経済学を疑え!

お金とは一体何なのか?学校で教えられる経済学にウソは無いのか?真実をとことん追求するブログです。

「お金とは何か」を根本から再考してみた

お金とは何か

お金とは何でしょうか?

教科書などには、お金には3つの機能があると書かれていますよね。

いわく、交換機能、価値の尺度機能、価値の保存機能の3つです。

しかしこれは、お金の便利な利用法ベスト3が紹介されているだけのことで、お金そのものの説明ではありません。*1

たとえば水の機能として生命の維持機能、植物の育成機能、洗浄機能の3つを挙げたところで、水そのものの説明にはなりませんよね。

 

お金は信用か

ホリエモンこと堀江貴文氏は「お金の本質は信用だ」と言っています。

確かに、信用のある人や企業ほど多くのお金を調達できますし、何か商品を売る場合でも多く売り上げることが可能ですよね。

しかしこれは「お金は信用のバローメーターでもある」と言っているに等しく、お金それ自体の説明ではありません。

仮にホリエモンが私にお金を渡してくれたとしても、ホリエモンの信用の一部が私に渡されたことにはなりませんよね。

 

お金は債権と債務の記録?

一方、三橋貴明氏は「お金とは債権と債務の記録である」と言っています。

これは信用貨幣論という考え方で、誰かの債務(負債)の証明書がお金として機能するということです。

信用貨幣論を理解している人にとっては良い定義に思えますが、この定義はちょっと分かりにくいですし、スッキリしない部分もあります。

たとえば日銀券の発行残高は日銀のBS上で債務となっていますが、それはそのように扱うルールになっているだけではないでしょうか?

別に、政府が硬貨を発行する際と同様に、債務扱いせず発行益を計上するルールにしたって構わないはずです。

 

私たちは日銀に“貸している”のか?

また、三橋氏は「1万円札を持っている人は日銀に1万円を貸しているのだ」と言っていますが、これもちょっと違和感があります。

私は日銀にお金を貸している気はしませんし、返してもらえる気もしませんし、何が返されるのかも分かりません。*2

お金とは一体何なのかということを、もう一度根本から考え直してみる必要があるように思えます。

……というわけで、私が考察した結果を以下に書いてみましたので参考にしてください。

特に、信用貨幣論信用創造というものがイマイチ良く分からない、という方にオススメします。

 

お金とは、経済主体が保有する何かである

人間(家計)はお金を保有します。

企業や政府もお金を保有します。

それに対し、ネコや樹木、太陽や川など経済主体でないものはお金を保有しません。

 

お金とは、量がある何かである

お金には量がありますので、何らかの単位と数字によってその量が表されます。

単位は円やドルなどで、1円という単位量の150倍の量があれば150円と表現されます。

 

お金とは、経済主体の間で受け渡しされる何かである

お金はある経済主体から、他の経済主体に受け渡しされます。

この時、受け渡しされるお金の量の分だけ、渡す側ではお金が減り、受け取る側ではお金が増えます。

したがって、お金の受け渡しによってお金の総量は増減しません。

 

お金とは、その量が増減することのない何かである

お金を受け渡ししても増減しないと言いましたが、お金を長い間保有していても増減することはありません。*3

一万円札をじっと見ていたら十円玉が自然に発生した、という経験のある人は居ませんよね。

銀行預金の利子は自然に増えているように思えるかも知れませんが、利子は銀行という経済主体から預金者に渡されているのであって、増えてはいません。

お金が新たに発行される場合については後述します。

 

お金は共通認識(フィクション)である

ここで、麻雀というゲームでやりとりする点棒について考えてみましょう。

麻雀は4人のプレイヤー*4で行うゲームですが、各プレイヤーを経済主体と考えれば点棒はお金のようなものですよね。

点棒は各プレイヤーが保有し、点棒には点という単位で計られる量があり、プレイヤーの間で受け渡しされ、点棒の総量が増減することはありません。

そうだとすると、この形のある点棒というモノ、プラスチックか何かで作られた棒それ自体がお金なのでしょうか。

そうではありませんよね。

点棒が無くても麻雀というゲームをすることは出来ます。

メモ用紙を用意して、誰から誰に何点移動したかを記録していけば、その時々で各プレイヤーが保有している点数は分かります。*5

そして、その点数が分かっていれば点棒が無くても問題なくゲームを進めることが出来ますよね。

つまり、お金の本質は点棒というモノではなくて点数の方だったわけです。

また、4人のプレイヤーの間に「それぞれが今何点持っているか」という共通認識があって食い違いが無ければ、メモ用紙が無くても問題ありません。

したがって「お金とは、人々の共通認識によって成立している何かである」と言うことが出来ます。

「お金はフィクションである」と言い換えてもいいでしょう。*6

 

共通認識としてのお金は、現実世界になんらかの形で表現される

麻雀というゲームにおけるお金は点数で、それはゲームに参加している全プレイヤーの共通認識でした。

日本円というお金で考えてみると、「国内の全ての経済主体がそれぞれ何円持っている」という共通認識を全国民の一人一人が持っていれば、紙幣などのお金は必要ないということです。*7

しかしそれは実際には不可能なことですから、銀行が帳簿に数字を記録して管理したり、紙幣や硬貨を使って各経済主体の保有するお金の残高が分かるようにする必要があります。

つまり、人間の頭の中にある共通認識としてのお金が、現実世界において紙幣や硬貨、帳簿上の数字として表現されていると言えるわけです。

私が一万円札を持っていたら、それは共通認識としてのお金を私が間違いなく一万円分持っているという証拠です。

また、私の預金通帳に残高が50000と記帳されていたら、それは共通認識としてのお金を私が間違いなく五万円分持っているという証拠です。

ともすれば私たちは紙幣こそが本物のお金で、通帳の数字は本物のお金を持っている証拠だと考えてしまいがちですよね。

しかしそうではなく、紙幣と通帳の数字のどちらも、共通認識としての(本物の)お金を確かに持っているという証拠だと考えるべきです。

*8

 

お金の発行もお金の受け渡しである

お金が発行される時にお金の量がどうなるかを考えてみましょう。

仮に、世の中の経済主体が日銀と私の2つだけだったとします。

そして、まだお金が存在しない状態を考えれば、お金の総量は0です。

今、日銀が一万円札を1枚印刷して発行し、私に渡しました。

10000円分のお金が、日銀という経済主体から私という経済主体に受け渡しされたということです。

先ほど、お金が受け渡しされた時には「渡す側ではお金が減り、受け取る側ではお金が増える」と言いましたよね。

この原則を適用すれば、日銀が保有するお金は0円から-10000円に減り、私が保有するお金は0円から+10000円に増えたことになります。

お金が受け渡しされた後も、その総量は -10000 + 10000 = 0 ですね。

お金が発行される時にも単に受け渡しをするだけ、と考える限り、お金の総量は増減しないわけです。

 

お金は「保有」と「受け渡し」しかされない

お金の発行についても「お金の受け渡し」という概念に含めて考えることが出来ると分かりました。

そうすると、お金というものは保有と受け渡ししか出来ないのではないでしょうか?

ちょっと考えてみても、保有と受け渡し以外にお金を○○するということは無いように思えます。

「お金は捨てることも出来るじゃないか」と言われるかも知れません。

たしかに、札束をバッグに詰めて竹やぶに捨てることは可能です。

しかしそれは、いずれそれを発見する誰かに渡したのだと言えます。

「お金を燃やしてしまえば消滅するぞ」と言われるかも知れません。

たしかに、共通認識としてのお金が現実世界に紙幣の形で表現されていれば、それを燃やして灰をグシャグシャにすれば消えてしまいます。*9

それは、共通認識としてのお金を持っていることの証拠を失ってしまったので、本当はお金を持っているけれど使うことが出来なくなったのだと考えることにしましょう。

そうするとやはり、お金というものは保有と受け渡ししか出来ないようです。

保有によっても受け渡しによってもお金の量は増減しませんから、お金の総量は常に一定です。

 

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日銀券というお金の総量は常にゼロである

先ほど、日銀が1万円札を発行して私に渡してもお金の総量はゼロのままだという話をしました。

これは、日銀がどれだけ日銀券を発行しても同じことです。

日銀の外にある紙幣(日銀券)の総額がX円だとすれば、日銀が保有する紙幣としてのお金の残高は-X円なのであり、それらを合計した総量は常に0となります。

 

硬貨というお金の総量も常にゼロである

政府が発行する硬貨についても同様のことが言えます。

政府の外にある硬貨の総額がY円だとすれば、それは政府が政府の外の経済主体に総額Y円を渡したということであり、この時政府が保有する硬貨としてのお金の残高は-Y円なのだと考えることが出来ます。

当然、それらを合計した総量は常に0です。

 

預金というお金の総量も常にゼロである

銀行の帳簿上の数字である預金は、共通認識としてのお金が現実世界において表現されたものです。

この数字を銀行は書き換えることが出来ますので、銀行は預金通貨というお金を発行できるということです。

その総量はどうなるでしょう?

仮に、世の中の経済主体がA銀行と私の2つだけだったとします。

そして、まだお金が存在しない状態を考えれば、お金の総量は0です。

今、A銀行が私の通帳に10000と記帳しました。

A銀行から私に10000円分のお金が渡されたということです。

この時、A銀行が保有するお金は0円から-10000円に減り、私が保有するお金は0円から+10000円に増えたことになります。

やはりお金の総量は変わらずゼロですね。

これは、A銀行がどれだけ預金というお金を発行しても同じことであり、またA銀行の他に銀行がどれだけあっても同じことです。

預金というお金の総量は常に0だと言えます。

 

お金の保有残高がマイナスの場合、BS上で負債として表現される(ことが多い)

日銀が保有する現金(紙幣)の量が-X円だということは、日銀が発行した日銀券の発行残高がX円だということです。

日銀券の発行残高は、日銀のBS上で「発行銀行券」という形で負債として計上されていますよね。

また、ある銀行が保有する預金通貨の残高(-Z円)も、その銀行が発行した預金通貨の発行残高(Z円)であり、その銀行のBS上で「預金」という形で負債として計上されています。

お金の保有残高がマイナスであることを負債(=債務)として表現している場合、プラスの残高でお金を保有している人にとってそれは(債務としている経済主体に対する)債権だと言えますから、お金は「債権と債務の記録である」と言って良さそうです。

ようやく、一番最初に出てきた「お金とは債権と債務の記録である」というお金の定義に到達できました。

しかし、マイナスのお金は必ず負債として表現されているわけではありません。

たとえば政府が発行する硬貨の場合は、政府のBS上で負債として計上されていませんので、これは例外です。

また、ビットコインの場合は採掘(マイニング)した経済主体が発行したと言えますが、その経済主体の負債としては表現されませんので、これも例外です。

「お金とは債権と債務の記録である」というのは完璧な定義とは言えないようです。

 

まとめ

ここまでをまとめます。

  • お金とは、経済主体が保有してお互いに受け渡しをする何かであり、その量は単位と数字によって表される
  • お金とは、各経済主体の保有量が人々に共通認識されている何かである*10
  • 共通認識としてのお金は、現実世界において何らかの形で表現されている*11
  • お金は「保有」と「受け渡し」しかされず、総量が増減することはない
  • お金の保有残高をマイナスにしてお金を渡すことが出来る経済主体(=お金の発行者)が存在する
  • お金の総量は、全ての経済主体の保有量を合計する限り常にゼロである

いかがでしょう。

お金というもの、それ自体の本質にかなり近づくことが出来たのではないでしょうか。

以上のことを頭に入れた上で信用貨幣論信用創造の説明を読めば、より理解が深まることと思います。

次回、一般的に言われるお金の総量(マネタリーベースやマネーストック)について考えます。

 

whatsmoney.hateblo.jp

*1:もっと言えば、価値の尺度機能というのはお金そのものの利用法ですらなく、お金の単位の利用法です。

*2:MMTerは「統合政府に貸しているのだ」と言うかも知れませんが、それもちょっとスッキリしません。1万円札は対政府では納税にしか使えないからです。カツアゲに備えて準備していることを「貸しがある」と言うべきなのでしょうか?

*3:ここで言う「増減しない」とは、そのお金の単位で計った数字が増減しないということです。単位それ自体の量は増減するかも知れません。

*4:3人や2人の場合もあります。

*5:Excelのような表計算ソフトで管理すればより簡単でしょう。

*6:フィクション(=虚構)という言葉にはウソというニュアンスがありますが、お金はウソではありません。国家や企業もお金と同様にフィクションですがウソではありません。ここで言う「ウソではない」は、「仮に信じていなくても、人間の生活に現実に、直接的に影響する」ぐらいの意味です。所有というものも、フィクションですがウソではありません。

*7:もちろん、外国人が円を保有してればその人も含めた共通認識です。

*8:ビットコインの場合、お金の受け渡し記録がブロックチェーンと呼ばれる台帳に記入されており、各自が今持っている残高を証明できるようになっています。

*9:燃やしてしまっても紙幣の灰であると確認できれば日銀で交換してもらうことも出来ます。

*10:本当に全経済主体の保有量を共通認識として(人間の頭の中だけで)確認・維持することは実際には不可能であり、様々な表現手段を用いることで各経済主体の保有量が認識されます。

*11:紙幣、硬貨、通帳の数字、BS上の債務など。