植松被告人との対話① 経済とは何か
「意思疎通のとれない方々は安楽死させるべきだと思います」*1
「……。なぜ、そう思うの?」
「意思疎通のとれない方々は様々な不幸の源になっているからです」
「ふむ。何がどう、不幸の源になっているのかな」
「簡単に言いますと、人に迷惑をかけ、物資や食糧、マンパワーを社会から奪ってしまっているということです」
「たしかに、そういう面はあるかも知れないね。だから、死んでもらった方がいいと?」
「そうです」
「そういう人たちも、社会全体で養ってあげようとは思わない?」
「そんなことしても無駄でしょう。無駄どころか、不幸の元凶だと言ってるんですよ」
「ふーむ。でも、家族の人が不幸だと思うかどうかは、君が決めることじゃないんじゃない?」
「不幸に決まってますよ」
「じゃあ、君が殺した人達の家族は、君に対して『殺してくれてありがとう』と思ってると思う?」
「……。少なくとも、楽にはなったはずです」
「君を恨む気持ちは無いと思う?」
「……恨む気持ちもあるかも知れませんけど、感謝している部分もあるはずですよ。口には出さないでしょうけど」
「うーん。そういう面が全く無いとも言い切れない、かも知れないね」
「そうでしょう」
「でも、恨む気持ちもあるんだとしたら、死なせることが絶対に正しいとは言えないよね」
「正しいか正しくないかで言えば、現状では正しくないのでしょう。でも、社会全体のことを考えれば、そういう方々には居なくなってもらった方がいいはずですよ」
「社会全体、ねぇ……」
「日本は社会保障を充実させていって1000兆円もの借金を抱えることになったんですよ。あなたはそれをどう思いますか?」
「……まず訂正しておくけど、借金をしているのは日本じゃなくて日本の政府だよ」
「同じことでしょう」
「うーん……」
「改めて聞きますが、社会保障に多額のお金をかけてる現実をあなたはどう思うんですか?」
「私自身は、それが問題だとは思ってないよ」
「なんでですか! 借金が1000兆円もあるんですよ?」
「日本の政府は借金が1000兆円もあるから、財政が破綻する寸前だと言いたいのかな?」
「そうでしょう」
「なるほど。だから君は、強い危機意識を持っているわけだね。破綻を避けるためには、少しでも“無駄”を無くさないといけないと考えているわけだ」
「違いますか?」
「君と同じように、政府の多額の借金を問題視して、財政破綻を心配している人は世の中にたくさんいる」
「そうでしょう」
「しかし、その認識は正しくない、と言わなければならない」
「なんでですか」
「これをきちんと説明しようとすると、少しばかり話が長くなってしまう。日銀はいくらでもお金を印刷できるから、それで借金を返せばいい、という説明では納得してくれないだろう」
「当たり前ですよ。そんなことをしても借金を返したことにはなりません」
「君の問題意識はまっとうなものだと思うよ。だから私は、君の問題意識に真摯に向き合って、誠実に説明をしたいと思う。ついてきてくれるかな?」
「望むところですよ」
「まず、そもそも経済とは何なのかというところから考えよう」
「そこからですか。本当に長くなりそうですね」
「ちょっとだけね。経済とは何かを考えたら、次にお金とは何か、借金とは何かを考えて、最後に政府の借金とは何かを考えるよ」
「分かりました。聞きましょう」
「まず経済とは何か。経済というのは要するに、コミュニティの中でモノやサービスを生産して、皆で分配して、消費することだ」
「まぁ、そうでしょうね」
「ここで重要なことは、経済の主役はモノやサービス、つまり生産物であって、お金が主役なのではないということだ」
「ふむ」
「私たちが経済を考える時、ついお金を中心に考えてしまいがちなんだけどね。経済はお金ではなく生産物で考えるべきなんだ」
「でも、お金が無ければ経済も成り立たないでしょう」
「そんなことはないよ。小さなコミュニティであれば、お金が無くても成り立つ経済はあり得る」
「どんな風に?」
「たとえば、20世帯からなる小さな集落があったとして、若い男たちが協力して狩りをする。猪や鹿などをしとめて、働き手が居ない世帯も含めてみんなで獲物を分配して、消費する。これも立派な経済だ」
「なるほど」
「要するに、働ける人が皆で生産して、生産された全ての生産物を、働けない人も含めて皆で分配して、それぞれが消費する。これが経済というものだ」
「働かない人にも分配されるのはおかしいと思いますけど」
「子供たちとか、病気や怪我で働けない人にも、食べ物など必要なモノは分配されるべきだろう」
「それは、まぁ」
「ここで、生産物プールというものがあると考えてみよう」
「生産物プール?」
「生産されたモノやサービスを入れる、架空の倉庫のようなものだ」
「倉庫ですか」
「生産物を作った人は、その生産物を全て生産物プールに投げ入れる。その生産物はプールから取り出されて別の誰かが受け取る」
「ほう」
「生産物をプールに投げ入れられるのは、その生産物を受け取る人がいる場合だけだとしよう」
「……と言うと?」
「たとえば私が流木を拾って仏像を作ったとしよう。この仏像を誰も買ってくれなかったとしたら、それは仏像を生産物プールに投げ入れることが出来なかったということだと解釈する」
「ふーむ……」
「また、労働それ自体も生産物と考えることにしよう*2」
「ほう」
「たとえば私が来月1ヶ月働きます、と言っても誰も雇ってくれなかった場合、それは私が1ヶ月分の労働を生産物プールに投げ入れることが出来なかったということだと解釈する」
「ふむ。労働を受け取った人はどうするんです?」
「たとえばパン工場の経営者の場合、プールから小麦粉などの原料を受け取り、従業員の労働を受け取り、それらを組み合わせてパンを生産し、生産したパンをプールに投げ入れる」
「なるほど。そのパンは誰かに受け取られるわけですね」
「そう。このように考えると、生産物プールに投げ入れた生産物は必ず誰かに受け取られるよね」
「そりゃ、さっきそういう風に“投げ入れる”を定義したんだから当たり前ですよ」
「その通り。鋭いね。そうすると、ある期間にプールに投げ入れられた生産物の総量と、プールから取り出されて受け取られた生産物の総量は一致するでしょ」
「投げ入れたらすぐに受け取られるんですから、それも当たり前ですね」
「うん。たとえば、2017年の日本の経済を考えよう。貿易が無いものとすれば、2017年の一年間に日本の生産物プールに投げ入れられた生産物の総量は、同じ一年間に日本に住んでいる人に分配された生産物の総量と一致する」
「分かります。貿易を考えたらどうなりますか?」
「貿易は、海外の生産物を日本の生産物プールに入れる代わりに、日本の生産物の一部をプールから出して海外に出すということだ」
「そうですね」
「輸入した生産物の量と輸出した生産物の量が一致するなら、日本人*3が生産物プールに投げ入れた生産物の量と、日本人に分配された生産物の総量も一致している」
「でも、輸入と輸出は一致しませんよね」
「そうだね。2017年は貿易黒字だから、輸出の方が多かった」
「だとすると……?」
「日本人が生産物プールに入れた生産物の総量よりも、受け取った生産物の総量の方が少なかったということだ。余った生産物は海外に出して、日本はその分だけ海外に“貸し”を作ったことになる」
「なるほど」
「つまり、生産物で見る限り、2017年の日本経済はきちんと成立している。それどころか外国に対する貸しを増やしている」
「ふむ」
「震災の影響もあって2011年から2015年までは貿易赤字だったけど、基本的には日本は貿易黒字国だよね」
「そうですね」
「つまり私たちは、毎年の生産物の帳尻をちゃんと合わせて、毎年の経済をきちんと成立させながら、未来に向かって進んでいるんだ」
「なるほど……」
「もちろん、何も問題が無いわけじゃないよ。労働をプールに投げ入れることが出来ない人もいる。受け取るべき人が生産物が十分に受け取れないこともある。生産物の取り分があまりにも多すぎる人もいる」
「ふむ」
「でも、全体としては日本の経済はちゃんと成立しているんだよ。毎年毎年ちゃんとね」
「……」
「2018年は生産物が足りないから、百年後の日本人に余計に生産してもらって2018年に送らせよう、などということは無い」
「それはそうですね」
「2018年の経済は今生きている私たちが成立させるし、未来の経済はその時生きている日本人が成立させる。私たちが未来の日本人に何か負担をお願いするようなことは無いんだ」
「……でも、政府には1000兆円の借金がありますよ。これは破綻する可能性が高いでしょう」
「順番にいこう。次はお金とは何か、そして借金とは何か、最後に政府の借金とは何かだ」
「ふーむ……」