まれたことに気付かないような不注意な人から盗むのがよい」

「なるほど……」

「もしくは、盗まれても警察に言えないような人から盗むとかね」

「というと?」

「犯罪がらみのお金なら、警察に言うわけにはいかないだろう」

「なるほど」

「ただこの場合、警察には追われないとしても、盗まれた人や組織には追われるかも知れないので注意が必要だ」

「まぁねぇ」

「どうせ追われるなら、警察に追われる方がまだマシだ、と言える面もある」

「なんで?」

「捕まったとしても、法にのっとった手続きをしてくれるからさ。ヤクザに追われて捕まったら、何をされるか分からないでしょ」

「……こわっ」

「結論、盗まれても気付かないような不注意な人から盗むチャンスがあるのでない限り、盗み取るという方法はオススメできない」

「分かったわ」

 

 不足を利用した脅迫のオススメポイント

「搾取の方法を3つ説明してきたわけだけど」

「うん」

「一番のオススメはやはり脅迫、それも不足を利用した脅迫だ」

「どうしてそれが一番なの?」

「理由はいくつかある。一つは、さっきも言ったけど、合法的に搾取できる場合が多いということ」

「ふむ。それは分かったわ」

「次に、不足を利用した脅迫は防ぐことが難しい」

「どういうこと?」

「盗み取られることは注意していれば防げるし、だまし取られることも人を疑って慎重に行動していれば防げるでしょ」

「それはそうね」

「でも、何かが不足した状況になっちゃってる場合、脅迫にあらがうことは難しいよね」

「たしかに……。水を飲むのをいつまでも我慢できないもんね」

「そうだね。次に、不足を利用した脅迫には、継続性がある」

「継続性?」

「いちど搾取の仕組みを作ってしまえば、ずっと継続して搾取できるってこと」

「ふーむ。いっぺん覚醒剤の中毒にしちゃえば、その人にはずっと買ってもらえるもんね」

「そういうこと。結婚詐欺なんかでも何度かお金を取ることは出来るけど、ずっとではないよね。そのつど理由を作ってだまさなきゃいけない」

「なるほど」

「最後にもう一つ。不足を利用した脅迫は、多人数から一度に搾取できる」

「あー。水道事業を乗っ取って値上げする手口とか、そうだよね」

「そうそう」

「んー。でも、宗教もそうじゃない? 多人数から一度に搾取してるじゃない」

「うん、多くの信者を獲得した後はそうだね。でも、信者の獲得自体は一人一人地道にやるしかないでしょ」

「あー……」

「この地域に住んでいる皆さんは、今日からナントカ教の信者です。ということにはならないよね」*1

「そうね……」

「不足を利用した脅迫は、搾取の対象を広げやすいんだよ」

「ふーむ」

「搾取する側からすれば、百人や千人から搾取するよりも一万人、十万人から搾取したいよね」

「そりゃそうね」

「一つの地域から搾取できたら一国まるごと搾取したいし、一国を搾取できたら二カ国、三カ国から搾取したいでしょ」

「うーん。話が大きすぎて良く分からないけど、そうかもねぇ」

「こういう風にどんどん広げていけるのが、不足を利用した搾取のいいところだ。他の方法ではこうはいかない」

「ははぁ」

 

 搾取する者は均一な世界を望む

「たとえば、ある企業がA国という国の国民全員から搾取する仕組みを作ることに成功したとするよね」

「ふむ」

「この企業が搾取の対象を広げようとして、次にターゲットにする国を選ぶとしたら、A国に似たB国だろうか? それともA国とは全く似ていないC国だろうか?」

「似てるって何が? 地形とか?」

「そうじゃなくて。いろいろあるけど、たとえば政治体制とか、法体系、商習慣、社会制度、金融ルール、経済政策、国民性、言語、宗教、通貨、発展の程度、生活水準……」

「ストップ! 要するに、一言で言うと何?」

「……。経済の仕組み、かな……」

「最初からそう言えばいいでしょ」

「ごめん」

「経済の仕組みがA国と似てるB国か、似てないC国か、ね。そりゃ似てるB国の方がいいんじゃない?」

「正解。どうしてそうだと思う?」

「だって、A国と似たB国なら、A国でやったことと同じことをするだけで、同じ結果が得られそうじゃない」

「うん、つまり成功する可能性が高いってことだね」

「そう。似てないC国に対しては、違うことをしなきゃ成功しないかもしれないでしょ」

「その通り! 冴えてるね」

「当然だわ」

「つまり、搾取をどんどん広げようという人や企業から見ると、世界中の国が同じような経済の仕組みで動いてる方が都合がいいんだよ。搾取の対象を世界中に広げるのが簡単だからね」

「ふむふむ」

「逆に、世界の国々が多様であればあるほど、面倒くさいんだ」

「そうか、一つ一つの国に合わせて対応を変えなきゃいけなくなるからね」

「そういうこと。搾取を広げようとする人や企業は、世界が均一であることを望むということだ」

「ふーむ。なるほど……」

「グローバリゼーションの本質が少し分かったかな?」

「えっ? そんな話してた?」

「してたよ」

「うーむ……」

 

 私たちはお金に依存している

「ここで一つ、ある重要なことを言わなければならない」

「なによ、急に」

「私たちは皆、お金に依存しているということだ」

「えっ?」

「人は誰しも、お金無しで生きていくことはできないよね」

「当たり前じゃない」

麻薬中毒の人が、麻薬無しで生きていくことができないのと同じようにね」

「うーん。私たちがお金の中毒になってるって言うの? そんなことないでしょ。お金とは賢く付き合ってるわ」

「そうだろうか。一文無しになってしまったら誰だって、どうにかしてお金を手に入れようとするんじゃない?」

「そりゃそうでしょ」

「かなり金利が高くてもお金を借りようとするだろうし、条件の悪い雇用でも受け入れるしかないよね」

「そうね」

「麻薬が切れたジャンキーが、麻薬を手に入れるためならどんな条件でも飲むようにね」

「……いちいち麻薬にたとえるの止めてくれる?」

「気に障った?」

「ちょっとね。……分かったわ。確かに、私たちはお金に依存してると言えるかもね」

「うん。そして、私たちの多くは常にお金の“不足”にあえいでいる」

「……」

「お金が足りない、もっと働かなきゃ。お金が足りない、財産を処分しなきゃ。お金が足りない、高収入バイトしなきゃ……。苦しんでる人は多いよね」

「……3つ目、風俗?」

「そこはスルーして。とにかく、私たちはお金に依存していて、多くの人はお金の不足に苦しんでいる。何が言いたいか分かる?」

「うーむ……。つまり、お金の不足を利用して、脅迫による搾取をしてる人がいる……ってこと?」

「その通り。お金というものには搾取の道具としての一面があるんだ」

「……」

「お金をたくさん持っている人、あるいはお金を作れる人は、お金が不足している人から搾取できるんだよ」

「うーむ……」

「最終的な結論。遊んで暮らすための戦略としては、搾取によってお金を貯め、そのお金を使ってさらに搾取をするのが最善だということだ」

「普通に働いてお金を貯めるんじゃダメなの?」

「もちろんそれでもいいよ。効率があまり良くないってだけの話だよ」

「うーむ……」

*1:武力を背景に改宗を強制する場合もありますが。

通説の信用創造論を再考する

はじめに

今回は、一般的に信じられている信用創造の説明を再検討してみようと思います。

現金の預け入れと現金での貸し付けを繰り返すとお金が増えていく、とするアレですね。

Wikipediaの「信用創造」の項では以下のように説明されています。

預金準備率が10%の時、銀行が融資を行う過程で以下の通り信用創造が行われる。

A銀行はW社から預金1,000円を預かる(そのうち900円を貸し出すことができる)。

A銀行がX社に900円を貸出、X社が900円をB銀行に預金する(そのうち810円を貸し出すことができる)。

B銀行がY社に810円を貸出、Y社が810円をC銀行に預金する(そのうち729円を貸し出すことができる)。

C銀行は729円をZ社に貸し出す。

 
つまり、最初は1000円しか無かったお金が、預け入れと貸し付けを3回繰り返した時点では1000円+900円+810円+729円=3439円に増えているという具合ですね。

このような信用創造の説明を「又貸しモデル」と呼ぶことにしましょう。*1

この「又貸しモデル」はこれまで多くの人に間違いであると指摘されているにもかかわらず、今もなお「通説」とされています。

今回の記事では、「又貸しモデル」をグリーンマネーモデルを使って改めて検討し、間違っているとすればどこに間違いがあるのかを考えてみることにします。

グリーンマネーモデルについては以下の記事を参照してください。

 

whatsmoney.hateblo.jp

 

グリーンマネーモデルで考える

グリーンマネーモデルにおいては、預金通貨はグリーンマネー、現金通貨はブラウンマネーとグリーンマネーが重なったもの、銀行の手持ち現金はブラウンマネーです。

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家計や企業が持っている現金(現金通貨)を銀行に預け入れる時は、このようになります。

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銀行に渡しているのはブラウンマネーだけであり、グリーンマネーは家計や企業の手元に預金通貨として残ります。

 

銀行が家計や企業に貸し付けをする時はこのようになります。

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現金で貸し付けるにしろ、預金通貨で貸し付けるにしろ、銀行はグリーンマネーを作って借り手に渡しています。

銀行による貸し付けとは、借り手が作る借用証書という負債(銀行にとっての資産)と、銀行が作るグリーンマネーという負債(借り手にとっての資産)との交換なのです。

(このあたりの説明の意味が良く分からない方は、「緑のお金と茶色のお金(1) MSとMBを正しく捉えるためのモデル」を参照してください)

 

ここまでを踏まえた上で、通説の又貸しモデルをグリーンマネーモデルで図にしてみると、このようになります。

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銀行が貸し付け(貸し出し)をするたびに、グリーンマネーが増えていることが分かると思います。

グリーンマネーの総額がマネーストックですから、銀行が貸し付けをするたびにマネーストックが増えるということです。

 

銀行はグリーンマネーを作って借り手に渡し、借り手の企業は借用証書を作って銀行に渡していますね。

全体として見ても、銀行が合計3439円分のグリーンマネーを作り、借り手の企業が合計3439円分の借用証書を作り、これらを交換しているだけのことです。

 

通説の説明では銀行がお金を作っているとは言いませんので、1000円しか無いお金を預かったり貸し付けたりを繰り返すと何か不思議な数字のマジックで?お金が増えていくことになっています。

しかし、何も不思議なことはありません。

銀行がお金(グリーンマネー)を作って借り手に渡しているだけのことです。*2

 

又貸しモデルは仲間うちで実行できるか?

もし、又貸しモデルが正しいのだとすれば、仲間うちで同じことをしてお金を増やせないでしょうか?

つまり、現金の預け入れと貸し付けを繰り返すことによりお金が増えるのだとすれば、友達同士でお金を預けたり貸し付けたりしてお金を増やせるのではないでしょうか?

少し考えてみてください。

仲間うちでお金を預けたり貸したりして、お金を増やせると思いますか?

......。

そんなことでお金を増やせるわけがない?

そうですよね。

友達同士でお金を預けたり貸し付けたりを繰り返しても、お金を増やせるわけがありません。

では、なぜ銀行にはそれが出来て、私たちには出来ないのでしょうか。

 

実を言うと、銀行がやっていることと同じことは、私たちにも出来るのです。

同じことが出来るのですが、お金は増やせないのです。

どういうことなのでしょうか?

 

例えば、Aさんが1万円の現金を持っているとしましょう。

これを、Bさんに預けます。

Bさんは、1万円の預金証書を作ってAさんに渡します。

預金証書には、「この預金証書を発行者(B)に渡した人に対して、引き換えに1万円の現金を渡す」と書いておき、Bさんがサインします。

Bさんは、手元にある1万円から1000円を手元に残し、9000円を現金でCさんに貸し付けます。

Cさんは、9000円の借用証書を作ってBさんに渡します。

借用証書には、「1年後に9000円を返済します」と書いておき、Cさんがサインします。

Cさんは、受け取った9000円をDさんに預けます。

Dさんは、9000円の預金証書を作ってCさんに渡します。

......このように預け入れと貸し付けを繰り返すと、現金の量は合計1万円で変わりませんが、預金証書と借用証書がどんどん増えていきます。

この預金証書が、現金と同じようにお金として使えれば、お金が増えたことになるでしょう。

しかし実際には、この預金証書はお金として通用しませんよね。*3

銀行が発行した預金証書(預金通貨)は誰に対してもお金として通用しますから、この点が違うわけです。

 

つまり、「銀行はお金を作れるが私たちはお金を作れない」と言うよりも、「銀行も私たちも預金証書を作れる。しかし、銀行が作った預金証書はお金として通用するが、私たちが作った預金証書はお金として通用しない」と言うべきです。

 

問いを立てるとすれば、「なぜ銀行だけがお金を作れて、私たちには作れないのか?」ではなく、「なぜ銀行が作った預金証書(預金通貨)だけがお金として通用し、私たちが作った預金証書はお金として通用しないのか?」と問うべきなのです。*4

預金証書や借用証書のような「債務」は、誰にでも作ることが出来るのですから。

 

又貸しモデルは、「借用証書と預金証書をどんどん増やしていく」という「誰にでも出来ること」を説明しているだけだ、と言えるわけです。

 

又貸しモデルの問題点

又貸しモデルは間違っているのでしょうか。

完全に間違っている、とまでは言い切れないでしょう。

なぜなら、前節でも書いたとおり、又貸しモデルは「借用証書と預金証書をどんどん増やしていく」という「誰にでも出来ること」を説明しているだけだからです。

それでもやはり、又貸しモデルには問題が多いと言わざるを得ません。

問題点をいくつか挙げていきましょう。

 

1. 実務を反映していない

又貸しモデルでは貸し付けを現金で行っていることになっていますが、実際には貸し付けは預金設定、つまり銀行の帳簿と通帳に数字を書き入れることにより行われます。

この数字の預金が全額引き出されれば現金で貸し付けたのと同じことになりますが、実際には現金で全額引き出されることはなく、借り手から支払い先への送金は預金の振り込みによって行われます。

これはたとえで言うなら、預金証書のままで決済に使われるということです。

又貸しモデルは、貸し付けた預金は必ず全額が引き出され、取引の決済は必ず現金で行われる一方で、預け入れた預金は全く引き出されない前提になっている*5という、おかしなモデルなのです。

 

2.返済される時のことを説明していない

又貸しモデルでは、貸し付けでマネーストックが増える過程を説明していますが、返済によりマネーストックが減る過程のことは説明していません。

貸し付けが現金で行われるのですから、返済も現金で行われることになるのでしょう。

そうだとすると、Z社が返済するまではY社は返済することが出来ず、Y社が返済するまではX社は返済が出来ないという変なことになってしまいます。

実際にはそんなことは有り得ません。

返済は預金通貨で行われますから、Z社が返済したかどうかにかかわらず、X社もY社も返済することができます。

 

3.本源的預金など無い

又貸しモデルでは、最初に現金を預け入れて形成された預金のことを「本源的預金」と呼びます。

W社がA銀行の口座に持っている1000円の預金が「本源的預金」です。*6

一方で、X社、Y社が持っている預金、つまり又貸しによって作られたとする預金のことは「派生的預金」と呼びます。

しかし、このように「本源的預金」と「派生的預金」とを区別することに意味はありません。

W社が最初に持っていたグリーンマネーも、元をたどればどこかの銀行が貸し付けによって作ったものであるはずだからです。

「本源的預金」などというものは無く、全てのグリーンマネーは銀行*7が作ったものです。

 

又貸しモデルについてのより詳細な批判に興味のある方は、望月夜氏のブログ記事をどうぞ。

ameblo.jp

ameblo.jp

 

又貸しモデルの良い?ところ

又貸しモデルには問題点が多いことが分かりました。

しかし、それでも又貸しモデルが今なお通説とされているのですから、何か良いところがあるはずです。

又貸しモデルの良いところを探してみましょう。

 

1.美しい

無限等比数列の和の公式を使って、最初の預金が最終的に準備率の逆数倍(準備率が10%ならちょうど10倍!)になるところがなんとも美しいですね。

まるで自然科学をやっているかのような印象を与えることが出来ます。

 

2.常識的である

銀行の手元にある現金を貸しているだけに見えるので、帳簿の数字を変えるだけで貸し付けをするというような、一見非常識な話をする必要がなくなります。

 

3.銀行がお金を作っていることを無意識化できる

実際にマネーストックが増えていくにもかかわらず、銀行がお金を作っている事実を人々に意識させないことが可能になります。

誰かがお金を作らない限り、お金が増えることは無いのですが......。

又貸しモデルの説明を受けた人の一部は、現金を預け入れた時にお金が増えるのだと勝手に誤解してくれるかも知れません。*8

 

4.銀行が単なるパイプ役に見える

銀行がお金を作っているようには見えないため、銀行はお金が余っているところから調達してきてお金が足りないところに融通する単なる「パイプ役」であるかのような印象を与えることが出来ます。

実際には銀行はお金を作って貸し付ける「お金の供給源」なのですが。

 

5.一部を準備として残すことが信用創造の原動力であるように見える

預かった現金の一定割合を準備として残し、残りを貸し付けていくと等比数列の和によってお金が増えていく。

この又貸しモデルの美しさに目を奪われた人は、一定割合を準備として「残すから」お金を増やすことが可能になるのだと勘違いしてくれる場合があります。

準備率が10%だとすれば、10%を「残すから」信用創造が出来るのだという具合です。

実際にはそうではなく、90%を「流用するから」お金を増やすことが可能になるのです。

本来、顧客から「預かった」資産は自社の資産とは「分別して管理」する必要がありますが、銀行は預かったお金を分別管理せずに自行の資産と混同し、貸し付けているわけです。

「部分準備制度」ではなく「大部分流用制度」と呼ぶのであれば、それが信用創造の原動力だと言って間違いないでしょう。

 

いかがでしょうか。

又貸しモデルというものが、銀行がお金を作っていることを見えなくするための本当に素晴らしい説明モデルであることが分かって頂けたのではないですか?

 


*1:フィリップス型の信用創造論、フィリップス説などと言われることもあります

*2:グリーンマネーモデル自体が、銀行がお金を作っているということを前提にしているのだから、そういう結論になるのは当然だという批判があるかも知れません。しかし、その批判は的を射ていません。グリーンマネーモデルの出発点は日銀によるマネーストック(とマネタリーベース)の定義だからです。ここから出発すると、銀行がグリーンマネーを作っていると解釈するしかありません。

*3:仲間うちでは通用するかも知れませんが、外で通用しなければ意味がありません。

*4:この問いに対する答えはこの記事では書きません。事実として、銀行が作る預金通貨はお金として通用するということだけ指摘しておきます。

*5:W社がA銀行から少しでも現金を引き出せばA銀行は準備不足に陥ります。

*6:あるいは預け入れられた1000円の現金を指して本源的預金と言っているもかも知れません。「預金」という言葉が銀行の債務を指すのか資産(預かった現金)を指すのか不明確であることも問題です。

*7:ここで言う銀行には日銀も含みます。

*8:グリーンマネーで考えれば分かるように、預け入れではお金は増えず、貸し付ける時にお金が増えるのです。

アーリーリタイアした八さんと奴隷になった熊さん

「今回は、前回のたとえ話の続きを考えてみよう」

「たとえ話って、熊さん八さんの?」

「そうそう。おさらいをしてみると……

  • 熊さん、八さんの二人だけが無人島で暮らしている
  • 熊さんと八さんはお金を10カイずつ持っている
  • 熊さんは一日に4匹の魚を捕り、うち2匹を2カイで八さんに売る
  • 八さんは一日に4つの果物を採り、うち2つを2カイで熊さんに売る
  • ある日から、八さんは魚を買う量を一日1匹に節約して貯金を始めた

こんな感じだったね」

「ふむ。一日ごとに、八さんは1カイずつお金を増やして、熊さんは1カイずつお金を減らすのよね」

「うん。そして、10日後に熊さんのお金が無くなったところで、八さんは熊さんに10カイを貸してあげることにした」

「10日で1割の金利だったわね」

「そうだね。この条件で熊さんが10カイを借り、同じことを繰り返すとどうなるだろうか」

「うーん。同じことを繰り返すなら、また10日経ったら熊さんのお金が無くなるわよね」

「うん。だから、熊さんはまた八さんから10カイ借りることになる」

「ふむ」

「それに、最初の借金の金利を1カイ払わないといけない」

「そうね。じゃあ、10カイ借りてすぐ9カイになっちゃうってこと?」

「熊さんの手持ちが10カイになるように貸すことにしよう。つまりこの時点では、11カイを貸し付けて金利を1カイ受け取る」

「ふむふむ。さらに10日経ったら?」

「やはり10日後には熊さんのお金が無くなる。この時の債務総額は21カイだから、支払う金利は2.1カイ。八さんは熊さんに12.1カイを貸し付けて金利を2.1カイ受け取る」

「うーん。借金がどんどん増えちゃうわね」

「そうだね。これをずっと続けていると、最初に八さんが節約を初めてから170日目には、借金の総額が400カイを越える」

「ひえー! 実物のお金は20カイしか無いのに?」

「返済はされずに、繰り返し貸してるからねぇ。仮に金利が無くても、400日目には総額400カイになるよね」

「そうかぁ」

「400日が170日に縮まったのは、金利の分も元本に組み込まれたからだね。借金の総額が加速度的に増えたわけだ」

「ふーむ。この後はどうするの?また同じことの繰り返し?」

「いや、八さんはこれ以降、熊さんに追加でお金を貸すのを止める」

「そうなの? そしたら熊さんは金利を払えなくなると思うけど」

「180日目に熊さんが払わなきゃいけない金利は40カイになるよね。でも、熊さんの手元にはお金は無い」

「うん」

「八さんは熊さんにこう言うんだ。『40カイの金利は一日4カイずつ、10日間に分けて払ってくれればいいよ』とね」

「そんなこと言っても、八さんは1カイも持ってないんでしょ?」

「うん。さらにこう言うんだよ。『魚2匹と果物2個を持って来てくれれば4カイで買うから、それで金利を払ってくれればいいよ』と」

「ええ? 果物を取るのは八さんの仕事だったんじゃないの?」

「八さんはもう働かないよ。金利だけで生活できるようになったからね」

「あー! そういうこと? じゃあ、熊さんは魚4匹を捕った上に、果物4個も取らなきゃいけないわけ?」

「うん。熊さんは毎日魚を捕って、さらに苦手な木登りをして果物も取らなきゃいけなくなる」

「はー。大変ねぇ」

「八さんは、何もしなくても食べ物が手に入る生活を手に入れた。しかもこの生活は一生続く」

「一生? そうなの?」

「だって、熊さんは400カイの元本を返せてないからね。一日4カイの金利を、魚と果物でずっと払い続けるしかない」

「熊さんは一生、自分の食べ物だけじゃなくて、八さんの分も取るために働き続けるわけか……」

「そういうこと。さて、八さんは一生働かずに生きていけるようになったんだけど、180日間の節約と貯金はそれほどまでに素晴らしいことだったんだろうか」

「うーん……」

「八さんがやったのはこういうことだ

  1. 毎日魚を食べる量を2匹から1匹に減らす
  2. 1によって熊さんの所得を減らす
  3. 2によって熊さんのお金が無くなる状況を作り出す
  4. 熊さんがどうしても必要とするお金を、金利をつけて貸す
  5. 上記を繰り返す

一生働かずに済むことを正当化できるほど、八さんの180日間は尊いものだったのだろうか?」

「うーむ……。たしかに、何かおかしいような……」

「何かがおかしいのだとしたら、何がおかしいんだと思う?」

「んー……、金利が高すぎるとか?」

「確かにそれはあるね。でも、金利が低かったとしても時間をかければ同じ状態になるわけだから、金利の高さは本質的な問題じゃないよね*1

「だとすると、やっぱり金利を取ること自体がおかしいのかな……」

「そうかも知れないね。だからこそ、聖書は金利を禁じたのかも知れない」

「ふむ」

「でも仮に、お金が一方に貯まってもう一方で不足した場合には金利付きで貸し出されることが避けられないとしたら、どうだろう」

「どうって?」

「お金が一方に貯まること自体を避ける方法は無いだろうか」

「うーん……。熊さんも、八さんと同じように節約すれば良かったんじゃない?」

「そうだね。熊さんも果物を食べる量を2個から1個に減らすという節約をすれば、トントンになってお金がどちらかに貯まることは無くなる」

「八さんも熊さんも、節約してるのに、貯金はできないのかー……」

「その通り。全員が節約して貯金しようとすると、全員の所得が下がって、結局だれも貯金ができないんだよね」

「はー」

「節約をして貯金ができるのは、節約をしない人が居るからなんだよ」

「なるほど」

「さて、八さんも熊さんも節約してしまうと、単純に経済が縮んだだけになってしまう。誰も得しないよね」

「そうね」

「この事態を避けるにはどうしたらいいだろうか」

「うーん。こんなことになるぐらいなら、物々交換してた方が良かったんじゃないの?」

「その通り。お金なんか無くしてしまって、熊さんの魚2匹と八さんの果物2個を交換していれば、節約しても貯金なんてできない」

「そうね」

「我々の社会でも、お金を無くしてみんなで物々交換をしていれば、誰も貯金することはできない。そうすれば、金利付きの貸し付けも起きないんじゃないかな」

「お金を無くすなんてムリでしょ」

「そうだよね。じゃあ、お金は無くさないまま、貯金をしたいと思わないように出来ないだろうか」

「そんなことできる?」

「物々交換の場合、貯金ができないのはなぜだろう」

「そりゃ、魚を貯めたって腐っちゃうからでしょ」

「そうだね。だとすると、お金も使わずにとっておくと腐るようになっていれば、貯金したいと思わないんじゃないかな」

「ええっ? お金は腐らないからいいんじゃない!」

「うん。みんなそう思ってるし、教科書にも書いてあるよね。お金の役割の一つとして、『価値の貯蔵手段』なんて書いてある」

「そうでしょ」

「でも、今回の話をじっくり考えてみると、お金をとっておいても価値が減らないのはお金の『利点』というよりむしろ『欠点』なんじゃないかと思えてこないかな?」

「うーむ……」

「少なくとも、『時間が経ってもお金の価値が減らないことは正しいことなのか?』というような“問い”を立てることはできるよね」

「ふーむ」

「そして、『お金の価値は時間とともに減っていくべきだ』と主張している人は、世の中に結構いるんだよ*2

「そうなのかー」

*1:たとえば10日間の金利を1%とすれば、1620日目には熊さんの債務総額が4000カイを越え、八さんは1630日目から金利で生活できます

*2:興味がある方は「減価する貨幣」で検索してみてください。

金利の正当性を疑う

「今回は、お金を貸して金利を取ることの正当性について考えよう」

「ふーん。なんで? お金を借りたら、利子をつけて返すのが当たり前じゃない」

「うーん、そうだよねぇ。でも、イスラム教なんかでは利子を取ることは禁止されてるよね」

「たしかに、そんな話を聞いたことがあるけど」

旧約聖書に書いてあるんだよね。利子を取っちゃダメだって」*1

「ふーん」

「なぜ聖書は、利子を禁じたんだろう」

「さぁ?」

「たとえば、ある学校で『学校内で出前を取ってはいけない』という校則があったとしたら、どう思う?」*2

「学校で出前ってw 常識で考えればダメだって分かりそうなもんだけど、実際にとった人がいたんでしょうねw」

「そうだろうね。出前をとった生徒が実際にいて、問題になって、それを禁じる校則ができた、と考えるのが自然だよね」

「そうね」

「利子についても、共同体の中でお金を貸して利子をとる人達が実際にいて、それによって何か問題が起こって、共同体のルールとして利子を禁じることにした、と考えるのが自然じゃないかな」

「まぁ、そうかもねぇ。そうだったとしたら、どんな問題が起きたのかな」

「うーん。利子が膨れ上がって働いても返せなくなった借り手が、臓器を売り飛ばされたとか、生命保険に加入させられて殺されたとか」

「いやいや、聖書が書かれた時代に臓器移植はしてないでしょ。生命保険も無かったと思うわ」

「じゃあ、借金を返せなくなった人が奴隷として売られたとか」

「それはあったかもね」

「若い女性だったら、性奴隷だね」

「……サイテー!」

「まぁ、こういった問題が起こって、利子が問題視されたのかも知れないよね」

「うーん、でも全部推測じゃない。そんなことがあったかどうか分からないわ」

「そう? 現代でも、ホストにハマった女の人が借金を返せなくなって、風俗の仕事を始めるなんて良くある話じゃない?」

「そんなの、自業自得だわ」

「じゃあ、学生時代に借りた奨学金を働きながら返済してて、金利の負担が重くて仕方なく風俗の仕事を始めたとか。これもありそうな話だよね」

「……。風俗、好きなの?」

「たとえばの話だよ!」

「ふむ。結局、何が言いたいかと言うと?」

「つまり、聖書を書いた人達は『お金を貸して利子を取る人がいると共同体の中で問題が起きる、共同体全体にとって好ましくない』ということを見抜いていて、だから利子を禁じたんじゃないかってことだよ」

「ふーむ……」

イスラム教徒は今でも『利子には問題がある』と考えていて、だから今も変わらず利子を禁じているんだろうね」*3

「……ん? じゃあキリスト教の人たちは? 旧約聖書キリスト教聖典でもあるよね」

「うん、キリスト教でも当初は利子を禁じていたんだけどね。多くの神学者たちが色々な理屈をこねて、どうにかこうにか正当化してきたんだ」

「へー、そうなんだ」

キリスト教徒の中に、利子を取って貸したいという人がたくさんいて、お金を借りたい人もたくさんいたから、教会側が折れたってことだろうね」

「ふーん。信者の要望に応えて、聖書の言葉をムリヤリ曲げたってことになるのか……」

イスラム教徒から見たらそうかもねぇ」

「でも、需要と供給があってのことなんだから、それはそれでいいことなんじゃないの?」

「そこなんだけどね。貸す側が『利子を取りたい』と思ってるのは間違いないんだけど、借りる側は『利子を払いたい』とは思ってないよね」

「そうかも知れないけど、仕方ないじゃない。利子を払わないと貸してもらえないんだから」

「そうだね。でも、どうしてもお金を必要としている人に対して『貸してほしければ利子を払え』と言うのは、一種の脅迫なんじゃないだろうか」

「ええっ?」

「誘拐された子供をどうしても取り戻したい人に対して『返してほしければ身代金を払え』と言うのとあまり変わらないんじゃない?」

「いやいやいや、全然違うでしょ。誘拐犯は子供という交渉材料を得るために誘拐という罪を犯してるけど、貸し手が持ってるお金という交渉材料は、罪を犯して集めたものじゃないだろうし」

「そうだねぇ。ではどうやって集めたんだと思う?」

「商売で儲けたか、節約をして貯めたんでしょ」

「うん。じゃあ、節約をしてお金を貯めることは“善”だろうか」

「はぁ? あったり前でしょ! 節約が悪なわけないじゃない」

「そうだろうか。ちょっとたとえ話で考えてみよう」    

「どんな?」

「二人の人間だけしかいない経済を考える。無人島で熊さんと八さんの二人が生活しているとしよう」

「ふむ」

「熊さんは魚を捕るのが得意で、一日に4匹の魚を捕まえる。八さんは木登りが得意で、高い木になっている果物を一日に4個取れるとする」

「ほうほう」

「2匹の魚と2個の果物を交換して、二人とも一日に魚2匹と果物2個を食べて生活しているわけだ」

「ふむふむ。交換するだけなら、お金は要らないわね」

「そうなんだけどね。今は節約してお金を貯めることについて考えたいから、二人はお金を使っているとしよう」

「ほう」

「二人は貝殻で作ったお金を10枚ずつ持っているものとする。このお金はこれ以上増やさない約束だよ」

「ふむ。お金の単位は?」

「カイとしようか。貝殻1枚が1カイだ。魚1匹も1カイだし、果物1個も1カイだよ」

「じゃあ、熊さんは魚2匹を2カイで八さんに売って、八さんは果物2個を2カイで熊さんに売るわけね」

「その通り。これを毎日続けていても、それぞれの持っているお金は10カイで変わらないよね」

「そりゃそうね」

「ここで、八さんは節約を始めることにした。熊さんから魚を買うのは1匹だけにして、節約した1カイを貯金するわけだ」

「えーと、果物を熊さんに売って稼いだ2カイのうち、1カイだけ使って魚を買って、残りの1カイを貯めるわけね」

「そういうこと。そうすると、熊さんが捕った魚4匹のうち1匹が売れ残り、腐ってしまう。熊さんは仕方なく、魚を捕る量を3匹に減らすことにした」

「ふーむ」

「これを毎日続けていくと、八さんは毎日1カイずつお金を増やし、熊さんは毎日1カイずつお金を減らすことになる」

「そうね。10日後には、熊さんのお金は無くなっちゃうわね」

「熊さんのお金が無くなったところで、八さんが『10カイ貸してほしければ10日ごとに1割の金利を支払え』と言ったらどうだろうか。これは脅迫ではないのか? 八さんの節約は“善い”ことなのか?」

「むむむ……」

「八さんの節約と貯金は、熊さんの生産物を腐らせ、熊さんの所得を下げることによって成り立ってるんだよね。僕にはこれが“善”だとはとても思えないんだよ」

「うーむ……」

「社会の中を流通するお金を、血液にたとえることが良くあるよね。血液は全身をとどこおりなく流れるのが良いのであって、どこかの臓器が貯め込んじゃダメだよね」

「そりゃそうね」

「ある臓器が血液を貯め込んで周囲を困らせたあげく、『血を流してほしければ貢ぎ物をよこせ』と言ったら、それは“悪”だよね」

「そうね……」

「どうだろう。お金を貸して金利を取ることに本当に正当性があるのかどうか、きちんと考えてみるべきだと思わない?」

「たしかに、そんな気になってきたわ……」

 

 

こちらもどうぞ。

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*1:より正確には、同胞や貧者から利子を取るなと書いてあります。ユダヤ人がキリスト教徒にお金を貸して利子を取っていたのは、同胞ではないからという理屈です。

*2:実際にこういう校則がある学校があるようです。

*3:イスラムの世界にはイスラム金融というものがあり、利子を取るのではない形でお金を必要な人や企業に融通しています。

政府が“本当に”借金を返すとどうなるか

はじめに

今回は、政府が借金を返すと何が起きるのかを考えてみましょう。

政府が借金を返す方法は、税金を徴収して返すか借り換えるかのどちらかです。*1

この他に、政府が政府紙幣や一兆円硬貨などを発行して返すことも可能ではありますが、政治的に実現は難しそうです。

借り換えについては、返済を先延ばしにしているのと同じことであり、借金を“本当に”返していることにはなりませんよね。

結局、政府が“本当に”借金を返すには、税金を徴収して返すしかないわけです。

今回の記事では、政府が税金を徴収して“本当に”借金を返すと何が起きるのかを、グリーンマネーのモデルで考えてみることにします。

国債を持っているのは公衆(企業や家計など)、銀行、日銀のいずれかですから、この3つに分けて考えましょう。

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公衆に対して“本当に”借金を返すと

公衆が持っている国債を、政府が税金を徴収して償還(返済)すると何が起きるでしょうか。

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公衆が持っているグリーンマネーが徴税によって政府に移動し、それが再び公衆の手元に戻り、国債は公衆から政府に移動して消えます。

グリーンマネーは生まれたり消えたりしていませんから、マネーストックは増減しません。

そして、公衆が保有する金融資産としての国債が減ります。

あまりいいことは無いように見えますね。

国債は公衆の全員が保有しているのではありません*2から、国債を持っているお金持ちと持っていない庶民の2つに分けて考えてみましょう。

返済のための税金はお金持ちと庶民の双方が支払います。

そして、返済されたお金は国債保有していたお金持ちが受け取ります。

お金持ちが払った税金はそのまま戻ってきて行って来いですから、結局、まとまったお金を庶民から取り上げてお金持ちに渡していることになります。

これでは、誰が嬉しいのか分かりませんね。

お金持ちは金利を生む国債という資産を持っていたのに、金利を(ほとんど)生まないグリーンマネーに変わってしまうのですから。

お金を取られた庶民が消費を抑えることも目に見えています。

銀行に対して“本当に”借金を返すと

銀行が持っている国債を、政府が税金を徴収して償還(返済)すると何が起きるでしょうか。

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公衆が持っているグリーンマネーが徴税によって政府に移動し、それが銀行の手元に戻って消えます。*3

グリーンマネーが消えるのですから、マネーストックが減少します。

そして、国債は銀行から政府に移動して消えます。

つまり、銀行が保有する金融資産としての国債が減ります。

これも、誰が嬉しいのか分かりませんね。

銀行は金利を生む資産を失って稼げなくなりますし、公衆はお金を取り上げられてマネーストックが減少し、経済は冷え込むでしょう。

何もいいことが無いですね。

日銀に対して“本当に”借金を返すと

日銀が持っている国債を、政府が税金を徴収して償還(返済)すると何が起きるでしょうか。

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公衆が持っているグリーンマネーが徴税によって政府に移動し、それが日銀の手元に戻って消えます。

この時、銀行の手元にあったブラウンマネーも政府を経由して日銀の手元に移動して消えます。*4

国債は日銀から政府に移動して消えます。

グリーンマネーとブラウンマネーが消えるのですから、マネーストックとマネタリーベースが減少します。

これもやはり、いいことが無いですね。

全く何もいいことが無いのか?

ここまでの話では、政府が“本当に”借金を返しても何もいいことが無いということになりました。

しかし、本当に全く何もいいことが無いのでしょうか?

いいことはもちろんあります。

それは、国民の金利負担が減ることです。

政府は借金の総額に対して金利を定期的に支払っていて、この金利は国民が税金で負担していますから、借金の額が減れば国民の金利負担も減ります。

政府が“本当に”借金を返して嬉しいことと言えば、国民の金利負担が減ることなのです。

たとえば今、政府の借金が総額1000兆円であり、国民の金利負担は毎年10兆円(年1%)だとしましょう。

この1000兆円を国民が税金で一度に支払い、借金を完済したとすれば、今後の金利負担はゼロになりますね。

10兆円を毎年支払うのと、1000兆円を一度だけ支払うのとでは、どちらが嬉しいでしょうか?

これは損得だけで言えば、どちらも同じです。

将来に渡る毎年10兆円ずつの支払いは、割引現在価値という考え方を使って合計すればちょうど1000兆円になるからです。

ただし、どちらでも同じなのは、1000兆円を一度に支払っても私たちの生活に何の支障も無ければの話です。

実際には、1000兆円を一度に支払うなんてことは無理な話であって、10兆円ずつ毎年支払う方がマシですよね。

金利負担を減らすもう一つの方法

政府の借金を“本当に”返すと金利負担を減らせるわけですが、実際には借金を返さなくても国民の金利負担を減らすことが可能です。

それは、公衆や銀行が持っている国債を日銀が買い取ることです。

実は、日銀が持っている国債に関しては国民の金利負担が無いのです。

なぜかと言うと、日銀が得た儲けは国(政府)に返すことになっているからです。*5

1000兆円分の国債を日銀が持っていて、それに対する金利10兆円を政府が日銀に払ったとすれば、その10兆円は政府に戻ってくるのです。*6

公衆や銀行が持っている国債を全て日銀が買い取ってしまえば、国民の金利負担はゼロになります。

黒田日銀による大規模金融緩和は、銀行が保有する国債を日銀が大量に買いましたから、この意味においては有効だったということです。

(本来の目的であるインフレ率2%はどこに行ったんでしょうね。。)

プライマリーバランスの黒字化について

政府が“本当に”借金を返すには、政府の(借金返済以外の)支出額よりも税収の方が多くなければなりませんよね。

これは、政府のプライマリーバランス*7を黒字化しなければならないということを意味します。

プライマリーバランスを黒字化するには、増税により税収を増やすか、政府支出を減らすかしなければなりません。

増税はもちろん、国民にとって“痛み”です。

また、政府支出を減らすということは、年金の受給額が減ったり医療費の自己負担が増えたりするということですから、国民は“痛み”を感じます。

増税にしろ政府支出の減にしろ、政府がプライマリーバランスを黒字化して“本当に”借金を返そうとすると、国民が“痛み”を感じるということです。

そして、国民が“痛み”を我慢して政府の借金を“本当に”返すということは、国民が毎年支払う金利を将来に渡って合計し、一括で支払うということになります。*8

そんなことをしなくても金利負担を減らす方法はあるのにです。

政府が借金を“本当に”返すことに意味があるのかどうか、良く考えてみる必要があるでしょう。

 

こちらもどうぞ。

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*1:政府が油田や金山を持っていて現金収入があればそれを借金の返済に充てることも出来ますが、基本的に政府というものはお金を稼ぎません。

*2:銀行保有国債については、公衆が間接的に保有しているのではなく、あくまでも銀行が保有していると考えます。国債金利で儲けるのは銀行であり、銀行の株主だからです。

*3:グリーンマネーは銀行が貸し出した時に生まれ、返済された時に消えます。

*4:ブラウンマネーは日銀が貸し出した時に生まれ、返済された時に消えます。

*5:国庫納付金と言います。

*6:実際には経費などが差し引かれますから全てが戻ってくるわけではありませんが。

*7:プライマリーバランスとは、政府の借金以外の収入=税収から、借金返済以外の支出を差し引いたもので、基礎的財政収支とも言います。

*8:例えば、金利負担のうち1000億円分を将来に渡って合計すると10兆円になりますから、プライマリーバランスで10兆円の黒字を出して返済に回せば、今後の毎年の金利負担を1000億円ずつ減らすことが出来ます。

アリストテレスに学ぶ正しい社畜の扱い方

はじめに

「万学の祖」と称される古代ギリシャの哲学者アリストテレスは、「経済学*1」という書物の第一巻第五章で、奴隷の扱い方について書いています。*2

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奴隷というと私たちはつい、かつてのアメリカの黒人奴隷のように鎖でつながれた奴隷をイメージしてしまいますよね。

しかし、古代ギリシャの奴隷は別に鎖でつながれたりはせず、自由に町を歩くことができました。

奴隷でない人のことを自由人といいますが、自由人が奴隷に何をさせていたかと言えば、もちろん働かせていたのですね。

自由人が手掛ける事業で働き手として働かせたり、あるいは自由人の家で家事をさせたりしたわけです。

その代わり、自由人は奴隷たちに衣食住を与えました。

どうやら、古代ギリシャの奴隷というのは現代でいうところの労働者(社畜)と大して違わないようですね。

違いを挙げるとすれば、以下の3点ぐらいでしょうか。

  • 労働の対価として与えられるものが、奴隷なら衣食住の現物支給だが、社畜なら衣食住を買うための金銭である
  • 奴隷は奴隷狩りや戦争捕虜などで無理やり奴隷にさせられたが、社畜は自ら望んで社畜になる*3
  • 奴隷には奴隷を辞める自由は無いが、社畜には社畜を辞める自由が有る*4

ざっくり言い切ってしまえば、古代ギリシャの奴隷は現代の社畜と同じです。

したがって、アリストテレスが説く奴隷の扱い方は、現代における社畜の扱い方に通ずるものがあります。

今回の記事では、この「経済学」第一巻第五章を引用しながら、社畜の正しい扱い方について考察していきたいと思います。*5

基本的に引用部分は読み飛ばしても大丈夫です。

最も重要な財産は人材

財産のうち、最良の、そして家政上最も重要なものが第一の問題で、そして最も不可欠だ。これはすなわち人間である。

自由人が所有する財産の中で、人間すなわち奴隷がもっとも重要だと書かれています。

現代でも、企業が利用する資源であるヒト、モノ、カネのうち、ヒトが最も重要だと良く言われますよね。

なんだか人道的で素晴らしいことを言っているようにも聞こえますが、これは単に財産の中で人間が最も有用だと言っているに過ぎません。

経済学者のアダム・スミスカール・マルクスは「人間の労働が価値を生み出す」と考えました。

新たな価値を生み出すのが人間の労働だけであるなら、人間が最も重要な財産であることは当然ですよね。

そこで、まず第一に役に立つ奴隷を手に入れることが必要である。

どうせ社畜を手に入れるなら、役に立つ社畜を手に入れるべきです。

これも当たり前ですね。

奴隷には二種あり、すなわち監督者と働き手とである。

監督者というのは働き手を管理する管理職のことですね。

南北戦争以前のアメリカでもそうですが、奴隷の中には奴隷を管理する奴隷がいました。

現代でも同じことで、社畜の中には社畜を管理する社畜がいますよね。

教育の重要性

我々は教育というものが年少者を一定の性格の者に造り上げることを知っているのだから、奴隷を手に入れたならば、自由人にふさわしい仕事をゆだねるべき奴隷たちを[注意深く]育て上げることが肝要である。

ここでは教育の重要性について書かれています。

子供を注意深く教育することで一定の性格の人間に造り上げることが出来るのだから、教育によって良い奴隷を育てることが肝要だということです。

現代の教育においても、子供たちを良い社畜に育て上げることを念頭に置いてカリキュラムを組むべきだということになるでしょう。

確かに、現代の教育は従順なサラリーマンを育てるためにある、と主張する人は居ますよね。

人材の扱い方

奴隷たちとの関係は要するに彼らにつけ上がることはさせず、それかといって彼らを苦しめもせず、

奴隷をつけ上がらせてはいけない。

社畜にも同じことが言えますね。

奴隷を苦しめてもいけない。

現代では社畜を苦しめている経営者も多いようですが、アリストテレスはこれをたしなめています。

彼らのうちやや自由な者たちには幾分の名誉を頒(わ)かち与え、

やや自由な奴隷とは管理職のことでしょうか。

彼らには名誉を分け与えるべきだとアリストテレスは言っています。

なんらかの肩書きを与えてやることで、それを誇りにしてさらに頑張る奴隷や社畜は多いでしょう。

肩書きのランクが一目で分かるように、服装に違いをつけることも有効かも知れません。

マクドナルドでは役職によって違う制服を着用しているそうです。

「いつかはあの制服を着てやるぞ」と頑張る人も居るでしょうね。

働き手たちには沢山の養いを与えることにある。

そして、働き手には沢山の養いを与えよとあります。

養いというのは栄養、すなわち食べ物のことですね。

奴隷たちがお腹をすかせることが無いように、食べ物は十分に与えるべきだということです。

現代で言えば、食べ物を十分に食べられるだけの給料を与えるべきだということになるでしょう。

これも当たり前のことですが、場合によっては食うに困るほどの給料しかもらえない人も居ますよね。

酒を飲むことは自由人をも傲慢にするものであり、またカルケドン人が従軍する際のように、自由人の間でも多くの民族はこれを差し控えているのだから、絶対に与えぬか、または極めて稀にしか与うべきでないことは明白である。

奴隷に酒を与えると傲慢になってしまうから、酒は与えない方が良いと書かれています。

現代でも、社畜に酒は飲ませない方がいいでしょうね。*6

しかし通常、社畜が勤務後に酒を飲むことまでは禁止できません。

どうしても禁止したければ、宗教や法律*7で禁止するしかありません。

イスラム教では飲酒が禁止されていますよね。

筆者はイスラム教徒と一緒に仕事をしたことがありますが、彼らは非常に優秀で真面目でした。

仕事と給料

さて仕事と懲罰と食物との三者であるが、罰せられもせず働きもせず、しかも食物を与えられるというのでは、彼らを傲慢ならしめる。仕事と懲罰はあっても、食物を与えられないというのは無理なことで、彼らの能力を損ずる。そこで残るところは、彼らに仕事と十分の食物を与えることだ。何となれば報酬を与えずして他人を支配しようとするのは不可能であり、奴隷にとっての報酬とは食物にほかならぬから。

この部分は要するに、以下のようなことを言っています。

奴隷が仕事をしないからと言って食べ物を与えないわけにはいかない。

食べ物を十分に与えることで奴隷を支配し、仕事をさせるべきだ。

つまり、給料を(最低でも食べるのに困らない程度に)十分に与えることで社畜を支配し、仕事をさせるべきだということです。

それは確かにそうなのですが、では仕事をしない社畜にはどう対応すれば良いのでしょうか。

社畜につけ上がらせてはいけません。

功には褒美を、罪には罰を

ちょうど他の[自由な]人々においても、より善い人々にはより好いことがあり、また徳と罪悪との報いがあるというのでなければ人々は次第に悪くなって行くように、奴隷についても同様である。

奴隷に限らず人間というものは、善いことをしても良いことが起きず、悪いことをしてもバチが当たらないとすれば、だんだん悪くなってしまうのだと言っています。

確かにその通りですよね。

それゆえ我々は観察を怠らずに、何でも、食料にもせよ、衣服にもせよ、休息にもせよ、懲罰にもせよ、彼らの功罪に応じて頒(わ)かち与え、また停止すべきだ。

したがって、奴隷の行いを良く観察し、奴隷が善いことをしたら何らかの褒美を与え、悪いことをしたら罰を与えるべきだと言っています。

そうすれば、奴隷が悪い奴隷になることを防ぎ、むしろ良い奴隷になっていくということです。

社畜にも言えることでしょうね。

その際、理論においても実行においても医薬の道における医師の遣り口を手本とすべきであるが、

褒美や罰を与える時は、医薬の道における医師のやり方を手本にするべきだと書かれています。

これはつまり、どんな時にどんな褒美や罰をどれぐらい与えたら奴隷(社畜)がどういう反応をするのかを良く観察して記録し、処方が正しいか否かを常に検証すべきだということでしょう。

現代においても、賞罰の制度が決まっているからといってそれを機械的に適用するのではなく、社畜の反応を見ながら臨機応変に対応し、また制度自体を改善していくべきだ、ということになります。

一方、食物は絶えず与えられるという点で医薬とは違うことを弁えておかねばならない。

これは、食べ物を与えないことを罰にしてはいけないということでしょう。

繰り返しになりますが、最低でも食べるのに困らないだけの給料を与えるべきだということです。

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ラファエロアテナイの学堂」より。左はプラトン、右がアリストテレス

奴隷の適正

奴隷のうち仕事に最も適する種類は、臆病に過ぎずしかも勇敢にも過ぎぬものと言えよう。かような性質の者はいずれも害があるから。何となれば余りに臆病なものは忍耐力を欠き、一方、血気に逸るものは御し難いから。

臆病すぎる人は忍耐力が無いから奴隷(社畜)には向かない、勇敢すぎる人はコントロールが難しいから奴隷(社畜)には向かないと書かれています。

適正があるのは、ある程度の臆病さとある程度の勇敢さを兼ね備えた人だということです。

これは奴隷や社畜だけでなく、色々なことに当てはまるかも知れませんね。

解放の約束

また彼ら総てに定まったあてがなくてはならない。自由の身となることが褒美としてあるのは正当でもあり、また有利なことだから。褒美があり、かつ期限が定まっていると彼らは喜んで骨折るものだから。

奴隷は期限を定めて解放してやるべきだと書かれています。

解放されて自由の身になることは大きな褒美であり、期限が決まっていればそれまでの間、喜んで働いてくれると書かれています。

現代で言えばこれは定年制度ですね。

定年になれば社畜は解放されて自由の身となり、さらに退職金という褒美まで貰えます。

定年までは頑張って働こうという気になりますよね。

人質としての子供

そして彼らに子供をつくることを許し、これを人質にとって彼らをその仕事に縛らねばならぬ。

奴隷たちが交わって子供を作ることを許し、その子供を人質にして奴隷を仕事に縛りつけろと書かれています。

子供を人質にするというのは、子供に刃物を突き付けたりすることではないでしょう。

奴隷に家族が無ければ一人で逃げ出すこともあるでしょうが、子供(や妻)が居ればそれだけ逃げることが難しくなります。

リスクを冒して家族で逃げるよりも、奴隷の身分に甘んじて働き続ける方がよほど安全ですから、子供を作らせるだけでそれが人質になるわけです。

現代でも同じことが言えますよね。

独身の社畜は仕事が嫌になれば簡単に辞めてしまうかも知れませんが、家族が居れば簡単には辞められませんから、社畜の身分に甘んじて働き続けるでしょう。

また、現代の場合は家を買わせてローンを組ませることも有効ですね。

住宅ローンがあれば辞めることがさらに難しくなりますから、仕事がつらくても頑張って働くしかありません。

家は借りるよりも買うことを奨励しましょう。

団結の阻止

また国家の場合と同様、同種族の奴隷たちを多数買い入れぬことである。

ここでは、同じ種族の奴隷を数多く買い入れるなと書いてあります。

これは、奴隷たちが団結することを防ぎたいからです。

奴隷たちが一つに団結してしまったら、主人に逆らうことが出来てしまいます。

最悪の場合、奴隷たちが主人を殺して財産を奪うかも知れませんし、そこまでしなくても奴隷たちが待遇についてわがままを言い出したら切りがありませんから、奴隷が団結することはなんとしても防がなければなりません。

現代で言えば、社畜たちが組合を作ることを防ぐべきだということになります。

組合を作ることが防げない場合は、何らかの方法でその組合の力を削ぎ、骨抜きにする必要があるでしょう。

ガス抜き

そして供犠や娯楽は自由人のためよりも一層奴隷たちのために催すべきだ。かような行事がならわしとなった理由は奴隷たちに在っては[自由人におけるよりも]一層重いからである。

奴隷たちのために供犠(くぎ)や娯楽を催すべきだと書かれています。

供犠というのは神にいけにえを捧げる儀式のことですが、要するにお祭りですね。

奴隷たちは毎日働いていて、面白くない日々を過ごしています*8から、時々こういうイベントを催してガス抜きをしてやる必要があるのです。

現代でも同じことが言えますが、社畜たちの雇い主がイベントを開催することはほとんど無く*9、イベントはそれ専門の業者が開催していますね。

社畜たちはそれぞれ自分が参加したいイベントに参加し*10、そのための費用を社畜の雇い主が(給料に含めて)払うという形になっています。*11

つまり、給料は衣食住をギリギリ満たすだけの金額ではダメで、ガス抜き(息抜き)をするための費用も含めて渡すべきだということです。

おわりに

アリストテレスは2400年前に生まれた*12人物ですが、その文章を読むと「人間のやることは基本的に何千年たっても変わらないんだな」と実感しますね。

あなたもそう思いませんか?

*1:訳によっては「家政論」という書名になっています。

*2:実際にはこの本はアリストテレスが書いたものではなく、その後輩たちが書いた文章をまとめて作られたものです。権威付けのためにアリストテレスの名前を借りているのですね。この記事でもアリストテレスの名前を借りることにします。

*3:私たちは自分たちが自ら望んで社畜になっていると思っていますが、本当にそうでしょうか?現代社会において社畜にならずに狩猟や採集などで生きていくことは難しいですよね。私たちは生きていくために社畜にならざるを得ないように追い込まれているのではないでしょうか?

*4:辞めたとしても、多くの場合はまた別のところで社畜になるのですが。

*5:「経済学」第一巻第五章は短い文章で、この記事で全文を引用しています。

*6:酒を飲ませて良いことは、コミュニケーションが円滑になるかも知れないことぐらいでしょうか。でもこれは酒が無ければ出来ないことではないでしょう。

*7:サウジアラビアでは法律で飲酒が禁止されています。

*8:仕事それ自体が面白ければ良いのですが、そういうケースは多くないでしょう。

*9:社内運動会などが催されることがありますが、社畜にとってはあまり面白いものではないでしょう。

*10:イベントに限らず趣味全般ですね。

*11:もちろん「イベント参加費」のような名目でくれるわけではありませんし、お金をどう使うかは社畜の勝手です。

*12:ちょうど2400年前ですね。今年はアリストテレス生誕2400周年です。

緑のお金と茶色のお金(3) 政府支出とMS,MBの増減

前々回の記事では、マネーストック(MS)とマネタリーベース(MB)の関係を正しく捉えるためにグリーンマネーとブラウンマネーのモデルを作りました。

whatsmoney.hateblo.jp

前回の記事ではこのモデルに政府預金*1を導入しました。

whatsmoney.hateblo.jp

<前回のまとめ>

  • 政府預金はグリーンマネーであり、かつブラウンマネーである。
  • グリーンマネーの総額がMS。ただし政府預金は含まない。
  • ブラウンマネーの総額がMB。ただし政府預金は含まない。
  • 地方政府にしろ中央政府にしろ、徴税や政府支出はマネーの移動にすぎない。

今回は、政府支出によってMS*2やMB*3がどう変化するのかを、その財源ごとに考えてみましょう。

徴税したお金で政府支出

家計や企業から税金として徴収したお金で中央政府が支出する場合、グリーンマネーやブラウンマネーは移動するだけです。

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グリーンマネーは公衆→中央政府→公衆と移動するだけですから、マネーストック(MS)は増減しません。

ブラウンマネーは銀行→中央政府→銀行と移動するだけですから、マネタリーベース(MB)も増減しません。

もちろん、政府預金はMSにもMBにも含まれませんから、徴税した直後にはMSもMBも減少します。

しかしその後、政府が支出することによってMSとMBが増加して元に戻りますよね。

MSやMBがいったん減少するのは単に「政府預金はMSやMBに含まれない」と定義されているからであって、グリーンマネーやブラウンマネーの量で見れば増減していないことがお分かり頂けるでしょう。

公衆が国債を買ったお金で政府支出

中央政府が発行した国債を家計や企業が買い、その代金として支払われたお金で政府支出をする場合はどうでしょうか。

この場合も、マネーの流れは徴税で政府支出をする場合と変わりません。

違うのは、中央政府国債を発行し、それが公衆の手に渡り金融資産となる点です。

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図の中で国債が無い状態から拡大して出現しているのは、中央政府国債を新たに発行したことを表しています。

徴税→政府支出の時と同様、MSもMBも増減しませんが、公衆の金融資産として国債が増加します。*4

銀行が国債を買ったお金で政府支出

中央政府が発行した国債を銀行が買った場合には何が起きるでしょうか。

銀行側ではブラウンマネーである日銀当座預金が減少します。

中央政府側では、ブラウンマネーに載ったグリーンマネーである政府預金が増加します。

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ブラウンマネーが銀行から中央政府に移動したことは明らかですが、グリーンマネーについてはどこかから移動したものではありませんから、銀行が新たに作り出したのだと解釈するしかありません。

銀行が公衆に対して貸し付けをする時にグリーンマネーを作って渡すのと同様に、銀行が政府に対して貸し付けをする時にもグリーンマネーを作って渡していることになるわけです。

仮にですが、新たなグリーンマネーを作って相手に渡すことを信用創造と呼ぶことにするならば、銀行は政府から国債を買う時に信用創造をしているのだと言えます。

結局、銀行が国債を買ったお金で政府支出をするとグリーンマネーが増えますから、MSが増加します。

日銀が国債を買ったお金で政府支出

中央政府が発行した国債中央銀行である日銀が買った場合には何が起きるでしょうか。

中央政府側では、ブラウンマネーに載ったグリーンマネーである政府預金が増加します。

日銀は資産としてのマネーを持っておらず*5、必要な時に発行しますから、この時にブラウンマネーとグリーンマネーを同時に作り出して中央政府に渡したことになります。*6

政府支出によりブラウンマネーとグリーンマネーが移動することについては、前節までの話と同じです。

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結局、日銀が国債を買ったお金で政府支出をするとブラウンマネーとグリーンマネーが増えますから、MBとMSの両方が増加します。

日銀が直接政府から国債を買ったお金で政府支出をするということは、俗に言う財政ファイナンス*7に当たり、これは一応禁止されていることになっています。

しかし、日銀が直接政府から新発債を買うことが出来なかったとしても、日銀が銀行から国債を買い、銀行がその代金で新発債を買えば同じ結果になります。

中央政府はいくらでも借金ができる

ここまでの話で、中央政府はいくらでも借金を増やすことが可能だということが分かります。

第一に、公衆が国債を買ったお金で政府支出をすると、MBとMSは増減せず公衆の金融資産としての国債が増加します。

このプロセスは何回でも繰り返すことができ、繰り返すたびに、公衆の金融資産としての国債が増加します。

第二に、銀行が国債を買ったお金で政府支出をすると、MSが増加するのと同時に銀行が保有する国債が増加します。

このプロセスは何回でも繰り返すことができ、繰り返すたびに、MSと銀行保有国債が増加します。

第三に、日銀が国債を買ったお金で政府支出をすると、MBとMSが増加するのと同時に日銀が保有する国債が増加します。

このプロセスは何回でも繰り返すことができ、繰り返すたびに、MBとMSと日銀保有国債が増加します。

以上より、中央政府はいくらでも借金を増やすことが可能です。

国債を買っているのは国民の金融資産であり、国債を買うたびに金融資産が減るのだから、いずれ国債を買うことは出来なくなる」というようなことを言う人が居ますが、それはウソだと言うことです。

たしかに、公衆や銀行が「これ以上は国債を(買うことは出来るけど)買いたくない」と言うことはあるかも知れません。

しかし、日銀の場合はそれもありません。

日銀が国債を買うことが必要だ、と判断されれば買われることになります。*8

政府の借金は返す必要がない

このような話をすると、「政府が借金をいくらでも増やせることは分かったが、その借金を返せなくなるのでは意味がない。借金は返せる範囲に制限するべきだ」と思われるかも知れません。

しかし、日本のように自国で通貨を発行することの出来る国にとっては、政府の借金というものはマクロで考えれば「そもそも返す必要が無い」のです。

この点については既にブログ記事を書いていますので、気になった方は読んでみて下さい。

whatsmoney.hateblo.jp

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注意して頂きたいのは、私は「政府はいくらでも野放図に借金ができ、返済する必要も無い。税金を取る必要も無い。無税国家の完成だ!」などと主張しているわけではないということです。

個々の債務は約束通りに返済する必要がありますし、税金を徴収することにも意味があります。

今回の記事では中央政府がなんらかの財源で政府支出をした時に何が起きるのかを分かりやすく説明しただけであって、特にこれと言って主張は無いのですが、あるとすれば以下の2点になります。

  • 政府がどれだけ借金ができるのかは、国民の金融資産の量に制限されているわけではない。
  • 政府の借金は本質的には返す必要がないのであって、政府は債務の残高を減らしていかなければならないわけではない。

 

*1:単に政府預金と言う場合、中央政府の政府預金のことを指します。

*2:マネーストックとしてどの指標で考えるのかを今までの記事で書いていませんでしたが、分かりやすさを重視してM1を使うことにします。概念的な考察をしているだけなのでM2でもM3でも別に構わないのですが。

*3:実はMBの増減はあまり重要ではありません。

*4:マネーストック指標の一つである広義流動性には国債も含まれるため、広義流動性で考えればマネーストックが増加することになります。

*5:硬貨は例外ですが。

*6:ここでも信用創造が起きています。

*7:三橋貴明氏よれば、財政ファイナンスという言葉は日本にしかなく、諸外国では「国債の貨幣化(マネタイゼーション)」と言われます。

*8:ただし、何らかのルールによって自縄自縛的に「日銀はこれ以上国債は買わない」ということはあり得ます。