なぜ、齊藤誠教授による日銀バランスシート解釈が有害なのか?
はじめに
一橋大学の経済学教授である齊藤誠氏が「なぜ、無制限の金融緩和が私たちの経済社会にとって有害なのか?」という文章を書いていますが、ここに書かれている日銀バランスシート(以下、日銀BS)の解釈は間違っています。
日銀BSは大ざっぱに言えば、資産側(左側)に国債、負債側(右側)に発行銀行券と日銀当座預金がありますが、この日銀BSに対する齊藤解釈は以下のようなものです。
- 発行銀行券は日銀が日銀券を発行したことで調達したお金
- 日銀当座預金は銀行から日銀券を預かったことで調達したお金
- 日銀が自らの意志で調達できるのは発行銀行券の部分だけ
何が間違っているのかと言うと、日銀が自ら作り出せるお金は日銀券だけだという考え方が間違っているのです。
以下の文章で説明していきますが、日銀は日銀券を発行できるのと全く同様に、日銀当座預金を「発行」することができます。
日銀当座預金も日銀券と同様に、日銀が自ら作り出すことのできるお金なのです。
齊藤誠氏はこれを理解しておらず、間違った解釈を前提にして理論を構築し、文章を新聞やネットニュースなどに掲載しています。
齊藤誠氏が無名な人であれば問題も少ないのですが、マクロ経済学の教授としてとても大きな発言力や影響力を持っているため、間違った前提に基づいた文章をばらまいていることは非常に有害だと言わざるを得ません。
預金証書のアナロジー(たとえ話)
仮に、銀行が日銀当座預金に日銀券を預け入れた時に、同額の預金証書が発行されて銀行に渡されるものと考えてみましょう。
たとえば、1億円の日銀券を預け入れたら、代わりに1億円分の預金証書を銀行が受け取ります。
これは、額面が1億円の預金証書が1枚と考えてもいいですし、額面1万円の預金証書が1万枚と考えても構いませんが、とにかく総額で1億円分です。
この預金証書は銀行にとってお金であり、日銀券と同様に銀行間の決済に使えます。
例えば、A銀行がB銀行に1億円を支払う必要がある時、A銀行は1億円分の預金証書をB銀行に渡すことで決済できます。
これは実際には、A銀行の日銀当座預金残高を1億円分減らし、B銀行の残高を1億円分増やすことに相当します。
このような預金証書のアナロジーを使うことによって、日銀当座預金というものが、銀行の手元にあって銀行が自由に使えるお金であることがはっきりします。
当たり前ですが、日銀当座預金という「お金」は銀行が持っているのであって日銀が持っているのではありません。
しかし、日銀当座預金は日銀の帳簿上の数字にすぎないので、誰が持っているのかが分からなくなってしまう人もいるようです。
(大学でマクロ経済学を教えているような人でもです!)
繰り返しになりますが、日銀当座預金という「お金」は銀行の手元にあり、銀行が好きな時に自由に使うことができます。
日銀に預け入れて日銀に拘束されているわけではないのです。
当座預金の引き出し
銀行は、預金証書を日銀に持って行って日銀券と交換してもらうことができます。
これは当座預金からの引き出しに相当します。
日銀は預金証書を受け取ると、日銀券を金庫から持ってきて銀行に渡します。
日銀の金庫にある日銀券は紙切れ扱いですから、この時に紙切れから現金に変わるのです。
この時点で、日銀券が発行されたことになります。
日銀のBS上では、負債の発行銀行券の金額がその分だけ増加します。
一方で、この時に日銀が受け取った預金証書は、ただの紙切れに変わります。
この預金証書は捨ててしまって構いません。
実際には、当座預金の数字を減らすことで、お金を消滅させます。
結局、日銀のBSでは発行銀行券が増加して当座預金が減少するので、トータルするとお金の量は変わりません。
当座預金の引き出しによってマネタリーベースは増減しないということです。
そして、当座預金の引き出しは日銀にとって「預金証書というお金」を「日銀券というお金」に交換するだけのことなのです。
どちらのお金も、日銀が発行したお金です。
当座預金への預け入れ
当座預金への預け入れは、引き出しのちょうど逆になります。
銀行は、日銀券を日銀に持って行って預金証書と交換してもらうことができます。
これは当座預金への預け入れに相当します。
日銀は日銀券を受け取ると、預金証書を発行して銀行に渡します。
この時、預金証書というお金が生まれたということです。
実際には、当座預金の残高をその分だけ増やすことになります。
一方で、受け取った日銀券は金庫に入れられます。
この時、日銀券はただの紙切れに変わります。
この日銀券は捨ててしまっても構いません。
(捨てたりせずに大部分を再利用するのは、単に紙資源や印刷の手間がもったいないからです)
実際には、日銀のBS上で負債の発行銀行券の金額がその分だけ減少します。
結局、日銀のBSでは当座預金が増加して発行銀行券が減少するので、トータルするとお金の量は変わりません。
当座預金への預け入れによってマネタリーベースは増減しないということです。
そして、当座預金への預け入れは日銀にとって「日銀券というお金」を「預金証書というお金」に交換するだけのことなのです。
どちらのお金も、日銀が発行したお金です。
日銀は預金証書の発行で資産を買える
日銀が国債などの資産を買う時には、日銀券というお金を発行して買うことができます。
そして全く同様に、預金証書というお金を発行して買うこともできるのです。
つまり、A銀行が持っている国債を買う場合には、A銀行の日銀当座預金の残高を単純に増やすことで買うことができるわけです。
数字を増やすだけで資産を買えると言われると変だと思うかも知れません。
しかし銀行にとっては、日銀が発行する預金証書(当座預金の数字)はいつでも日銀券と交換できる「日銀券交換券」であり、そのままでも日銀券と全く同じように使えるお金なのですから、何の問題も無いのです。
そして実際に日銀が資産を買う時にどうしているかというと、当座預金の残高を増やすことで買っているのです。
(日銀券で買う場合、日銀券をトラックに積んで銀行に運ばなくてはなりません)
再度、日銀当座預金への預け入れとは何か
上記の説明で既にお分かりかとは思いますが、銀行による当座預金への日銀券の預け入れとは何かをもう一度説明しておきます。
銀行が日銀券を当座預金に預け入れた時、銀行はお金を一時的に手放したのではありません。
当座預金というお金が依然として銀行の手元にあり、銀行はこれをいつでも自由に使えるのです。
日銀が銀行から日銀券の預け入れを受けた時、日銀は何か意味のある経済的資源を手に入れたのではありません。
日銀にとっては、日銀券も当座預金(預金証書)も紙切れに過ぎないのです。
銀行が「紙のお金(日銀券)よりも数字のお金(当座預金)の方がいいから交換して」と言ってきたから、交換してあげただけのことです。
「日銀券が手に入ったからこれで国債を買えるぞ!」ということではありません。
日銀が国債を買いたければ、単に当座預金(預金証書)を発行して買うのです。
結論
日銀は日銀券というお金を発行することも出来るし、全く同じように日銀当座預金というお金を発行することも出来ます。
したがって、齊藤誠氏の「日銀が自ら調達できるお金は日銀券だけ」という考え方は完全に間違っているのです。
このような間違った前提をベースにしているために、齊藤誠氏がマクロ経済について書いた文章はその大半が読む価値の無いものになっていると言っても過言ではありません。
そのような無価値な文章を書いたのが無名な人物であれば、目にした人が単に無視していればいいことです。
しかし、齊藤誠氏は大学でマクロ経済学を教える教授であり、大きな発言力や影響力を持っています。
そのような人物が間違った前提で間違った言説を学生に教えたり、新聞やニュースサイト等に載せたりしていることは、害悪以外のなにものでもないと言わざるを得ません。
齊藤教授には早急にご認識を改めて頂きたく、ご検討のほど宜しくお願い致します。
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