所有はアタマの中にある
所有は客観的事実ではない
「今回は、所有について考えるよ」
「所有……前にも所有について考えたような」
「そうだね。もう少し深く考えてみよう」
「別にいいけど」
「僕が最近読んだ本では、所有についてこんな風に書かれていたよ。『所有は全部、マボロシ』だと」
「所有はマボロシ? ……どういうこと?」
「所有というものを証明する明確な証拠は無いからね」
「そうなの?」
「マイがあるモノ……たとえば金貨を1枚所有しているとするよね。でも、マイがその金貨を所有しているということを客観的に証明する方法は無いんだ」
「なんで? 私の金貨は私のモノでしょ」
「うん。マイはそう主張するよね。でも、マイと金貨は別にヒモでつながっているわけではない」
「まぁ、そうね」
「もし、所有したら見えないヒモでつながるんだとすれば、なんらかの計測機器を使って観測すればいい。そうすれば、マイと金貨がつながっていること、つまりマイが金貨を所有していることを客観的に証明できる」
「ふむ。でも、そんなヒモは無い、と」
「そう」
「じゃあ、どうすればいいのよ。実際にヒモでつなげとけばいいわけ?」
「いや、そういう問題じゃないよ。ヒモでつなげたら所有の証明になるわけじゃない」
「じゃあ、金貨に名前でも書いとけばいいわけ?」
「それも違うよ。名前を書くことで証明になるなら、マイの名前を消して僕の名前を書いたら僕のものになっちゃうでしょ」
「うーん……。つまり、どういうこと?」
「所有というものは、観測・証明が可能な客観的事実ではないんだ」
「……だとしたら、なんなのよ」
所有は人間の頭の中にある
「マイはその金貨を自分が所有していると“思って”いる。そして、僕もマイがその金貨を所有していると“思って”いる。これが所有の正体だ」
「は?どういうこと?」
「つまり、所有は人間の頭の中にある」
「うーん……」
「仮に、マイが僕に『この金貨、ケンジにあげるわ』と言ったとしよう」
「あげないわよ!」
「仮に、ね。そうすると次の瞬間には、僕はその金貨を僕が所有していると“思う”し、マイもその金貨を僕が所有していると“思う”だろう」
「……まぁね」
「金貨を誰が所有しているのかが、頭の中で“思う”だけで変わってしまうわけだ。金貨自体は1ミリも動いていなくてもね」
「ふむ……。まぁ、分からなくもないわ。でも、土地や建物の所有は人間の頭の中じゃなくて、登記簿の中にあるんじゃない?」
「おお……!マイの口から登記簿という言葉が出てくるとは」
「馬鹿にしないで」
「ごめんごめん。でも、土地や建物でも変わらないよ」
「なんで?」
登記が所有の本質なのか
「ある家にAさんという人が20年間住んでいるとしよう。Aさんはこの家を自分が所有していると思っている」
「ふむ」
「近所の人もAさんがこの家にずっと住んでることを知っていて、当然Aさんが所有しているのだろうと思っている」
「ふむふむ」
「ところが、登記簿を確認してみるとこの家の所有者はXさんという人になっていた。そうすると、AさんとXさんのどちらがこの家の所有者になるだろうか」
「登記簿に書いてあるんだから、Xさんなんじゃないの?」
「この場合、Aさんが所有者になるんだよ。法的には、Aさんは取得時効という制度によって所有権を得ることができる、ということなんだけどね*1」
「へー。じゃあ、登記簿の方を書き換えて正式にAさんの所有に出来るってこと?」
「そういうこと。まぁ、Xさんがもっと早い段階で『俺が所有する家に他人が住んでる!』と言って争えば、登記簿上の所有者であるXさんが勝つだろうけどね」
「なるほど」
「でも、そもそもXさんが『僕の家だと思うんだけど…』などと主張しなければ、何の問題もなくAさんが所有者だということで物事は進むんだよね。登記簿にXさんの名前が書いてあったとしてもだよ」
「うーん、そうなるか」
「問題が起きるとすれば、家を売る時とか、担保に入れてお金を借りる時、あとは相続する時ぐらいだね」
「取得時効とやらで名義を書き換えるのは、その時になってからでも遅くないわけね*2」
「そういうこと。結局、土地や建物の場合でも、所有というものが人間の頭の中にあることに変わりはないんだ」
「えー? そうだとしたら、登記簿ってなんなの?」
「登記簿上の記述は所有の本質というよりも、誰が所有者だと“思われている”かについての覚え書きのようなものだね」
「所有の本質はあくまで人間の頭の中にあって、登記簿はメモ書きにすぎない……と?」
「うん。まぁ、『この家は俺のだ』『いいや俺のだ』という風に争いになれば、その時はメモ書きがモノを言うんだけどね」
「うーん……」
所有は人間にしか通用しない
「今、所有は人間の頭の中にあるって話をしたけど」
「うん」
「より分かりやすく言うなら、所有というものは人間と人間の間の取り決めに過ぎないということだ*3」
「ふむ。そう言われたらそうかもね」
「だから所有は、人間以外のものに対しては通用しない」
「と言うと?」
「たとえば、僕がある土地を所有しているとして、スズメやカラスに対して『ここは私有地だから勝手に入るな』とは言えない」
「そりゃそうね」
「アリに対して『ここに巣を作って住むなら地代を支払え』とも言えない」
「うん」
「上陸してきたゴジラに対して『私の土地に入るな』とも言えない」
「ゴジラって(笑)」
「この土地に入るなとか、地代を支払えとか言えるのは、相手が人間の場合だけなんだよね」
「たしかに……」
「これは別に土地に限った話ではないよね。人間以外の動物は、私たち人間の誰が何を所有しているかに構うことなく、自由に振る舞う」
「ふむ」
「魚屋が所有する魚をノラ猫が持って行ってしまうかも知れないし、マイが所有する金貨をカラスが持って行ってしまうかも知れない」
「えーっ!!ドロボー!!おまわりさーん!!」
「持って行ったのが人間なら警察も呼べるけど、カラスだとねぇ」
「ぐぬぬ……!」
「とにかく、所有というものが人間にしか通用しないってことは間違いないでしょ?」
「そうね」
「このことからも、所有が人間の頭の中にしかないってことが分かるでしょ」
「そうだったのかー! 目からウロコが……」
「落ちた?」
「……いやいや、所有が人間と人間の間の取り決めに過ぎないなんて、そんなの当たり前の話だわ。目からウロコ落とすような話じゃないわ。危ない危ない」
「ははは(笑) まぁ、その当たり前のことが分かってくれればいいんだけどね」
「所有は人間の頭の中にしかない。だから『所有はマボロシ』だと?」
「そこなんだけどね。『所有はマボロシ』と言えるかも知れないけど、そう言ったところであんまり意味は無いんだよね」
「ふむ」
「土地を借りている人が『所有なんてマボロシだ』と言ってみても、今年も来年も地主に地代を払わなきゃいけないことに変わりはない。僕が『所有なんてマボロシだ』と言ってみても、マイの所有する金貨をポケットに入れて持って帰ることはできない」
「当たり前だわ」
「つまり、所有というものは実際に“機能”しているんだ。マボロシであろうとなかろうとね」
「そうね」
「だとすれば、次に問うべきなのは『所有はなぜ機能するのか?』ということだ。この点を次回考えよう」
「ふーむ」