もしも所有が無かったら
私たちは所有の本質を知らない
「今回は、所有というものが無かったらどうなるのか、ということを考えてみよう」
「ふーん。なんで?」
「所有とは何かを考えるためだよ」
「いやいや、所有なんて知ってるし」
「ほんとに知ってるって言えるのかな。私たちが生まれた時には社会に所有の概念が当たり前にあって、それを教えられるよね」
「そうね。だから誰でも知ってるんでしょ」
「でも教えられる時って、理屈じゃなく『そういうものなんだ』と頭ごなしに言われてない?」
「そうかな」
「たとえば自分の子供を砂場で遊ばせてる時、他の子が“所有”するおもちゃで勝手に遊ぼうとしたら、『ダメだよ』って言うよね」
「そうね」
「おもちゃを使いたかったら、その“所有者”に『貸して』と言って、『いいよ』と言われたら使いなさい。そんな風に教える」
「うん」
「その時に『なんで?』と聞かれても、『そういうものなんだ』と言うしかないでしょ」
「うーん……。持ち主が怒ったり悲しんだりするから、って言えると思うけど」
「『“所有”の主が気分を害するから』ってことだよね。それは所有とは何かが分かってない人には説明になってないよ」
「あー……」
「さっきの『なんで?』は、所有とはなんぞや、なんでそんなことになっとるんやってことだからね」
「そうか」
「それに対しては、『そういうものなんだ』と言うしかない」
「たしかに……」
「私たちは“所有”を知ってると思ってるけど、ほとんどの人は『そういうものなんだ』という頭ごなしの説明を飲み込んでいるだけで、実は良く分かってないんだよ」
「ふーむ……」
「アメリカのインディアンには所有の概念が理解できなかったという話があるけど、無理もないよね。だって、『所有とは何だ?』と聞いても『そういうものなんだ』という説明しか返ってこないんだから」
「そっか。まぁ、分かったわ。私たちは所有が良く分かってない。それで?」
「所有が無かったらどうなるかを考えてみたら、所有の本質に近づけるんじゃないか、という話だよ」
「ふむ」
家族の中の所有
「まず、所有の無い状態が身近にないか考えてみよう」
「そんなことある?」
「たとえば、家族の中には所有ってあんまり無いんじゃないかな」
「えー、私の持ち物を弟が勝手に使ってたらムカつくけど」
「でも、冷蔵庫や電子レンジをお父さんのお金で買ってても、みんな勝手に使うよね。いちいち許可を取ったり使用料を払ったりしない」
「そりゃそうよ。掃除機だって何だって、勝手に使うわ」
「うん。なんでそうなんだろう」
「だって、家具とか家電とかは家族で共有してるから」
「そうだね。なんで共有してるのかな」
「いや、冷蔵庫を一人一個持ってても無駄でしょう」
「その通りだね。じゃあ、なんで家族では共有して、近所の人とは共有しないんだろう」
「えっ、冷蔵庫を?」
「冷蔵庫はともかく、時々しか使わないもの……たとえば脚立とか、高枝切りばさみとかは共有しててもおかしくないよね。十軒に一つもあれば十分なんじゃないかな」
「あー……」
「車なんかも、一家に一台あるのは多すぎると思うんだけどねぇ」
「それはだって、それぞれ好みとかあるし」
「もし車が一種類しかなかったら、共有しても問題ないかな」
「うーん……。あっ、事故が起きた時に相当面倒なことになりそう」
「たしかにね。そこはひとまず置いておこう」
「ふむ」
「とりあえず、所有が無ければ共有の状態になりそうなことと、共有の方が無駄がなさそうなことは分かるよね」
「まぁ、そうね」
RPGのパーティー
「別のケースを考えよう。RPGのパーティーの中では所有ってなさそうだよね」
「立食パーティー?何食べてもいいよね」
「ははは、そうじゃなくて。ドラクエなんかのゲームで、勇者、戦士、魔法使い、僧侶とかでパーティーを組むでしょ」
「ああ、そっちか」
「パーティーの中で、戦士が持っている剣を勇者が使うことにした時、許可を求めたり使用料を払ったりしない。武器もアイテムも、パーティーの中で共有してるよね」
「そうね」
「しかも、財布は一つだ。お金が手に入ればパーティーの財布に入るし、アイテムを買う時はパーティーの財布から出す」
「うーん、一時的にパーティーを組んで、クエストをこなしたら解散みたいなゲームだったら、財布は別じゃない?」
「たしかにね。でも今は、パーティーを組んだら最後までずっと一緒に冒険するようなゲームを考えよう」
「ふむ」
「そういうゲームでは、武器やアイテム、お金も全てパーティーの中で共有している。どうしてそうするんだろう?」
「だって、パーティーは運命共同体じゃない。中でゴチャゴチャ争い合ってもしょうがないわ」
「その通りだね。目的が同じ、目指すところが同じだからこそ、パーティーを組んで協力してるんだ。中で争うことに意味は無い」
「そうね」
「たとえば戦士が怪我をした時なんかも、魔法使いや僧侶が無償で治療する。治療費の支払いを求めたりしないよね」
「当たり前だわ」
「怪我をしたのは勇者のせいだなどと言って、賠償を求めたりもしない」
「そうね」
「治療を必要とする人がいて、治療が出来る人がいたら、単純に治療が行われるわけだ。お金を介さずにね」
「うん」
「これ、パーティーじゃなくて小さな村とかでも同じような状況になり得るんじゃないかな」
「と言うと?」
所有の無い村
「あるところに小さな村があって、村人達は『皆で健康に暮らす』という共通の目的を持っていたとしよう」
「ふむ」
「働ける人達は狩猟や採集をし、食べ物を皆で分け合う。もちろんお金を介さずにね」
「うん」
「村にあるモノは皆の共有物だ。誰もが自由に使っていい」
「ふむ」
「ある時、Aさんの不注意でBさんに怪我をさせてしまったとしよう。AさんがBさんを村の医者に連れて行けば、医者はBさんをタダで治療してくれる。皆で健康に暮らすのが共通の目的だからね」
「ほほう」
「もちろん、BさんがAさんに賠償を求めることもない」
「えーっと……つまり、医者はタダ働きするべきだってこと?」
「ははは、そんなこと言ってないって。この世界のように所有のある社会なら、医者が治療の対価を求めるのは当然のことだ」
「うん」
「僕が言いたいのは、所有の無い社会があるとすれば、さっき言った村のような社会なんじゃないかってことだよ」
「ああ、そういうこと」
「所有の無い社会では、内部でのやりとりにお金は必要ないはずなんだ」
「ふーむ……」
「対外的なやりとりにはお金が必要だけど、そのお金は大きな一つの財布に入れておけばいい。パーティーの財布のようにね」
「なるほど」
「さっき、近所で車を共有してたら事故を起こした時にかなり面倒だって話があったよね」
「うん」
「社会に所有が無い場合、車が壊れたら直せる人が単に直せばいいし、怪我人がいたら医者が単に治療すればいいだけなんだ。保険屋も必要ない」
「なんと。全然面倒じゃなかった」
「それからね、さっきも言ったように、所有が無い場合には内部で奪い合いをすることにはあまり意味が無いんだ」
「ああ、勇者と戦士が剣を奪い合ってもしょうがないもんね。村の場合は?」
「十分な食料が皆に行き渡る限り、他の人から食料を奪う必要はないでしょ」
「そりゃそうね」
所有の本質は分断
「改めて、所有の無い社会とある社会とを比べてみよう。所有の無い社会では、社会全体の目的のために皆で協力する。一方、所有のある社会では、個人個人が自分の利益のために行動する」
「ふーむ……」
「所有が無ければ奪い合うことに意味が無いが、所有があれば奪い合いが起きる」
「奪い合い……オレオレ詐欺なんか、まさに奪ってるもんね」
「そうだね。所有が無ければ、詐欺も泥棒もする意味が無いんだけどね」
「たしかに……」
「そして、所有があると貧富の差が生まれる。たくさん所有してる人は金持ち、全然所有してない人は貧乏人だ」
「ふーむ……。金持ちがたくさん所有してるのって、お金?」
「いや、合法的に“奪う”ための権利だよ。具体的には土地とか、株とか、貸し付け債権とかだね」
「ほう」
「これらを所有してるとお金が自動的に入ってきて、働かずにいい暮らしが出来るって寸法だ」
「なるほど」
「こうして比較してみると、所有の本質が少し見えてきたよね」
「うーんと……」
「社会に属する人々を個人に分断し、社会にあるモノも分断して個人に帰属させる。これが所有という制度だ」
「つまり、所有の本質は分断だと?」
「そう言ってもいいと思うよ。モノが個人に分断されると、どうしても無駄が発生する」
「そうね」
「そして、社会が個人に分断されると個人は社会の利益や目的よりも、個人の利益を優先して行動するようになる」
「奪い合いを始めるのね」
「その通り。そして人々は、富裕層と貧困層に分断されるわけだ」
「そうだったのか!」
「所有って、無い方がいいと思わない?」
「思う!所有、死すべし!」