経済学を疑え!

お金とは一体何なのか?学校で教えられる経済学にウソは無いのか?真実をとことん追求するブログです。

通説とは違うお金の起源 (by Heske van Doornen)

今回の記事は、Heske van Doornen という人の書いた The History of Money: Not What You Think というブログ記事を和訳したものです。

とても分かりやすい文章で、お金がどのようにして出来たのかについて、新たな視点を与えてくれます。

誤訳等ありましたらコメントなどで教えてください。

 


 

私たちのほとんどは、どのようにしてお金が出来たのかについて、ある考えを持っています。それはこんな具合です。

 人々はモノを他のモノと交換したかった。

 しかし、調整することが難しかった。

 そこで、彼らはモノをお金と交換し、そしてお金をモノを交換することを始めた。

これは、お金が交換の媒介物であるということです。

素晴らしい、そして単純な物語です。

問題は、これが真実ではないかも知れないということ。

私たちはお金を完全に間違って理解しているのかも知れません。

 

この物語には仮定があります。

まず最初に市場があり、その次に、市場をより良く機能させるためにお金が導入された、という仮定です。

しかし、この話を信じることは難しい、という人々がいます。

貨幣国定説(訳注:この文章で説明しているようなお金についての考え方)を教える学校に同意する人々は、これとは異なる歴史を示します。

彼らは、お金は市場で使われる前に、原始的な刑事司法制度の中で使用されたと言います。

お金は負債の記録として始まり、そして今もなお、負債の記録です。

それは、ある人が別の人に何を負っている(借りている)のかを、見失わないようにする方法なのです。

この考え方を支持する人類学的な証拠があります。

イニス(Innes)の研究、そしてレイ(Wray)によれば、お金の起源は以下のようなものです。

 

市場が出来る前の封建的な社会では通常、共同体の中で正義を維持するためのシステムがありました。

誰かが罪を犯した場合、権威(お上)(以下、王と呼びます)は、罪人は犠牲者に罰金を負うと決定するでしょう。

罰金は罪によって、雌牛1頭だったり、羊1匹だったり、鶏3羽だったりしました。

その雌牛が提供されるまで、罪人は犠牲者に対し債務があることになります。

王は罪人の未済の債務を記録するでしょう。

 

このシステムは時間とともに変わりました。

犠牲者に罰金を払うのではなく、罪人は、王に罰金を払うことを命じられました。

このようにして、資源は王の元に移動されていました。王は共同体の利益のために、資源の使用を全体として調整することができます。

これは王、そして社会の発展に役立ちました。

しかし、あちこちの罪人から来る資源の量は、あまり多くありませんでした。

王国により多くの資源を引き出すため、システムを拡張しなければなりませんでした。

 

システムを拡張するために、王は、彼自身の負債の記録を作成しました。

これは“王の借用証書”と呼ばれる紙切れだと考えてください。

次に、王は市民のところに行き、王が望む資源を王に与えることを要求しました。

もし市民が王に彼らの雌牛を与えれば、王は市民に彼の“王の借用証書”を与えるのです。

ここで、雌牛は1枚の紙切れより有用に見えますから、市民がこれに同意することは馬鹿げているように見えます。

しかし、王は解決策を考えました。

誰でも彼の“王の借用証書”を欲しがることを確実にするために、彼はその使い道を作りました。

 

王は、すべての市民が時々、王国に協力を申し出なければならないことを宣言したのです。

それぞれの市民は大いに困ったでしょう。もし彼らが、王がまだ彼らに借りがあることを示した小さな紙切れを提供できれば良いのですが。

その場合には、王はその市民を放免し、王はもはや彼に借りがなくなります。

その市民は自由の身となり、次回も安全であることを確実にするために、より多くの“王の借用証書”を獲得するでしょう。

このようにして、全ての市民は面倒なことを避けるために“王の借用証書”を必要としたのです。

こうして、“王の借用証書”は広く受け取られるようになり、そしてその結果として、有用な交換の媒介物となったのです。

これが市場の拡大をもたらしました。

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これと同じパターンを、より最近の歴史の中に見いだすことができます。

マシュー・フォーステーター(Matthew Forstater)とファーリィ・グルッブ(Farley Grubb)は、ヨーロッパの植民者が新世界に着いた時、彼らが地元住民を働かせたかったことを知ります。

しかし、彼らが地元住民に賃金のために働くよう呼びかけた時、硬貨を見たことが無かった地元住民には、意味が理解できませんでした。

そこで、ヨーロッパ人は次のことを決めました。全ての小屋(訳注:地元住民の家)は、面倒なことを避けるためには、彼らにある量の硬貨を時々払わなければならない、と。

すると、権威に税金を払えることを確実にするには、賃金のために働くことは良い考えのように思えたのです。

 

その時から、それほど多くは変わっていません。

お金は今でも、負債の記録、あるいは借用証書(IOU)として理解することができます。

米国では、私たちはドルを持っています。

ドルは我々の世界で王にあたるもの、すなわち政府によって作成されます。

私たちは、ドルを“米政府の借用証書”という紙切れだと理解することができます。

ちょうど私たちの話に出てくる王が資源に対する支払いに“王の借用証書”を使うように、米国政府は市民が提供するモノに対する支払いにドルを使うのです。

雌牛ではなく、米国の市民達は道路を提供し、報酬として政府からドルを受け取るかもしれません。

これは、今や彼らは道路を作ったので、政府は彼らに借りがあるということを意味します。

これは彼ら市民にとって良いことです。なぜなら、納税期日になった時、それこそが彼らが必要とするものだからです。

彼らは政府に彼らのドル(それは政府が彼らにまだ借りがあることを示す)を提供します。

そしてそれと引き替えに、政府は彼らを刑務所に入れないのです。

 

文とイラスト: Heske van Doornen