銀行券発行の本質を考える
はじめに
私が昨年の10月に書いた記事に、ある読者さん(通りすがりさん)からコメントを頂きました。
私は日銀券発行の仕訳は「現金/発行銀行券」だと書いているのですが、この仕訳は間違いではないかというものです。
確かに、日銀の会計では日銀券は当座預金の引き出し時に発行され、その仕訳は「日銀当座預金/発行銀行券」というものです。
このことについて、私は
現金/発行銀行券 …①
日銀当座預金/現金 …②
上記①が日銀券発行の純粋な仕訳、②が日銀当座預金から現金が引き出された仕訳であり、これら2つの仕訳を合計したものが
日銀当座預金/発行銀行券 …③
という仕訳なのだ、と説明しています。
通りすがりさんの主張は、①のような仕訳は有り得ない、③の仕訳が全てだというもの。
その主な理由は、日銀BSの資産側にある現金は紙幣ではなく硬貨なのだから、一瞬でも日銀券を現金として資産側(仕訳の借方)に書くことは許されない、というものでした。
確かに、日銀BSの現金が硬貨(支払元貨幣)であることに間違いは無いのですが…。
今回の記事の目的は、第一に、私が①の仕訳が純粋な日銀券(銀行券)発行の仕訳であると考える理由を整理し、筋道立てて説明して通りすがりさんに理解してもらうことです。
そして第二に、その過程で「銀行券の発行とは何か」ということを改めて考えることです。
私が言っていることが正しいのだ、と通りすがりさんを説得することが目的ではありません。
あくまで、私が何を言わんとしているのかを分かってもらうことが第一の目的です。
(ブログのコメント欄でそれを試みましたがうまくいきませんでした)
日銀会計
日銀が実際に行っている会計の手法やルールのことを日銀会計と呼ぶことにしましょう。
日銀会計では、銀行券が発行されるタイミングは当座預金から銀行券が引き出される瞬間です。
日銀の金庫にある時点では紙切れにすぎなかった日銀券が、銀行の手元に来た時点では現金になっています。
日銀が紙切れを現金に変えたのでしょうか?
それとも銀行券が日銀の外に出ると自動的に現金に変わるのでしょうか?
それは今のところ、まだ良く分かりません。
一般中銀会計
日銀会計では、銀行券発行のタイミングを当座預金の引き出し時に限定しています。
それに対し、発行タイミングを当座預金の引き出し時に限定しない、つまり好きなタイミングで発行できるような中央銀行の会計を考えてみましょう。
そのような中央銀行を持つ国として、A国、B国の2つの国があるものとします。
A、B両国の中央銀行の会計ルールは、銀行券の発行タイミング以外は基本的に日銀会計と同じです。
A国の中央銀行とB国の中央銀行では、銀行券発行の手順が少し違っているのですが、会計ルールとしては同じルールで良いことが後に分かります。
この会計ルールを、日銀会計に対して「一般中銀会計」と呼ぶことにしましょう。
現時点では、日銀会計と一般中銀会計は別物として扱いますが、この後の考察の中で「実は日銀会計も一般中銀会計の一種なのだ」と示すことを目指します。
なぜかと言えば、日銀会計も一般中銀会計の一種だと判明すれば、銀行券発行の仕訳も双方で同じであるはずだからです。
A国中央銀行の銀行券発行
A国の中央銀行は、厳密に銀行券の発行を管理しています。
どういうことかと言うと、具体的には、発行した銀行券の通し番号を全て台帳に記録するのです。
この台帳を発行台帳と呼ぶことにしましょう。
印刷されただけの銀行券が紙切れであることは日銀会計と同じですが、通し番号が発行台帳に記載された時点で、その銀行券は晴れて現金と認められるのです。
ですから、中央銀行の金庫にある紙幣は、その通し番号が発行台帳に記載されているか否かで、未発行の紙切れなのか、発行済みの現金なのかが決まります。
これは、銀行券が中央銀行の外にあったとしても同じことで、ある銀行券の通し番号が発行台帳に載っていなければ、それはお金ではなく未発行の紙切れだということになります。
当座預金が引き出される時は、もちろん発行済みの現金が渡されますから、中央銀行の外にある紙幣が未発行の紙切れなどということは通常起こり得ません。
未発行の紙幣が中央銀行の外で見つかったら、それは中央銀行の金庫から盗み出されたものだ、ということになります。
これは偽札と同様に回収され、警察が流通経路を調べることになるでしょう。
それはさておき、A国中央銀行が銀行券を発行した時の仕訳はどうなるでしょうか。
紙切れが現金になって中央銀行の手持ち資産になるのですから、左側(借方)は「現金」となります。
右側(貸方)をどうするかは、これもきちんと考えると難しいのですが、日銀会計と同様に「発行銀行券」として、銀行券の発行残高を増やすことにしましょう。
発行銀行券(という単なる金額)の総額が、その時点での銀行券の発行残高ということになりますが、これは、発行台帳に記載されている銀行券の額面を合計したもの、ということです。
では、当座預金から現金が引き出される時の仕訳はどうなるでしょうか。
中央銀行から銀行に渡す現金は、もちろん発行済みの銀行券を渡すのですから、その仕訳は
当座預金/現金
となりますね。
日銀会計と違い、引き出し時には銀行券を発行しません。
もちろん、発行済みの銀行券が足りなければ、その場で発行台帳に通し番号を記載して銀行券を発行することになるでしょう。
A国の中央銀行にとって銀行券の発行とは、通し番号を発行台帳に記載することなのだと言えます。
銀行券の還収
発行済みの銀行券を未発行の紙切れに戻すことを、銀行券の還収と言います。
A国の場合その手続きは、還収したい銀行券の通し番号を発行台帳から消すことになります。
どんな時に還収するかと言うと、中央銀行に戻ってきた紙幣が汚れていたり痛んでいて廃棄する場合に、還収して一旦紙切れに戻してから実際に廃棄します。
還収の仕訳は発行とは左右が逆で、以下のようになります。
発行銀行券/現金
B国中央銀行の銀行券発行
B国の中央銀行では、A国中央銀行ほど厳密な管理はしていません。
通し番号を台帳に記載するようなことは省略し、銀行券を保管する場所を変えることで銀行券の発行を管理するのです。
どういうことかと言うと、具体的には以下の通り。
印刷されただけの銀行券は、まず未発行銀行券管理室(未発券室)という部屋に入れられます。
そして、現金にすることにした紙幣は、発行済み現金管理室(現金室)に移動します。
つまり、未発券室に入っている銀行券は紙切れであり、現金室に入っている銀行券は現金として扱うということです。
未発券室の銀行券が盗み出された場合、それは“本当は”現金ではなく紙切れなのですが、それは誰にも分かりません。
「この銀行券はどうも怪しい」ということになっても、中央銀行で通し番号を控えていないので決定的な証拠は無く、強制的に回収するわけにもいかないでしょうね。
しかし、中央銀行から銀行券が盗まれることが無いよう厳重に管理していれば、特に問題は起きないでしょう。
B国の中央銀行にとっては、銀行券を未発券室から現金室に移動することが、銀行券の発行だと言えます。
銀行券発行の仕訳はどうなるでしょうか。
A国の場合と同様、紙切れ(扱いの銀行券)を現金(扱いの銀行券)に変えるのですから、その仕訳はA国と同じで
現金/発行銀行券
となるでしょう。
当座預金引き出しの仕訳も、A国と同じで
当座預金/現金
となります。
A国とB国の中央銀行では、銀行券発行の手順が少し違うだけで、会計ルールとしては何も変わらないのです。
A国の発行台帳は仕訳でも財務諸表でもありませんから。
これが、前述した「一般中銀会計」です。
B国中銀での銀行券の還収
B国中銀で銀行券を還収する場合、その手続きは銀行券を現金室から未発券室に移動することです。
その仕訳はA国中銀と同様、
発行銀行券/現金
となります。
一般中銀会計での中央銀行のバランスシート
A国・B国中央銀行のバランスシートはおおよそ、以下のような形になっています。
日銀のバランスシートでは現金と言えば硬貨(支払元貨幣)のことであり現金としての紙幣は無いのに対し、A国・B国の中銀BSでは、硬貨の他に「発行済み紙幣」があることが特徴です。
当座預金が引き出される際には資産の現金が減るのですが、紙幣で引き出される場合は発行済み紙幣が減り、硬貨で引き出される場合は支払元貨幣が減るという具合です。
B国中銀の会計の変遷
B国中銀では銀行券を前もって発行して現金を手持ちしていましたが、ある年から、手持ちの現金紙幣はゼロにすることにして、当座預金の引き出しと同時に発行することになりました。
現金が当座預金に預け入れられた場合には、同時に還収します。
そうすることにより、手持ちの現金紙幣を常にゼロにキープできることになります。
この変更は、B国中銀が一般中銀会計を離脱することを意味しません。
一般中銀会計では「いつでも好きな時に」銀行券を発行できるのですから、引き出しと同時に発行することにしても、一般中銀会計であることに変わりはないからです。
引き出し時の手続きは、未発券室から紙幣を出し、いったん現金室に入れてから窓口に持って行き、銀行の担当者に現金を渡す、という形になりました。
発行の仕訳は変わらず、
現金/発行銀行券 …①
であり、当座預金の引き出しの仕訳も変わらず
当座預金/現金 …②
です。
しばらくして、①と②は金額が同じなのだから足し合わせれば
当座預金/発行銀行券 …③
という仕訳にできることをある職員が発見しました。
③の仕訳を使う方が簡単だということになり、それ以降は③の仕訳で処理されることになりました。
またしばらくして、引き出しの時に銀行券を現金室にいったん入れるのは面倒だ、という話になりました。
皆で話し合って、現金室は廃止し、未発券室の外の廊下を現金室扱いすることになりました。
こうすることで、未発券室から銀行券を出すだけで発行が出来るからです。
毎期発表しているバランスシートにも変化がありました。
数年間は、現金欄に発行済み紙幣を記載していたのですが、常にゼロなので無くてもいいだろうということになり、削除されました。
現金イコール支払元貨幣となるため、バランスシートからは支払元貨幣という文言も消え、注釈で「現金は支払元貨幣のこと」と記載されるようになりました。
さらにしばらくすると、現金室に銀行券を入れると発行したことになることや、未発券室の外の廊下が現金室扱いだということを覚えている職員は一人もいなくなってしまいました。
B国中銀の会計と日銀会計
ここに至って、B国中銀の会計と日銀会計は、見た目上まったく区別がつかなくなりました。
どちらでも、当座預金の引き出し時に日銀券が発行され、その仕訳は「当座預金/発行銀行券」です。
また、どちらでもバランスシートの現金は硬貨を意味し、現金としての紙幣は保有していません。
B国中銀の会計と日銀会計は、同じだと言っていいのではないでしょうか?
同じだとすれば、日銀会計も一般中銀会計の一種だったということです。
日銀会計でも、純粋な銀行券発行の仕訳は「現金/発行銀行券」だということになります。
違うとすれば、何が違うのでしょうか。
歴史的な経緯が違う?
過ぎ去った過去の経緯が違うことによって、現在の会計の仕訳が変わるなどということがあるのでしょうか。
現在のB国中銀と日銀は、会計上まったく同じことをしているのに?
通りすがりさんがB国に生まれたら
中銀会計の変遷があった後のB国に、通りすがりさんが生まれたとしましょう。
昔の経緯のことは誰からも知らされないまま、B国中銀の会計について調べます。
文献を調べ、当座預金を引き出した時に銀行券が発行されること、またその仕訳は「当座預金/発行銀行券」であることを知ります。
さらに、中銀BSの現金が硬貨のことであり、現金としての紙幣は持っていないことを知ります。
そうしたら、通りすがりさんは今と同様のことを考えるのではないでしょうか。
曰く、「現金としての紙幣が一瞬でも資産に載ってはならない」「現金/発行銀行券などという仕訳は無い」と。
銀行券発行の本質
銀行券発行の本質とは何でしょうか。
A国中銀では、通し番号を発行台帳に記載することが銀行券の発行でした。
B国中銀では、現金室に銀行券を入れることが銀行券の発行でした。
最後には何が銀行券の発行なのか、分からなくなってしまいましたが……。
結局のところ、中央銀行が「この銀行券はお金である」と公式に認めることこそが銀行券の発行なのではないか、というのが私の考えです。
日銀も、未発行の銀行券を金庫から出してきて、「この銀行券はお金である」と公式に認めた上で渡しているのだ、と考えることができるでしょう。
中央銀行の外に出ると自然に現金に変わってしまうわけではなく、やはり中央銀行が主体的に紙切れを現金に変えているのです。